忘れるための時間     始めるための時間     ~すれ違う想い~
救護室の前まで行ったが中に入れてもらえるわけもなく、少し離れたところから無言で救護室のドアを見つめることしかできなかった。
亜紀は両手で私の肩をいたわるように支えてくれている。
いつもは強気な唯だけど、さすがに不安な様子で大きな目に涙を溜めている。

球場入り口の前には赤いランプをクルクルさせながら救急車が待機しているのが見えた。

球場入り口は薄暗く、グランドの歓声が遠くから聞こえるような気がして、ついさっきまであんなに熱心に応援していた試合もどこか他人事のように感じていた。

ふぅと小さくため息をはいたとき、救護室のドアが開いた。
中から慌てた様子で達也くんのお母さんらしき人が出てきた。背は低めで一目で優しい人だとわかるような柔らかい雰囲気が達也くんに少し似ている。

はっとして思わず一歩踏み出してしまった私と目があうと あれ?! という表情でこちらに近づいて来てくれた。

「もしかして…未来ちゃん?」
優しい声。

「あっ、はっ、はい。」
思いがけず名前を呼び掛けられ驚いた。

「あぁ、やっぱりそうなん。達也がお世話になっとるんよなぁ~いつもありがとう。未来ちゃんのこと、良く話してくれとるから~達也。」
気さくに話しかけてくれるお母さんの様子から、達也くんはきっとお母さん似なんだろう、とこんな時なのに思ってしまった。

「あ、はい、いえ私の方がいつもお世話になっています。」
一言返すのがやっとだった。

「お友達もありがとね、心配してくれたんじゃろ?」唯や亜紀にもそう声をかけてくれた。
「未来ちゃん、達也なんじゃけど…やっぱり救急車で大学病気行くことになったんよ。」
お母さんが心配そうにそう言う。
ドキッとした。(大学病院じゃやこ、やっぱりひどいケガなんかも…)心配で体か震える。

その様子を見て、お母さんは安心させるように「いや、ボールが当たったのが目の辺りじゃったから、念のためにな、念のため!」と穏やかに言ってくれる。

涙がこぼれそうになる。

「達也な、痛いとか自分がどうじゃとか言わずに、さっきから未来ちゃんのことばっかり言うんよ…」

胸が苦しいほど痛くなり涙がこぼれた。

「未来ちゃん心配しとると思うけん、大丈夫じゃって言っといて。とか、未来ちゃんが泣いとるかもしれん…とか」

顔を両手で覆い隠す。こぼれる涙が止まりそうにない。
(何でこんな時にまでうちのこと心配するん…うちのことなんて…)

お母さんは私の肩に手をやり、「搬送までもう少しだけ時間があるけぇ良かったら顔見せてやってくれる?」そう優しく言うとパタパタと救急車の近くにいる救急隊員のところに行ってしまった。

見守ってくれていた亜紀に「時間が無いで」と背中を押され、その横で唯も眉をひそめ暗い表情でうなずく。
私は震える手で救護室のドアに手を掛けた。

中に入ると、ベットの上に寝ている達也くんが血に染まったタオルで右顔を覆い、その上から氷のうで冷やしているのが見えた。

心配で体が震えたが、しっかりしなくてはと自分で自分にムチをうち、達也くんの傍に近寄った。

「…達也くん」
恐る恐る声をかけると閉じていた目を開いて「未来ちゃん、来てくれたん?」と弱々しい声で話しかけてくれた。

「もう、話さんで。痛いじゃろ。傷に響くけぇ」そっと達也くんの手を握る。

「ごめんなぁ、またカッコ悪いとこ見せてしもぉて。心配かけて…びっくりしたじゃろ。未来ちゃん心配性じゃから…」

「うちのことはええから…もぉええから…」
こらえきれず涙ポタリと落ちた。

「…ックッ…」

痛いとか辛いとかそんなことは一言も言わない達也くんだが、かなり痛むのだろう、小さくうめくような声をあげ、顔を歪ませた。

何もしてあげられない自分がもどかしい。そう思っているとき、救護室のドアが開き救急隊員の人がストレッチャーを押しながら入ってきた。

「東山くん、大丈夫かな?今から大学病院いくからね。」救急隊員の人が優しく話しかける。それに気づい学校の先生は話していた電話を切り近づいて来た。私は邪魔にならないようにそっと達也くんのそばから離れた。

達也くんは痛みに顔を歪ませながらも「ありがとうございます。よろしくお願いします。」と丁寧に挨拶をしていた。本当に、こんな時にまで…達也くんらしい。

少し離れたところから救急車に乗るところを見守った。

達也くんを乗せた救急車がピーポーピーポーと音を鳴らしはじめ、大学病院へ向けて走り出した。

救急車に乗り込む瞬間、達也くんは私に向けて笑顔で親指を立てて見せた。きっと安心させようとしたのだろう。どこまでも優しく、どこまでも私を大切にしてくれる人…。

私は精一杯涙をこらえ、小さく手を振った。

達也くん…。どうか…。

達也くんが行ってしまうと急に大太鼓とブラスバンド、応援団の声とメガホンを叩く音がうるさく耳についた。






その日の試合は負けてしまった…
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