忘れるための時間     始めるための時間     ~すれ違う想い~
商品棚のグローブを手に取る。革の感触と香りを確かめながらしばらくながめた。
そうしていると心が落ち着くのだ。

開会式から2日過ぎても、やめようと思っても考えるのは後藤さんの事。電話番号は変わっていないのか…メッセージアプリで連絡取ってみようかな… いや、何って? 元気? いや、この前会ったばかりだし… 食事でも…って、唐突過ぎやしないか?! 

グローブを棚に戻しながらため息をついた。


「そんなんじゃ売れんぞ!」

急に声をかけられ跳び跳ねるほど驚きながら「すみません!いらっしゃいませ!!」

あわてて声の主に頭を下げる。

「…ッククク!アホじゃ、あわててから」
ニヤニヤ笑いながら達也が立っていた。

「何ならお前か。焦らすなや」頭をかきながらそう言うと腹に軽くパンチをされてウッとなる。

「っつ、いってぇ~」大袈裟に腹を抱えて見せる。

「お前の考えとることやこお見通しじゃ、どうせ未来ちゃんの事じゃろ。」

図星だ。昔からそういうところが鋭い。

「ん、まぁ…いや…  お客様~何かお探しですか?」わざとそう言ってごまかす。

「ふっ、図星なんじゃな! まぁええわ。今日は買い物じゃなくてこのチラシ、お前の店に貼らしてもらおうと思って。」
相変わらずニヤニヤしながらチラシを差し出す。

スポーツトレーナー派遣、メディカルチェック、メディカルトレーニング、アスレチックトレーニング、興味のある方はぜひ!

そんな文言が並んでいる。

「達也…」

「俺の新しい職場の宣伝。俺みたいにケガで苦しむ選手が増えたらいけんけぇ。」
晴れ晴れとした表情でそう話す達也はあの頃と変わらず、頼りがいがあって眩しい…。

「お前の店、野球用品専門店かぁ。ええなぁ!見るだけてワクワクする。」
並んでいる商品をながめまわす。

「まぁ、ただの雇われ店員じゃけどな。品揃えは抜群じゃと思うで。」
胸をはって言う。実際、県内どこを探しても無い商品がここに来ればある!と言われるほどマニアックなグローブも置いてある。

達也はポンと俺の肩に手をやり
「俺ら結局野球から離れられんなぁ。」
感慨深く言う。

思わずジーンとしながらうなずいた時
「未来ちゃんからも離れられん…ってか?」
肩に手をかけたまま耳打ちしながらそう言われ思いがけず ゴホゴホと咳き込んでしまった。

達也は肩から手を離し腕組みをして
「これも図星かぁ?!お前、ホンマ分かりやすい!昔から。」
ニヤニヤしながら言う。

「あぁ、いゃ、まぁ…」
しどろもどろに返事をごまかしていた時…

ピンポーンピンポーン入店の時になるチャイムが鳴り「こんにちは。」元気のいい声が聞こえた。

「いらっしゃいませ!…ってあっ!」
驚いて目を見はる。

そこには見覚えのある少年が立っていた。

「…あっ、あの時の!」少年も何か思い出したかのように驚く表情を見せる。

達也は、そんな二人の様子をかわるがわる見る。

「あの時はありがとうございました!」
先に口を開いたのは彼の方だった。礼儀正しく頭を下げる。

「あぁ、いや。あの、後藤さんの弟くん…よな」思いがけない来客で驚いたが、野球少年だ、来店しても不思議ではない。

「はい!後藤健と言います。あの、ところで…このグローブなんですが…」
少し言いにくそうにグローブを差し出す。ちょうど中指と人差し指の間の紐が切れている。 
「さっき練習中に切れてしまって…明日試合なのに…」言いにくそうに言うその姿を見ると汚れた練習着のままだ。

「どれ、見せて。」
差し出されたグローブを手に取る。
使い込まれてはいるが手入れが行き届いている。大切に使われていることが一目でわかるグローブだ。

「良い型ができとる。丁寧に手入れがされとるしなぁ…。」

「はい!ありがとうございます!俺…このグローブしか持って無くて…姉が買ってくれた大切なグローブなんです。」心配そうに俺の手の中のグローブを見つめる。

「…おぉ!後藤…?健くん!未来ちゃんの弟?!」しばらく俺たちの様子を見ていた達也が思ついた!と言うように大声をだす。

「はっはい!って…あの…姉の事を…?」
驚きながらたずねる彼に構わず肩をくみ
「知ってるも何も、なぁ!光!」

(いやいや、俺に振るなよ!!)

「あぁ、俺ら二人とも後藤さんの高校の同級生。」しぶしぶ俺が答える。

「あぁ、そーなんですか!」爽やかに笑う彼の笑顔は後藤さんに良く似ていると思った。

「あの、明日までに直りますか?」
控えめにたずねられた。

「大丈夫じゃ!まかせて。」頭にポンと手をやりながら安心させるように言う。

「あの…今上の野球場で練習中で…何時ごろ取りに来たらええですか?」

「いやぁ、出来たら夜に配達するけぇ!こいつが」
俺の方を親指で指しながら達也が答える。

「え?いゃ、まぁ…」しどろもどろしていると

「ええよな!光!」
ニヤニヤと何かたくらむような顔をしている。

「え?いゃ、いいんてすか?ほんまに。」
遠慮がちに、でも嬉しそうに言う弟くんの顔を見たら断ることは出来ない。

「おぉ、もちろん!」

「じゃあ、住所を…」
弟くんが、そう言いかけたところで達也がそれを手でさえぎる。
「いや、大丈夫!出来上がったら未来ちゃんに連絡入れるけぇ!こいつが!」

(また勝手にー!)

「ありがとうございます!助かります!」

「おっ、おぉ!バッチし直しとくけぇ!」
半ばやけくそ、笑顔で答えた。

練習に戻ります。よろしくお願いします。と丁寧にお辞儀をする弟くんを見送る。
「頑張れよ!野球少年!」達也の大きな声が店に響いた。

「おい達也!お前…」

「はぁ?こんなにええチャンス逃すなや!俺のお手柄じゃなぁ~」

「…んー。」

手の中にあるグローブに目をやる。こんなに丁寧に手入れをしてあるグローブだ。しっかり直してあげないと、とあらためて思った。

「じゃあ、俺は仕事に戻るわ」
達也が、手を上げ店を出ようとする。

「あ、達也、お前…俺に…何で?」
はっきりと言葉が出てこない。

「は?何が?」
わざととぼけたように言う。

「何が…って。俺が…その、電話しても…」

達也はプッと吹き出して一瞬笑ったがすぐにその表情を引き締めた。
「今でも未来ちゃんの事は…ホンマにマジで大切な存在ではあるな。俺にとって。」

「…。」ドキッとした。思っていた通りの答えだった。

「でもな、笑っとってほしい。幸せであってほしい…じゃからこそ、俺は…」
達也はそこまで言うとまたふっと柔らかい表情になり
「頑張れよ!ってこと!じゃあ!」
そう言うと今度こそ店を後にした。

店先まで出て「達也!」と声をかけた。

車に乗り込む寸前に振り向き
「じゃけど、俺もな、変わったんよ。また話すわ!」

そう言うと俺の返事も待たずに車を走らせて行ってしまった。
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