侯爵家婚約物語 ~祖国で出会った婚約者と不器用な恋をはじめます~
 体調が回復をした後、ヘンリーが屋敷を訪ねてきた。彼は今までほったらかしにしていた自身の仕事で現在多忙を極めている。そんな中、時間を作ってコーディアの元を訪れた父ヘンリーは、彼自身の気持ちをコーディアに伝えた。

 コーディアが生まれたときから、母ミューリーンはいつかコーディアが娘に成長したらインデルクに連れて行きたいと願っていたと聞かされた。
 わたしの思い出がたくさん詰まった場所を子供たちにもみせてあげたいわ、と。
 ヘンリー自身、自分の留守中に心細い中病に倒れた妻には謝っても謝り切れなかった。一人で長男を看病し、死んでいった妻。はやり病のため、亡くなった者たちは共同で荼毘にふされ、共同墓地に埋葬された。ヘンリーが規制解除されたムナガルへ戻ったときにはすべてが終わった後だった。
 彼は妻を連れてムナガルへやってきたことを心底悔やんだという。
 それもあって、コーディアの夫はディルディーア大陸に住み、あちこち飛び回らない男という条件で探したのだと。

「わたしは、この国で生きていきます」

 コーディアははっきりと決めたのだ。
 もうこの地を自分の住まいにすることを。冬の寒さにめげてしまうかもしれない。空の色だってムナガルの方がずっと濃くて澄んでいる。色鮮やかな鳥がきれいな歌声を聞かせてくれて租界の建物はみんなカラフルに塗られていた。寄宿学校から見える港の風景が懐かしい。
 けれどコーディアはケイヴォンの街ににぎやかさだとか、淡い青色にうすく白を伸ばしたような雲のかかった空や、近所の公園に姿を見せる可愛らしいリスも好きになったのだ。

「だったら、私のところに残ってほしい。きみがこの国に留まる予定なら、私と婚約を解消する必要もないだろう?」
 ライルにしては切羽詰まった声だった。
「で、でも……」

 ライルに迷惑が掛かってしまうのは嫌だ。
 コーディアはライルのことが好きなのだ。この人だから離れがたいし、触れられても平気。コーディアはいつの間にかライルに恋をしていた。
 だからこそ。
 好きな人にとって何が一番いいのか、それを考えた結果が婚約解消という結論なのに。

「きみが私のことを友人くらいにしか思っていないのは分かっている。けれど、私はきみと婚約して結果よかったと感じている。コーディア、このままインデルクに残るつもりだというのなら、私との結婚を考えてほしい」

 ライルは饒舌だった。
 いつも以上に言葉を紡いだ。
 ライルは立ち上がり、コーディアの座るすぐそばに膝まずく。
 ライルはコーディアの手を取った。
 騎士のようだと思った。
 小さいころ読んだ本に登場した高潔な騎士のようなしぐさ。

「私はきみが好きなんだ。私の妻になってほしい」
 聞き間違いだと思った。
 ライルがコーディアのことを好きだと言った。
「で、でも……わたしとこのまま婚約をしていたら、あなたに迷惑が……」

 嬉しかった。ずっとコーディアはライルが親切なのはコーディアが彼に与えられた婚約者だからだと思っていた。
 それなのに言葉に出たのはやんわりとした拒絶の言葉。彼の今後のことを考えると素直に頷くことができない。

「そんなもの、関係ない。あれはローガンの罪であってきみには関りの無いことだ。そのことは皆が知っている」
「でも……」
「コーディア、今はきみの心を知りたい」
 ライルに言葉を遮られ、コーディアはついに観念した。
「ずっと、あなたが優しくしてくれるのは、わたしが……決められた婚約者だからだと思っていました……。だから、そう思うたびにわたしの胸はずきずきしていました」

 コーディアは自分の心の内を吐露した。
 ずっとずっと思っていた。彼が優しいのは自分が彼の婚約者だったから。彼は義務感でコーディアに対して気遣っていたのだと。コーディアがインデルクの生活に慣れないから。彼に余計な気を使わせているのだと。
 ライルは黙ってコーディアの言葉に耳を傾けていている。

「だから、その……あなたの口から婚約者だからと言われるのが好きではなくて……。その……今も夢を見ているようです。わたしもライル様のこと……す、すす好きになっていったので……」

 最後はしどろもどろだった。
 彼の想いに自分のそれを重ねたいと思った。
「それは、コーディア、きみも私に浅からぬ想いを抱いてくれていると思っていいのだろうか?」
「い、いま……言いましたが」
 コーディアは顔を真っ赤にした。
 さすがに二回目を面と向かって言うのは照れてしまう。

「私もずっと思っていた。きみはおとなしいから……嫌だと言えないのだと。婚約者が私のような男で本心ではどう思っているのかと」
 彼の迷うような言葉を聞いて、コーディアは自分たちが同じような想いを相手に対して抱いていたのだと知った。
「そんなこと、ありません。わたし、ライル様のことお慕いしております」
「コーディア」
「はい。なんでしょうか」
「抱きしめてもいいだろうか?」

 ライルの申し出にコーディアはさらに顔を赤くしたが、だいぶ間を開けてからこくんと頷いた。
 するとその直後、彼の胸に向かって腕を引かれた。弾みをつけて立ち上がると、彼の胸に抱きかかえられた。

 すぐ近くに感じるライルの暖かさにコーディアの体は固くなる。しかしそれもわずかなあいだで、コーディアはすぐに体を弛緩させた。彼にそっと頬を寄せると、自分を抱きしめるライルの腕の力が強くなったよう気がした。

 ライルの使っている整髪料の香りが鼻腔をくすぐる。
 きっとこれからはこの香りが当たり前になっていく。
 ぎゅっと背中に回された腕が愛おしい。
 コーディアはそっと目を閉じた。
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