恋の蛇足
それから帰り道の牛丼屋をちらりと覗くことが癖になった。
彼が座っているのが見えた。そして、いつも一人で食べていることを可哀想と思いながら、ほっとしている自分がいた。

二週間が過ぎても毎日同じように座っている彼を見て、急に心配になったのは本心からだった、と思う。

その週の金曜日、牛丼屋に入って彼の席まで真っ直ぐ向かう。
私を見つけた人懐っこい笑顔に癒される。

「一緒に食べます?」

「あのさ、今度夕飯食べに来ない?」

彼の顔からすっと微笑みが消えて、きょとんとしてこちらを見つめる。

「瞳子さんの家に、ですか」
おそらくこちらに注文を取りに来ようとした店員が、気まずそうに彼の後ろで止まって他のテーブルに向かっていった。
気持ち悪い誘い方になってしまっている自覚が急に芽生えて、変な汗が出てくる。

「いや、変な意味じゃなくて」

「料理作ってくれるってことですか?」

思ったより嫌そうな声ではないことに安堵する。

「う、うん、そのつもりだった。そのつもりしかなかった!」

「分かってますよ」

伏せた目を上げると、彼が笑いを堪えているような顔をしていた。

「僕、味付け濃いめが好きです」

「そうなんだ?」

「牛丼とかカレーとかハンバーグとか定番だけど好きです」

「作れる、よ」

「さすがですね。先輩、料理うまそうですもんね」

彼はわざとらしく顎に手を当てて考える素振りを見せてから、私の目を見つめた。

「うーん、でも夕飯はやめときます」

普段の人懐っこい声と同じように明るいけれど、ハッキリとした『ノー』に、先程まで密かに芽吹いていた希望は打ち砕かれた。
それなら最初からはっきりと断ってくれればいいのにと思い、勝手に腹を立ててる自分に驚く。

「昼飯なら行きたいです」
「え?」
「先輩の家行っていいんですよね」
「えっ」
「それにしても誘い方、大胆ですよね」
そう言うや否や、ブハッと噴き出して彼が笑った。

「やましい気持ちからじゃなくて!あれから毎日牛丼食べてるのが外から見えて」

「え?僕が牛丼食ってるの見てたんですか」

彼がさらに笑った。

「う、うん。でも、帰り道だからだよ」

「声かけてくれればいいのに。ああ、店の中だから無理か。でも、まだ一回しかちゃんと話したことないのに誘ってくれるんですか」

「確かに。そうだよね、おかしいな、私」

「かわいい」

彼がふっと笑って、私の目を覗き込んだ。
先輩にというより、対等な、むしろ年下に向けるような視線だった。

「んー。最初から夕飯っていうのもあれなので昼飯にしましょうね」

「え?」

最初から、という言葉に胸が躍った。
次があるのか、と思ってしまう。

「僕は明日空いてますけど、瞳子さんの予定は?」

瞳子さん、の響きに頬が緩む。

「空いてる」

「じゃ、明日でお願いします」

こうして、私たちは挨拶をする程度の仲から休みの日に会う関係になった。
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