コミュ障
次の日、私はいつもより一時間ほど早く出社した。
早起きは苦手だったけれど、何ができるかも分からない不安のままで家にいる事が耐えられなかった。
そして普段に比べると空いた電車に乗り会社に着いた。
まだ誰もいないオフィスはきっといつもと違う空気だろう。
それがいい刺激になればいいのだが。
そう思って自身のデスクに向かうと、なぜか阿部は既に出社してるようであった。
ようであったというのは、彼のパソコンが何かの作業中で開きっぱなしである事と、彼の姿がそこには無いことからの推測である。
「・・・画面ロックくらいしなさいよね」
そんな事は新入社員のオリエンテーションの一日目に言われることだ。
情報漏洩や個人情報保護に厳しい今の時代で、席を立つときはパソコンをロックする。
そんな当たり前で基本の行動ができないのに優秀な阿部に溜息をつきながら、私は代わりに画面をロックした。
大した労働でもないのに疲れたような溜息を吐いた私も、とりあえずパソコンの電源を入れる。
沢山のデータのせいで起動が重たいパソコンを待ちながら、新しく買ったノートを広げた。
デスクに置きっぱなしのインクの少ないボールペンで一ページ目に、今回の企画のタイトルを書き込む。
続いてシナリオのテーマを。
そして、そこでボールペンは止まってしまった。
自分がシナリオ担当になった昨日から家に帰ってもずっとこの企画のことを考えていた。
どんなストーリーにするのかは朧げながらも既に浮かんではいる。
だが、何から書き込んでいけばいいのかも分からず、グルグルと何重もの円を書き込んだだけにとどまってしまった。
こういう時自分は何から決めていたのだろう。
名前か、あらすじか、それとも入れたい台詞か。
自分で自分が分からなくなって、思考の海に溺れかけた時、扉の開く音が聞こえた。
近付いてくる足音と、消臭剤の無駄にフローラルな香りが届き、視界の端で椅子に座った阿部が目に入った。
「おはよ。真中今日は早いね」
「・・・おはよう」
ノートから目を離さずそれだけを返した私は、ついにボールペンを置いてしまった。
「早速書き始めるの?偉いね」
椅子をガラガラと響かせながら近付いて来た彼は、私のパソコンとノートを見ながらのんびりとそう告げた。
「・・・阿部がいつも書き始めるのが遅すぎるだけ」
「ははっ、まあなー。気分乗らないと書けなくないか?」
彼のそののんびりした様子も、明るいところもいつもと変わらなかった。
だけど、それを見る私はいつもより少し苛ついていたと思う。
「私は仕事だから書く、それだけ」
「・・・ふーん」
当たり前のことに何を感心したのか、阿部は何度か頷いただけであった。
でも私のデスクのそばを離れようとはせず、膝に手を置いてノートを睨め付けているだけの私を横から覗き込んでいた。
「・・・何?」
「なにもないよ?ただどんな感じにやるのかなって興味あるだけ」
邪魔?と先に聞かれてしまい、とてもその通りだというような空気では無くなってしまった。
ペンすら持たず何から始めて良いのか分からない私の邪魔になるのかと言われれば、甚だ疑問ではあるからだ。
彼はいつもこういう企画の時に結果を残してきている。
そんな彼がどのようにシナリオを書き始めるのか気にはなったが、わざわざ聞くような勇気も出なかった。
シナリオライターがシナリオの書き方を同僚に聞くなど失礼かもしれないし、笑われるかもしれない。
そう思うと、私の喉は何かに締め付けられたように聞くことができなくなっていた。
「ってか真中もだけどみんな早いよなー、始業一時間も前にこんな人来てると思わなかった」
「みんな頑張ってるんだから。普通じゃない?」
そう言った私の言葉に、阿部はぽかんと口を開いていた。
「真中、それマジで言ってる?」
「・・・なに。そうじゃないの?」
「えー・・・?はぁ・・・真中だなぁ」
そりゃ私は真中なのだから当たり前だろう。
何をいまさら変な言い方をするのかと睨み付けると、阿部は苦笑いを浮かべながらオフィス内を見回した。
こんな早い時間に来た事は私も数えるくらいしかなくて、ちらほら見える人数が多いのか少ないのかは自分でもよく分からない。
「前回さ、シリーズ物のアクションゲームだったろ?」
急な話の展開に怪訝に思いながらも、私は一度頷いた。
「大筋のストーリーは俺がやったけど・・・真中は何やったか覚えてる?」
「・・・サイドストーリーとか」
前回はメインが阿部。
