壊せない距離
「どうしたの、もうすぐ定時なんだけど。」

彼が何を頼みにきたのかも分かっているからこそ、あえて嫌味のように返事をした。
おそらく彼も、そのことには気づいてるだろう。

「葵のご機嫌をとりにきた、って感じかな。」

綺麗な声に似合いすぎている、整った顔立ち。顔立ちだって、昔は近所のお母さん方からアイドルのように扱われるほど可愛かったはずなのに。

年月は人を大きく変えてしまう。なのに、私の気持ちは一切変えてくれない。いや、変われない。

「どうせまた、出張経費の処理でしょ。あと5分で定時なんだから、早く領収書を渡してよ。」
「さすが葵、俺の事よく分かってくれてる。」

手渡された領収書を手元に置き、先程の鈴原と同様、出張費の精算処理を始めた。

「あのね、さっき鈴原も同じことで来たばっかりだったからよ。大橋だから、じゃないから。勘違いしないでね。」
「つれないなあ、小さいころから俺のことを知ってるから、分かってくれてると思ったんだけど。」
「残念でした。」

いつも通り処理を終えると、今日の残りの業務もほとんど終えた。

立替経費の精算は期日が決まっていて、その月の第3週金曜日までに領収書と書類を提出してもらわなければいけない。そうじゃなければ、月末には他の業務もあるのに処理が追いつかなくなるからだ。だから一応、期日を過ぎても処理をできないことはない。

けれど、今日は最終週の木曜日。
揃いも揃って、同期の2人が提出期限を守れないなんて、恥ずかしいにも程がある。



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