病気の時は


 今日は朝から様子がおかしかった。
 マスクをしていて、なんとなくボーッとしている。
 誰が見ても体調が悪いとわかったので、昼を待たずに帰らされた。
 俺は送って行こうとしたけど、仕事があるとわかっている彼女にピシャッと断られた。
 仕方なくあきらめて、休憩時間にメッセージを送ると電話をかけてきてくれた。

「熱何度?大丈夫?」
『39度。大丈夫だよ、病院で注射したし、さっき薬飲んだから』
「39度って……ほんとに大丈夫?飲み物とか食べ物ある?」
『あるある。病院の帰りに買ってきたから』
「ゼリーとかおかゆとか」
『あるから大丈夫、心配しないで。熱が下がったら連絡するから』
「ヤバそうな時は電話鳴らして。鳴らすだけでいいから。あとほしい物があったらメッセージよこして」
『うん。あの……明日、ごめんね。約束してたのに』
「そんなの気にしなくていいから。ちゃんと冷やして寝るんだよ。あと汗かいたらちゃんと着替えて」
『わかったわかった、大丈夫だから』

 あれこれ言おうとする俺を遮って、もういいとばかりに彼女は電話を切った。
 彼女は元々喉が弱いらしく、いつも喉から風邪をひく。
 今回もそうで、声はガラガラだった。それもまた、ちょっとセクシーだと思ってしまったのは内緒にしておく。
 そんなガラガラ声でも電話してきたのは、明日2人で出かける予定にしていたからだ。自分のせいで駄目になったことを、文字じゃなく言葉で謝りたかったんだろう。律儀な人だ。



 彼女は、病気の時は1人で寝ていたいのだと言う。
 彼女の両親は忙しく、小さい頃から病気の時でも1人で寝かされていて、付きっきりで看病されたりはしなかったらしい。
 そのせいか、病気の時に誰かに側にいられると、気を遣ってしまって休まらないのだそうだ。


 彼女と付き合って1年。
 熱を出したのは3回目。

 1回目は、何も知らずに心配でお見舞いに行った。今回のようにいろいろ買っていって、着替えをさせたり、ゼリーを食べさせたりして、世話を焼き、帰った。
 次の日、ますます熱は上がり、残業後に様子を見に行こうと思っていたら、彼女の同僚兼親友の筒井さんに止められた。
 俺が行ったせいで、下がるはずの熱が下がらなかったんだと言う。だから今日は絶対に行くな、と言うのだ。
 加えて、なんと、前の彼氏と別れた原因が、病気の時に放っておいてくれなかったから、と聞かされたのだ。
 試しに『今日も行こうか?』とメッセージを送ってみろ、と言われて送ってみると、『大丈夫。ありがとう。もう遅いから帰って』という返事が返ってきた。

 半信半疑で家に帰った。
 次の日、熱が下がったと連絡がきた。
 彼女に聞くと、熱が上がったのを俺のせいにはしなかったけど、1人で寝ていたいのは事実だと言われた。
 1人暮らしは長いので心配はいらないんだそうだ。

 前の彼氏とのことは、聞けなかった。


 2回目は、やっぱり心配だったから、いろいろ買って持っていって、玄関で渡して帰ろうと行った。
 実際会ったら、熱でフラフラでボーッとしていたから、心配で帰れなくて、また世話を焼こうとしたら怒られて追い出された。
 後から、熱で余裕がなくて、つい怒ってしまったと謝られた。

 いい機会だと思って、前の彼氏のことを聞いてみた。

 別れた理由はそれだけじゃないけど、きっかけは彼女の親友が言った通り病気の時のことだった。
 病気の時に放っておける訳がないじゃないかと、あれこれ世話をして、寝ている彼女の横にずっとついていたんだそうだ。帰ってくれと言っても聞いてくれなかったらしい。
 一事が万事そんな調子で、自分の価値観でしか物事を考えられず、彼女にもそれを押し付けてくる。
 それに付いて行けなくて、別れたんだそうだ。

 怒ったのは申し訳なかったと思うけど、頼むから病気の時は放っておいてほしい、と言われた。
 心配してくれるのはありがたいけど、本当に大丈夫なのだと。

 そう言われたら「わかった」としか言えない。

 同じ部署に配属されたのが3年前。
 無害な後輩ポジションから、じわじわと距離を詰めていって、ようやく付き合うことができたのだ。
 これで別れてしまうくらいなら、いくらでも我慢する。

 でも、心配だから連絡だけは欠かさない、という約束をした。



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