病気の時は


 俺の作ったおかゆを食べて、薬を飲んで。
 千波さんがうとうとし始めた。
 その顔も可愛い。
 でもこのままだと、確実にまた熱は上がる。
「千波さん、ベッド行こう。ちゃんと寝なよ」
「んー……」
 開かない目でフラフラとベッドに入る。
「はるちゃん」
 横になった千波さんに布団をかけようとした。
 千波さんは、俺に向かって両手を広げている。
 なんだこれ。誘惑?
「……だっこ」
 俺は目が点になっていたと思う。
 『だっこ』ってなんだっけ?小さい子を抱き上げるあれか?
 千波さんは俺の手を引っ張って、自分の横に寝かせた。
 そのまま抱きついて、俺の腕の中に収まった。
 にこっと無邪気に笑う。
 そして、千波さんはすうっと眠ってしまった。
 動けない。
 そして、生殺しだ。
 柔らかくてふわふわの千波さんの体を抱いて、ベッドの上。
 なにかしたくてもできないし。
 悶々としたまま、俺もいつのまにか眠ってしまった。



 目が覚めると、腕の中には千波さん愛用の犬の抱き枕がいた。
 こいつもふわふわしてるし、千波さんの匂いがして抱き心地はいいんだけど、本人の比ではない。
 部屋のドアが開いて、千波さんが入ってきた。シャワーでもしてきたのか、髪が濡れてサッパリした顔をしている。
 犬を抱いたままそっちを向く。
「はるちゃん似合うね」
「……これ?」
「うん。可愛い」
 千波さんはにこっと笑った。
 いや、可愛いのはあなたです。
「千波さん、熱は?」
「下がってた。36度5分。もう大丈夫だよ」
 ベッド脇に座る千波さんの頭に手を置く。
 頭をなでると、千波さんははにかんで目を伏せた。
「俺いても、熱が上がんなくて良かった」
「うん……なんかね、はるちゃんは大丈夫みたい」
「え?」
「私、ほら、前にも言ったけど、病気の時は1人の方がいいんだけどさ。でも、はるちゃんはいても平気みたい。っていうか、いてほしい……かな」
 千波さんは、目を伏せたまま顔を赤くしながら言う。
「昨日ね、電話ではるちゃんの声聞いたら、安心したの。あと、私が寝てるの起こさないようにいろいろ置いてってくれて、嬉しかった。帰る前に会えて良かった。帰っちゃうって思ったら、淋しくなっちゃって……初めてだったの、病気の時にそんな気持ちになったの。今まで、お母さんだって近くにいてほしくなかったのに」
 千波さんが目を上げた。
 でも俺と目が合うと、恥ずかしそうにまた目を伏せる。
「普段寝る時もそうなんだけどね、人がいるとなかなか眠れないの。なんか落ち着かなくて。でもね、はるちゃんは平気なの。はるちゃんのそばにいると、気持ち良くて眠くなっちゃうの。なんか電波が出てるみたい」
「電波?俺が?」
「うん。催眠電波みたいなの。出してない?」
 うふふ、と千波さんは笑った。
 俺も軽く笑う。
「出してないよ、そんなの」
「そう?私専用のやつ、出してるでしょ。だって、昨日もはるちゃんに抱っこしてもらったらすぐ眠れたよ」
 俺は眠れなかったけど。悶々として。
「だから、はるちゃんは大丈夫だから……」
 千波さんの顔が近付いた。
「ありがとね」
 ちゅ、と、千波さんが俺のほっぺたにキスをした。
 千波さんからキスされたのは、初めてだった。
 一瞬で、顔が熱くなった。
「はるちゃんもシャワーしなよ。スーツのまま寝ちゃってたし、体疲れてない?」
 夜中にベルトは外したものの、他は会社帰りのままだ。
 確かに体は固くなっている。
「私のせいでしょ?ごめんね」
 しゅんとなる千波さん。
 その頭をもう一度なでた。
「大丈夫だよ」
 なでた手を後ろにまわして引き寄せる。
 唇にキスをした。
「俺、今すっげー嬉しい」
 千波さんの顔が?になった。
「千波さんの役に立った」
 千波さんは目を見開いた。
 その顔に、もう一度キスをする。
「私はいつもはるちゃんのお世話になりっぱなしだよ?」
「俺がやってることなんて、千波さん1人でもできるでしょ?飯作ったりするくらいでさ」
「はるちゃんは、いてくれるだけでいいの」
 犬を間にはさんで、千波さんが抱きついてきた。
 髪からシャンプーの匂いがして、体のいろんなところがざわつく。
「いてくれないと、困る」
 犬が邪魔で、引き抜いた。こいつがいると、千波さんとくっつけない。
 千波さんの体がくっつく。
 まずい、千波さんは病み上がりなのに襲ってしまいそうだ。
「俺はむしろ、今困ってる」
「え、困ってるの?」
「うん。千波さんが可愛い過ぎて。あと、嬉し過ぎて」
「嬉しいの?」
「うん。俺、いても良かったんだなあって」
「え……」
「俺いなくても、千波さんは平気だと思ってた」
 千波さんがバッと顔を上げる。
「そんなことないよ。全然平気じゃない」
 真剣な顔も、可愛い。
「うん。今わかった」
 千波さんは、ぽふっと俺の肩に顔を落とした。
「今、かあ……」
「俺が勝手に思い込んでただけかもしんないけどさ……」
「……なに?」
「千波さん、1人でいたい時もあるみたいだし、俺いない方が気楽でいいのかもって」
 千波さんは一瞬固まった。図星だ。
「そんなこと」
「あるでしょ?」
 時々感じることがあって。
 そんな日の次の日は、絶対に千波さんの家には行かないようにしていた。
「……あの」
「大丈夫だよ。理解はしてるから」
「え……」
「そういう時もあるって、わかってるから大丈夫」
 千波さんの顔が曇った。
「はるちゃんて……そういうとこ、大人だよね」
「えっ?」
「私の方が、1人でいたいとか、わがまま言って、子どもみたいじゃない」
 千波さんが口をとがらせる。
 その顔も可愛くて、つい笑ってしまった。
「もう、なんで笑うの」
 抗議をしてくる千波さんも可愛い。
「ごめん」
「1人でいたい時もあるけど……はるちゃんは大丈夫」
「……大丈夫って?」
「1人でいたい時も、一緒にいられるよ。ずっと一緒でも大丈夫」
 こてん、と俺の胸に顔を乗せる。
「……次、熱出した時には、また来てくれる……?あ、でも風邪移ったら困るね。やっぱり来ちゃ駄目」
 ……この人は。
 一体どこまで可愛いんだ。
「来るよ、マスクして」
 俺は千波さんの頭をなでる。
 ふわふわの髪が気持ちいい。
 髪から頬に手をやると、千波さんは気持ち良さそうに目を閉じる。
「眠くなってきちゃった……はるちゃん、やっぱり催眠電波出してるよ……」
 昨夜のように、すうっと眠ってしまった。
 少し待って、千波さんが熟睡したのを見計らって、そっと体をずらす。
 俺の代わりに、抱き枕の犬を千波さんに抱かせて、ベッドを降りた。
 千波さんは犬を抱えて気持ち良さそうな顔をして眠っている。
 そんな気持ち良さそうな顔をさせる犬に、ちょっと嫉妬した。
 いやいや、抱き枕に嫉妬してどうする。

 もう一度千波さんの頭をなでて。
 ふわふわの髪の感触を手に残して。
 音を立てないように、そっと、シャワーに向かった。




< 4 / 10 >

この作品をシェア

pagetop