病気の時は
2日後の月曜日。
週末まったり過ごした私は、すっかり元気になって出社した。
ところが、はるちゃんの様子がおかしい。
顔が赤くてボーッとしている。
私の風邪が移ったんじゃないだろうか。
この前の私のように、昼を待たずに帰らされる。
送ろうとしたら「仕事あるでしょ」と断られた。確かに、休んだ分の仕事がたまっている。
とにかく、今日は定時で帰ろうと、集中した。
帰りに、はるちゃんの様子を見に行くために。
はるちゃんが体調を崩したのは、付き合ってから始めてだ。
私は、熱が出たら1人で寝ていたいけど、はるちゃんはどうなんだろう。
はるちゃんの両親は、私の家と同じく忙しい人達だった。でも、私と違うのは、近所におばあちゃんがいたこと。
はるちゃんは、おばあちゃんに育てられたようなもので、見事なおばあちゃん子なのだそうだ。
そのおばあちゃんは、はるちゃんが大学2年の時に亡くなった。92歳の大往生。
『はるちゃん』というのは、おばあちゃんが呼んでいた彼のあだな。
付き合い始めて間も無い頃、彼は私が会社にいるのと同じように『須藤君』と呼んでいるのが嫌だと言い始めた。
「もう付き合ってるんだから、名前呼んでほしいんだけど」
「須藤君だって、私のこと『本田さん』て呼ぶじゃない」
「千波さん」
いきなり呼ばれて、心臓がびっくりする。
「俺、頭の中ではずっとそう呼んでた」
照れくさそうに笑う彼の笑顔は眩しかった。
その輝きにあてられて、抵抗する気がなくなってしまう。
「た、隆春、くん……」
名前を呼ぶだけで、凄く恥ずかしい。
顔がほてるのがわかる。
彼は、そんな私を見て、満足そうに笑った。
「それもいいんだけどさ。違う呼び方があって、そっちの方がいいな」
そう言って教えてくれたのが『はるちゃん』だった。
「ばあちゃんがそう呼んでたんだ。ウチさ、父親は隆之で、弟は隆明、叔父さんは隆徳だし、たかが付く人いっぱいで。ばあちゃんは下の方で呼んでたの」
彼を『はるちゃん』と呼ぶのはおばあちゃんだけで、他の身内はみんな呼び捨てなんだそうだ。
「え、でも……」
私は考え込んでしまった。
「嫌?」
私の顔を覗き込む彼は、ちょっと不安そうな顔で、私の胸を鳴らす。
「嫌とかじゃないんだけど……そんな特別な呼び方、いただいていいのかなって思って……」
彼は目を見開いた。
そして、また眩しい笑顔になる。
「千波さんだから、特別だよ」
「おばあちゃん、許してくれるかな」
「大丈夫。ばあちゃんなら、いいよって言ってくれるよ」
「じゃあ……」
その後、初めて『はるちゃん』と呼んだ私を、はるちゃんは力強く抱きしめた。