物語とは関係のない寄り道のようなクエストのお話は私が担当した。
もっとも、寄り道のようなクエストとはよく言った物で、そこには大したストーリーもなく、街で困っている人を書いて何かアイテムを持ってこさせ、感謝して終わる。
それだけのストーリーだ。
伏線も山場も何もない。
「とかって。・・・え、なに本当にそんな認識な訳?」
困ったような呆れたような顔をしながら何故か声を潜めた阿部に、私はまた怪訝な視線を向ける。
「・・・あ、いや、いい。分かった」
はぁ、とわざとらしい溜息を聞かせてから、阿部は人差し指をピンと立てて教師のように口を開いた。
「あのな、そのサイドストーリーだって同じものは出せないから全部変える必要あっただろう?真中が何個書いたか覚えてないのか?」
そう言われるとはっきりとした数字は思い出せない。
全体を通して寄り道が多いゲームだったからやけに数が多くて大変だったことを思い出す。
「百超えてるんだよ?しかも、サイドストーリー担当だからってそれに関するキャラクターの設定から何から纏めてさ」
そう言われればそんな数もあったかも知れない。
でも特にそのサイドストーリーに面白さは邪魔な物だから、できるだけ変に感情が入らないような物を書いたのだ。
一つ数分でできたものが殆どなのだから言うほど時間は掛からなかった。
「・・・それを言ったらそれを纏めたのは阿部」
「俺は真中の吸い出したデータファイルにまとめただけだって。・・・で、前々回は覚えてるか?」
覚えているかというのは私の担当のことだろうか?
前々回は確かアドベンチャーゲームだった。
ノベル形式のもので、変わらずメインは阿部。
私は校閲を兼ねた見直しが主な仕事であった。
「その時もさ、誤字直したり表現変えながら、文字が上手く収まるようにしてただろ?変に一文字で改行されたりしないようにさ」
それはそうだろう。
そこも含めてのサポートであると思っていたのだが。
「そんなことを当然としてやってた真中が、メインストーリーになったんだぞ?・・・みんな焦ってるんだよ」
「・・・焦ってる?」
「当然のように他の部署に気配りしながら作業してた奴がサポートじゃなくなってさ、手を回してもらう余裕が無いんだろうなって考えると、自分たちがいつもより大変だって思ってんのさ」
それは・・・
確かにメインストーリーになれば阿部の言う通り他の部署の作業をついでに済ませるような事も減るだろう。
「だからみんな早く来て、今まで真中がやってた自分たちの仕事を見直してるの。真中ってめちゃくちゃ頼りにされてたんだぞ」
「・・・そんなわけないでしょ」
人と話すのが苦手だから自分で完結させる範囲を広げただけだ。
そこに何も気遣いなんてなかった。
「いや、そうなんだって」
そんな事を言われても自覚がないのだからなんとも言えない。
頼られていたと言われてもよく分からず、私は言葉を詰まらせてしまった。
「まぁいいや。頼られてたのは覚えときな。・・・で?今回のストーリーなんとなく見えてるの?」
「・・・今のところは、まだあんまり」
あんまりと言うのは少しだけ見栄を張っている。
本当はノートに何も書き込めていないとは言えず、それで言葉を切った。
「今回みたいな親子で旅ってさ、昔そんなゲームあったよね」
阿部は私の都合や思考などお構いなしにのんびりと話し掛け続けてくる。
「ほら、有名なRPGでさ、主人公とその奥さんとその子供と、みたいになってくゲーム。知らない?」
「ゲーム会社にいて知らなかったらダメでしょ」
あまりにも冷たい言い方であっただろうか。
でも、昨日から彼の言動が全て何か気になってしまう。
仕方のないことかもしれないが、軽く自分のコミュニケーション能力の低さに後悔していると、彼は何も気にしていないかのように笑っていた。
「はは、確かに。・・・あれってさ、どんな気分なんだろうね」
「・・・?」
彼の言っている質問の意図が分からず、私は初めてそこでノートから顔を上げて阿部を見やった。
彼は何が可笑しいのかニコニコと人当たりの良い笑顔を浮かべている。
「強いとは言えさ、俺だったら奥さんと子供を魔物が出る中、一緒に連れて行きたくないんだよなー。でも離れて自分がいつ死ぬか分からないのに一緒にいられないのも辛い。・・・真中だったらどうする?」
「・・・」
「あ、女の子の立場からでもいいよ?旦那がめちゃくちゃ強いけどいつ死ぬか分からない魔物の中の冒険に行くって言ったらついて行きたい?それとも集中できるようにって離れて待ってる?」
