パパにせんぶあげる。
わたしは、パパが19歳のときの子どもだ。わたしが生まれたとき、パパはフランスの音楽院に在学していた。仕事で海外を忙しく飛び回っていたママは、小さなわたしの世話をパパの両親に預けていた。
おじいちゃんは、フランスで大きな会社を経営していた。おばあちゃんは、明るく優しい人で、わたしのことをたいそう可愛がってくれた。いつもお屋敷にはおもちゃやお菓子があふれていて、幼いわたしは何一つ不自由のない幸せな生活を送っていた。
パパは時間があるとき、よくわたしにピアノを弾いてくれた。当時のパパは「パパ」と呼ぶには若すぎて、少年のようなあどけなさが残っていた。わたしはパパのことを「おにいちゃん」と呼んで慕っていたのを覚えている。
「花音 」
不意に、名前を呼ばれた。さっきまで笑っていのが嘘のように、パパは暗く沈み込んだ表情で、こっちを見ていた。
「ママのこと、知りたい? 」
パパには何もかも全部を見透かされているような気がする。大きな目がいつのまにか真っ赤に充血し、潤んでいた。パパはお酒を飲むと少し不安定になるから、このまま泣き出してしまうんじゃないかと不安になる。
「…パパが辛いなら、無理に話さなくていいわ」
毎年、ママの命日にわたしが花を買ってくることをパパは知っている。けれど、パパがわたしに"本当のママ"の話をすることは、これまでほとんどなかった。
「……君のママは"特別な人"だったんだ」
パパは、低く掠れた声でぽつりとそう言った。
「とくべつ…? 」
「花音の身体には、ママの"特別な血"が流れてる。もう半分はパパの血だ。花音には、2種類の血が流れているんだよ」
「ふたつの…血?どういう意味?」
「花音が大人になったら話すよ」
「それっていつなの」と言い掛けて、言葉を飲み込んだ。パパはほほえむ。無理やり笑っているせいで、少し頬が引きつっていた。
「花音は今いくつだい?」
「12よ。来月誕生日が来たら、13歳」
「じゃあもうすぐだ」
「もうすぐって?」
パパは手を伸ばして、わたしの頭を撫でた。さっきとはまるで違う、大人の女性にするような仕草で。
「、…パパ…?」
優しく丁寧な手つきで、わたしの長い髪を梳き、愛おしむように髪先にそっと鼻先を寄せる。パパの長い睫毛が震えている。
「今日のパパ、すごくへんよ…どうしたの? 」
「…ごめん。…かなり酔ってるみたいだ。少し冷ましてくる」
そう言って、パパはフラフラとレッスン室を出て行った。お酒と香水のラストノートが混ざり合った、複雑な香りがその場に残っていた。