壊せない距離
疲れた、と思って時計を見上げると、もう8時を過ぎていた。

後輩は先に帰らせていたし、先輩からも「お疲れ」と言われていたことは覚えているけれど、まさか最後になっているなんて。

いや、先に帰った先輩が、「一人やから戸締り頼んだで」って言ってたっけ。

数字を扱っているときに話しかけられても、適当に返事をしてしまうのがダメなところだ。

経理部の窓の施錠を確認して、最後に日中は開きっぱなしのドアを閉めた。
オートロックだから、閉めるだけで鍵がかかってくれるのは楽で良い。

IDカードをかざしてタイムカードに退勤を打刻すると、たまたま来ていたエレベーターに乗り込んだ。


大阪にきて3年近く経つ。

当初目標にしていた大阪駅ダンジョン攻略は、通ってみると案外分かりやすいものですぐに慣れた。

大阪に来てすぐの頃は粉ものが美味しくてずっと食べていたけれど、食べ続けると飽きてしまった。まあ、たまに食べるけれど。

大阪弁は、いまだに聞きなれない。方言で話されているはずなのに、ここではそれが当たり前のように通じているんだから、困った。

エレベーターの左右も、まだ間違えて後ろの人に舌打ちされてしまうこともある。

来る前に抱いていたイメージとは違って、馴れ馴れしく話す人ばかりなわけでもなく、ノリが良い人ばかりでもない。


普通の、東京よりちょっと話し上手な、そんな街。

満坂百貨店の経理部は、以前面接が行われたビルの19階に入っている。

そこから自宅までは、地下鉄で約15分。大阪市内でも、条件をある程度絞ればなかなかの部屋があることには驚いた。

明日は休みだし、今日はパーッと飲んでもいいかなと考えながら、1階に到着したエレベーターを降りた。


その先、私の目に映った人を見て心拍が速くなる。
ガラスの扉にもたれ掛かって、静かに私を見つめていたのは―――



「お疲れ、葵。」
あの日、私がさよならしたはずの、蒼だった。




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