病気の時は


「……さん……なみさん……千波さん、起きて」
 頬をつんつんつつかれている。
 目を開けると、はるちゃんの笑顔。
「また熱出ちゃうよ」
 体を起こす。はるちゃんはベッドから出て私の横に座っていた。
「あれ……また寝ちゃった。今何時?」
「11時。ごめん、俺も寝ちゃってた」
「えっ、やだ、帰らなきゃ!」
 立とうとするのを、はるちゃんに抱きとめられる。
「千波さん、こんな時間に1人で帰せないよ」
「大丈夫だよ。明日もあるし」
「駄目だよ。どうしてもって言うなら明日の朝だよ。そしたら送っていくから」
「だってはるちゃんまだ熱が」
「下がったよ。36度8分」
「でも」
「明日は会社休むから。病院でも休めって言われたし。だから、千波さんを送った後にゆっくりするよ」
 はるちゃんは笑う。
 でも、私のことはしっかりとつかまえていて、離してくれそうもない。

「帰らないで。そばにいてよ」

 ……やられた。

 はるちゃんは普通に言ってるつもりでも、座ったまま抱き抱えられているから、耳元で声がするのだ。
 風邪のせいでちょっとかすれ気味の声が、私の体の力を抜いてしまう。

「千波さん?」
 じたばたしていた私が急に大人しくなったので、はるちゃんが顔を覗き込む。
「どうしたの?もしかして具合悪い?」
 私は首を横に振る。
「そんなに帰りたかった?」
 悲しそうなはるちゃんの声。
 私は、また首を横に振る。
 顔を上げたら、間近にはるちゃんの顔がある。
 愛おしくて、頬にキスをした。
 はるちゃんは、目を見開いて私を見る。
 顔がみるみる赤くなった。
「千波さん……それ反則」
 そう言って、私を抱きしめた。
「あー……キスしてえ……」
 私もしたい。
 恥ずかしくて言えないけど。

 あ、ここか。
 ここで言わないから、伝わらないのか。

「私も……したい」
 はるちゃんが、また目を見開く。
「だから、早く風邪治して」
 はるちゃんの胸に、顔をつける。
 恥ずかしいから、顔が見えないように。
 でも、はるちゃんは強引に私を自分から離して、正面から向き合った。
「千波さん」
 真剣な表情に、気圧される。
「は、はい」
 はるちゃんは、一旦頭を下げて、息を吐いた。
 吐き切った後に、再び顔を上げる。
「結婚しよう」
 私の頭の中は真っ白になった。
「告白した時にも言ったけど、俺ずっと、千波さんとの結婚を考えてた。あの時は信じてもらえなかったけど、今なら俺本気だってわかるよね。病気の時も一緒にいていいってわかったし、俺、ずっと千波さんと一緒にいたい」
 頭の中を、はるちゃんの声が駆け巡る。
「仕事はまだまだだけど、頑張るよ。年下で、頼りないかもしれないけど、いるだけで終わらないように頑張るから」
 はるちゃんの言葉は、私の中をぐるぐる回って、ストンと落ちた。

「本田千波さん、俺と結婚してください」

 確かに、はるちゃんに告白された時にも、同じことを言われていた。
 あの時と同じ、真剣な目。
 信じてなかった訳じゃない。
 嘘じゃないって、冗談でもないって、わかってた。
 でもあの時は、その言葉はすぐに消える泡みたいなものだって思ってた。
 はるちゃんには、私よりももっと似合う人がいるって思ってた。

 でも、今は違う。
 もしかして、私よりももっと似合う人がいるのかもしれないけれど。

 私が、はるちゃんを必要としている。
 私が、はるちゃんと一緒にいたい。

「私も、はるちゃんと結婚したい」
 不安そうに私を見ていたはるちゃんの目が点になった。
「須藤隆春さん、私と結婚してください」
 はるちゃんは呆然としている。
「……うそ」
 やっと出た言葉がこれ。
 なにその反応。凄く不安になるんですけど。
「え……断った方が良かったの?」
 もしかして、別れるための布石?
 いやいや、はるちゃんに限ってそんなことない、と思いたい。
「まさか。いや、予想と違うのが出てきたからびっくりして……。てっきりまだ早いとか、もう少し時間くれって言われると思ってたから」
「……そう言った方が良かった?」
 ちょっと悲しくなってそう聞くと、はるちゃんは焦って言った。
「いやいやいや、今のでいい。今の、もっかい言って」
「え?」
「びっくりし過ぎて、実感なかった。もっかい聞きたい」
 切なそうな甘い表情で言われる。
 そんな顔されたら、言わないといけないと思ってしまう。
 でも恥ずかしいから、目を伏せてしまった。
「す、須藤隆春さん……私と、結婚、してください……」
 言い終わると、抱きしめられた。
 ギュッと。しっかりと。
 もう離さないって、言われてるみたいに。

「あー……なんで今日風邪ひいてんだ、俺」
 私を抱きしめたまま、はるちゃんが呟く。
「今すぐ抱きたい」
 頭の上で聞こえた、ささやくような声。
 体中の血が、一気に顔に集中した気がした。
「でも我慢するよ……千波さんも病み上がりだし、明日もあるし。あーでも今日まだ月曜か、長いなー週末まで……」
 はるちゃんは、一瞬ギュッと強く私を抱きしめて、おでこにキスをした。
「とりあえず、これで我慢しとく」
 優しく笑う。
 私の体中の血は、また一気に顔に集中した。
「そんな可愛い顔しないで。我慢できなくなるから」
 それはこっちの台詞だよ……そんなに優しい目で見ないでほしい……。
「あ」
 はるちゃんが、ガバッと私を体から離した。
「返事、聞いてない」
「返事?」
「俺の、プロポーズの返事」
「え、さっき言ったと思うけど……」
「なんて?」
 ……また言わなきゃいけないのか。
「わ、私も、はるちゃんと、結婚したいって……」
「あっ、ああごめん!聞いてた!聞いてたよ!ごめん、また2回言わせちゃった……」
 ガクッとうなだれる。
 こういうところ、大きい犬がしゅんとしてるみたいで可愛い。
「私は聞いてない」
「なにを?」
「はるちゃんの返事」
 抱きしめてもらったけど、言葉では聞いてない。
「あ、ああ、そっか……」
 はるちゃんの顔が急に赤くなる。
「末永く、よろしくお願いします」
 真剣に、私の目を見て言ってくれた。
 自分の顔がほころぶのがわかった。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
 どちらからともなく、抱きしめ合って。
 風邪っぴきと病み上がりなことを、2人で惜しんで、笑った。



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