彼の会話のテンポは些か私には早過ぎた。
質問の意味を考えて言語化する前に、彼は急に質問を変えてしまう。
私がもたもたしている間、何が楽しいのか分からないが彼は笑顔のままで、考えている私の顔を真っ直ぐ見つめていた。
それは私が視線を外しても続けられ、そのせいで思考が鈍ってしまうのも自覚していた。
「私、は・・・」
私だったらどうだろう。
自分の書いてきたお話の中での恋愛の感情を思い出す。
そばにいたい。でも足を引っ張りたくない。
その相反する気持ちはどちらとも正解な気がした。
この会話はただの言葉遊びだとまで思ってしまい、答えを出しかねていると、
また扉の開く音が聞こえて部長が入ってきた。
それを皮切りに続々とメンバーが集まっていき、気が付けば始業のチャイムが鳴る。
私の答えが言語化される前に、私は朝礼のためにデスクを立ち上がった。
「みんなおはよう。今日の十七時で今回の企画用のデスク配置に変わるから、各自座席表を見ておいてくれ」
まだ眠たそうな部長の声が響き、同じようなスイッチの入り切っていない返事があちこちから聞こえてくる。
かく言う私もいつもであればそうなのだが。
今日は早い時間から活動していたし、さっきまで阿部と話していたせいだろうか。
いつもより頭が冴えているような感覚であった。
会話と言っても私の言葉はそんなに多くはなかったので会話と呼べるのかは不安だが。
それに、入社して何年も一緒に居るが、阿部と一対一でちゃんと話したのは初めてだったかもしれない。
「・・・って訳だ。今日も一日頑張ろう」
今まで自分がいかに周りとコミュニケーションが取れていなかったのかが浮き彫りになった気がして、少し落ち込んだ。
そしていつのまか部長の話が終わってしまっており、周りは座り直していた。
周りを軽く確認してから私も座り直すと、部長が近付いてくる。
「真中さん、阿部くん。二人ともちょっといいか?」
私と阿部が振り返ると、部長はスーツをかっちり着こなした若い男の子を連れ立っていた。
「彼はシナリオライター枠で採用したんだがずっと研修していてね。今日から合流させる。高村くんだ」
「はじめまして!高村大輝と言います。よろしくお願いします」
勢いよく頭を下げた彼は短髪をアップにしていて、見るからに元気いっぱいであった。
体育会系とも言うだろうか。
シナリオライター、ひいてはゲーム制作会社の中には珍しいタイプだな。
とぼんやり感想を抱きながら立ち上がって自己紹介を返す。
次いで自己紹介をした阿部は何処か嬉しそうだ。
彼は気が合う人間だと判断でもしたのだろうか。
「今パソコンやらの引っ越しをさせるから、準備ができたら軽く説明してやってくれ。・・・あぁ、あと阿部くんちょっといいかな」
「・・・はーい」
立ち上がった阿部は、おおよそ上司へするような返事ではない言葉を出してから高村くんの肩を叩いて部長と共に離れて行ってしまった。
初対面の彼を人見知りの私と二人きりにさせられても困るのだが。
「・・・あの、真中先輩。僕シナリオライターが夢だったんです。これから頑張ります」
「・・・えっ、あ・・・うん」
では、と彼はデスク移動の準備に戻ってしまう。
もっと先輩らしく何か声を掛けたほうが良かったのだろうか。
いや、それは阿部の方が得意で彼がやるべきか、と悶々と考えてしまい、結局新人の彼が準備を終えて声を掛けてくるまで、私のペンは一センチも動くことはなかった。
早起きは苦手だったけれど、何ができるかも分からない不安のままで家にいる事が耐えられなかった。
そして普段に比べると空いた電車に乗り会社に着いた。
まだ誰もいないオフィスはきっといつもと違う空気だろう。
それがいい刺激になればいいのだが。
そう思って自身のデスクに向かうと、なぜか阿部は既に出社してるようであった。
ようであったというのは、彼のパソコンが何かの作業中で開きっぱなしである事と、彼の姿がそこには無いことからの推測である。
「・・・画面ロックくらいしなさいよね」
そんな事は新入社員のオリエンテーションの一日目に言われることだ。
情報漏洩や個人情報保護に厳しい今の時代で、席を立つときはパソコンをロックする。
そんな当たり前で基本の行動ができないのに優秀な阿部に溜息をつきながら、私は代わりに画面をロックした。
