人魚姫〜もしも人魚姫と王子様の立場が逆だったら〜【不定期更新中】
きっと文通をしていた誰かがわざわざ来てくれたのだと姫は思われました。
ですが、彼は——人魚は、海から出て歩くことは不可能です。足がありませんから。
ということは、這いつくばってここまで来たのでしょうか。どうやら、それも違うようです。
人魚は今、長い姫の文章を、上半身だけ海から出して何度も読み返しているのですから。
波ですぐかき消されてしまうので、それまでは読み返せるうちに読み返しておきたいと思っていたのです。
入ってきたのは長身でスタイルが良く、身なりも整った男でした。
「お目にかかれて光栄です」
男はもちろん人魚宛ての文章など読んでいないので、うやうやしく社交辞令を言葉にします。
「そんな…っ、特別扱いなどしないようにと申し上げたはずです」
「…?」
男は不思議そうにしますが、すぐに気を取り直して「特別扱いではございません。姫君に対する普通の態度ではありませんか」と言います。
「いえ、姫君に対する、ではないのです。普通の、同じ人間なんですから、どうか普通に接してください」
「姫君は、普通などではございません。一国の姫君である時点で、普通などではないのです」
「…一国の姫君……ですか」
姫が唇を噛まれると、男は「では2人の時は変な特別扱いをなくす努力をします」と男は言います。
「…私は普通の、どこにでもいる1人の女の子よ」
姫が俯いておっしゃいます。
「えーっと…、はい。そして私は、今はどこにでもいる普通の女の子に恋をする1人の男です」
「えっ」
姫が顔をお上げになると、男はにっこり人が良さそうな笑みを浮かべました。
「恥ずかしながら、姫というからどんなに傲慢な方かと考えていたのに、自分は普通だとおっしゃいます。最近は姫でもそういう方が多いですから。私は、その姿勢に惚れたのです」
「ほ、惚れたって…」
そんなことで? と続けるより先に男が「では、また」と別れの言葉を言います。
姫の驚いた表情はなかなか元にお戻りになりませんでしたが、しばらくしていつも通りの表情に戻られ、「ええ、また」と優雅に手を振られました。
その頃、人魚はまだ文章を読んでいました。「お姫様…か」と呟きながら。
その姫に、自分以外の男の影が忍び寄っていることなど、知りもせずに。