病気の時は
おばあちゃんは、はるちゃんが具合悪くなった時はどうしていたんだろう。
悩んでいたら、私の同僚で親友である筒井恭子が言った。
「彼がやってくれたことを返してあげればいいんじゃない?」
ああ、そうか。それならわかる。
私は、定時で仕事を終わらせて、はるちゃんと同じようにいろいろ買い込んで、はるちゃんの家に向かった。
途中で、ふと気付く。
私、はるちゃんの家の鍵を持ってない。
私の家の方が会社に近くて、駅からの距離も近いから、はるちゃんが家に来ることが多かった。
はるちゃんには家の鍵を渡してあるけど、逆はない。
どうしよう。はるちゃんは、寝ている私を起こさないように凄く気を遣ってくれたのに。同じようにできないなんて。
でももう少しではるちゃんのマンションに着いてしまう。
外から部屋を見上げると、電気がついていた。
起きてるといいな、と思いつつインターホンを押す。
プツッと音がした。多分、中でカメラを切った音。顔、見えたかな。
応答がないのに、バタバタと中から音が聞こえた。
勢いよく開いたドア。
驚いてる顔の、はるちゃんがいた。
「寝てなかった?」
「……今起きて」
「熱は?」
「……わかんない。寝る前は38度2分」
「そっか。あのね、これ買ってきたから」
スーパーの袋を差し出すと、はるちゃんはまだ驚いている。
「千波さん……俺、寝ぼけてるんじゃないよね」
「……起きてると思うけど」
熱を出している彼氏のところに来るのが、そんなに驚くことだろうか。
「ごめん、夢見てたから、続きかと思った」
入って、と促される。
玄関に入ったら、はるちゃんが私を抱きしめた。
「本物の千波さんだ……」
はるちゃんの体が熱い。やっぱりまだ熱はあるらしい。
「はるちゃん、ここ寒いから、また熱上がっちゃうよ。ちゃんと寝よう?」
はるちゃんは、私を抱きしめて、髪に顔を埋めたまま動かない。
「はるちゃんてば」
「あーキスしたいのにできない……」
「なに言ってんの。ほら、布団戻って」
私から、体をひっぺがしてベッドに入れる。
「なにか食べる?はるちゃんみたいにいろいろ買ってきたよ」
「じゃあアイス」
「ちょっと待っててね」
買ってきた物を冷蔵庫と冷凍庫に入れて、バニラアイスとスプーンを持って戻る。
はるちゃんは横になっていた。
「熱計った?」
「38度」
「あんま変わんないね。はい、アイス」
アイスを出したけど、受け取らない。横になったままだ。
「あれ?さっきアイス食べたいって言ってたよね?」
はるちゃんは、パカッと口を開けた。
「……あの?」
「食べたい、アイス」
……なにこれ。もしかして……食べさせろってこと?
「千波さん、アイスとけるから、早く」
なんだこの甘えてくる大きい犬みたいな生物は。
可愛いんですけど。
そして凄く恥ずかしいんですけど。
私は、アイスをはるちゃんの口に一口入れてあげた。
はるちゃんはニコッと笑う。
「美味しい」
顔がほてった。
「千波さん、顔真っ赤」
指摘されると、更に赤くなるからやめてほしい。
「あーどうしよう、俺もう熱下がんなくていいや」
はるちゃんの顔も赤い。熱のせいだけじゃないらしい。
「千波さん……可愛い」
はるちゃんの手が伸びてきて、私の頬をさわる。
すりすりされる。気持ちいい。
でも。
「はるちゃん……ごめんね。私の風邪、移しちゃって」
「え……?」
「やっぱり、熱がちゃんと下がってから会った方がいいよね。次からは、そうしようね」
「千波さん、なに言ってんの」
「なにって、だって私のせいでしょ?」
はるちゃんは、私の頭をなでる。
「俺、千波さんの風邪なら引き受けるよ」
「え?」
「次からは風邪に負けないように、体を作るから」
「体を作るって……どういうこと?」
「体鍛えて、風邪もらっても、熱なんか出さない。だから、安心して」
手は頭から頬に戻った。
その手の熱は、私の顔を更にほてらせる。
「さっき、夢見てた。ちっちゃい頃の」
「ちっちゃい頃……」
「ばあちゃんが俺のこと呼んでるんだ。そばに行って、手つないだら、ばあちゃんが千波さんになってた」
「おばあちゃんが、私に?」
「うん」
はるちゃんが、優しく私を見る。
「そんで千波さんが笑って『はるちゃん』て言って……目が覚めたらピンポンが鳴って、千波さんがいた」
はるちゃんにとって、おばあちゃんはとても大切な存在だ。亡くなった今でも。
そのおばあちゃんが、私になった。
たとえ夢の中のことだとしても。
おばあちゃんと同じくらい、大切に思ってもらえてるって思っていいんだろうか。
そんなに、自惚れてしまっていいんだろうか。
「ねえはるちゃん」
「んー?」
「おばあちゃんは、はるちゃんが病気の時はどうしてたの?」
「どうって……病気ってあんまりしなかったからなあ……。基本的には寝かされて、ばあちゃんは隣の部屋とか台所とかにいたんじゃない?弟もいたし、付きっきりじゃなかったと思うけど」
「やっぱり、おかゆ作ってくれた?」
「うん。卵入ってた」
「ああ。それでこの前私に作ってくれたのも、卵入ってたんだ」
「うんそう」
じゃあ、今日作るおかゆも、卵入れよう。
「千波さん、アイス」
私が持っているアイスは、半分溶けていた。
「あっ、ごめん、溶けてる」
「早く早く」
アイスをすくって、はるちゃんの口に一口入れる。
はるちゃんは、にいっと笑った。
「ばあちゃんには、アイス食べさせてもらったことないよ」
はるちゃんの手が、また頬に伸びてきた。
「こんなことしてもらうの、千波さんだけだから」
また顔が熱くなる。
照れくさくて、アイスをすくってはるちゃんの口に突っ込んだ。
「もう……あとは自分で食べて。おかゆ作るから」
無理矢理アイスを渡して、立ち上がる。
絶対に、熱のせい。
はるちゃんは普段から甘い方ではあったけど、今日は特別に甘々だ。
私が耐えられそうになかった。
抱きつきたくなるし、キスもしたくなる。
でも、今日は我慢しなければ。