侯爵家婚約物語 ~祖国で出会った婚約者と不器用な恋をはじめます~
 翌日早朝、ライルは母を叩き起こした。
 昨日はコーディアの手前冷静さを装っていたが、余裕などあるわけもなかった。

 叩き起こされたエイリッシュは眠そうにぶつくさ文句を垂れていたが昨晩の一件を聞かせると眠気もどこかに飛んでいったようだ。

「あらあ~そんなことが……」
 エイリッシュは額に手を当ててため息をついた。

 ライルは器用に片眉を持ち上げた。

「知っていたんですか?」
「まあ、何度か手紙を寄越してきましたからね。さすがに約束もなく突撃お宅訪問をしてこないだけ体面を気にするお家柄でよかったわ、と思っていたのに」

 なるほど。ローガンがライルたちに声を掛けてきたのは大方の観客が座席についた頃合いだった。
 ついに我慢しきれなくなったのねえ、とエイリッシュは他人事のように言う。

「それで、どういうことなんですか」
 ライルは母に詰め寄った。
「ああもう、追って話すわよ。朝の支度くらいさせなさいな」
「そんな余裕ありますが。ことはコーディアの今後に関わることなんです」

 大体、自分以外の男がコーディアの婚約者だと宣言すること自体が許せない。彼女の婚約者は自分だけのはずである。

 それに、あの女を品物のように見定める視線が癇に障った。彼はコーディアを上から下までねっとりとした獲物を狙う捕食者のような視線で嘗め回し、最後は満足そうに口を弧のように曲げた。

 彼の中でコーディアは満足する水準だったのだろう。男が女を見る目つきをしていた。
 コーディアが愛らしいのは十二分にわかっているが、それはライルだけが知っていればよいことで、あんな男の視線にコーディアが晒されたと考えるだけで今すぐにローガンの首を絞めてやりたい。

 ライルの苛立ちなど意に介さないマイペースなエイリッシュは侍女を呼びつけ息子を追い出した。
 部屋着に着替えてライルを再度招き入れたエイリッシュは二人分の朝食を自身の部屋に運ぶよういいつけた。

 使用人たちがライルとエイリッシュの朝食を準備し終わって部屋から出て行く。
 母と二人きりの食事など、一体いつぶりだろうか。
 エイリッシュは暖かなパンを手に取り、小さくちぎって口の中に放り込む。

「昨日はせっかくコーディアとのお出かけだったのにねえ。聞いているわよ、あなたコーディアのドレス姿に見惚れてぼぉっと立ったままだったそうじゃない」

 ちなみにエイリッシュは演奏会には興味はないため出かけてはいない。昔から楽器の音色を聞くと眠ってしまう体質なのだそうだ。

「母上。今はそのような話をしている時ではありません」
 ライルがしびれを切らした。

「まあ、早い話がローガンがコーディアと婚約をしているって主張するのは、彼と侯爵がヘンリーの財産を喉から手が出るほどほしいからなの」
 エイリッシュの要約は身も蓋もなかった。ライルは眉根を寄せる。

「コーディアはヘンリーのただ一人の財産相続人ですもの。貴族の家の、代々の財産の相続とは違って、彼が一代で築いた財産ですからね。コーディアがそのすべてを相続するのよ。ヘンリーは娘の夫兼後見人として、お金に困っていない身元のしっかりとした男性を探していてね。そのことを耳にしたわたくしはライルを推薦したの」

 ライルはコーディアの家族構成を思い出す。コーディアの母と兄は彼女が幼いころに死別している。ジュナーガルで時折流行する熱病が租界を襲ったのだ。コーディアだけが助かり、たまたま租界を離れていたヘンリーは難を逃れたが最愛の妻と息子の死に目には立ち会えなかった。

「そういうことですか。……それで、ヘンリー氏と侯爵との間で娘と息子を結婚させると約束でもしていたんですか?」
「そんなことはないはずよ。彼は昔から兄である現侯爵と折り合いが悪かったもの。だからコーディアは今うちにいるわけだし」

 そういえばそんなようなことを最初に聞かされた。

「侯爵家は昔ながらの貴族の生活を曲げようとしていないようだし。ローガンは色々と投資に手を出しているみたいだけれど、そっちもうまくいっていないようね」

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