大した労働でもないのに疲れたような溜息を吐いた私も、とりあえずパソコンの電源を入れる。
沢山のデータのせいで起動が重たいパソコンを待ちながら、新しく買ったノートを広げた。
デスクに置きっぱなしのインクの少ないボールペンで一ページ目に、今回の企画のタイトルを書き込む。
続いてシナリオのテーマを。
そして、そこでボールペンは止まってしまった。
自分がシナリオ担当になった昨日から家に帰ってもずっとこの企画のことを考えていた。
どんなストーリーにするのかは朧げながらも既に浮かんではいる。
だが、何から書き込んでいけばいいのかも分からず、グルグルと何重もの円を書き込んだだけにとどまってしまった。
こういう時自分は何から決めていたのだろう。
名前か、あらすじか、それとも入れたい台詞か。
自分で自分が分からなくなって、思考の海に溺れかけた時、扉の開く音が聞こえた。
近付いてくる足音と、消臭剤の無駄にフローラルな香りが届き、視界の端で椅子に座った阿部が目に入った。
「おはよ。真中今日は早いね」
「・・・おはよう」
ノートから目を離さずそれだけを返した私は、ついにボールペンを置いてしまった。
「早速書き始めるの?偉いね」
椅子をガラガラと響かせながら近付いて来た彼は、私のパソコンとノートを見ながらのんびりとそう告げた。
「・・・阿部がいつも書き始めるのが遅すぎるだけ」
「ははっ、まあなー。気分乗らないと書けなくないか?」
彼のそののんびりした様子も、明るいところもいつもと変わらなかった。
だけど、それを見る私はいつもより少し苛ついていたと思う。
「私は仕事だから書く、それだけ」
「・・・ふーん」
当たり前のことに何を感心したのか、阿部は何度か頷いただけであった。
でも私のデスクのそばを離れようとはせず、膝に手を置いてノートを睨め付けているだけの私を横から覗き込んでいた。
「・・・何?」
「なにもないよ?ただどんな感じにやるのかなって興味あるだけ」
邪魔?と先に聞かれてしまい、とてもその通りだというような空気では無くなってしまった。
ペンすら持たず何から始めて良いのか分からない私の邪魔になるのかと言われれば、甚だ疑問ではあるからだ。
彼はいつもこういう企画の時に結果を残してきている。
そんな彼がどのようにシナリオを書き始めるのか気にはなったが、わざわざ聞くような勇気も出なかった。
シナリオライターがシナリオの書き方を同僚に聞くなど失礼かもしれないし、笑われるかもしれない。
そう思うと、私の喉は何かに締め付けられたように聞くことができなくなっていた。
「ってか真中もだけどみんな早いよなー、始業一時間も前にこんな人来てると思わなかった」
「みんな頑張ってるんだから。普通じゃない?」
そう言った私の言葉に、阿部はぽかんと口を開いていた。
「真中、それマジで言ってる?」
「・・・なに。そうじゃないの?」
「えー・・・?はぁ・・・真中だなぁ」
そりゃ私は真中なのだから当たり前だろう。
何をいまさら変な言い方をするのかと睨み付けると、阿部は苦笑いを浮かべながらオフィス内を見回した。
こんな早い時間に来た事は私も数えるくらいしかなくて、ちらほら見える人数が多いのか少ないのかは自分でもよく分からない。
「前回さ、シリーズ物のアクションゲームだったろ?」
急な話の展開に怪訝に思いながらも、私は一度頷いた。
「大筋のストーリーは俺がやったけど・・・真中は何やったか覚えてる?」
「・・・サイドストーリーとか」
前回はメインが阿部。
物語とは関係のない寄り道のようなクエストのお話は私が担当した。
もっとも、寄り道のようなクエストとはよく言った物で、そこには大したストーリーもなく、街で困っている人を書いて何かアイテムを持ってこさせ、感謝して終わる。
それだけのストーリーだ。
伏線も山場も何もない。
「とかって。・・・え、なに本当にそんな認識な訳?」
困ったような呆れたような顔をしながら何故か声を潜めた阿部に、私はまた怪訝な視線を向ける。
「・・・あ、いや、いい。分かった」
はぁ、とわざとらしい溜息を聞かせてから、阿部は人差し指をピンと立てて教師のように口を開いた。
「あのな、そのサイドストーリーだって同じものは出せないから全部変える必要あっただろう?真中が何個書いたか覚えてないのか?」
そう言われるとはっきりとした数字は思い出せない。
全体を通して寄り道が多いゲームだったからやけに数が多くて大変だったことを思い出す。
「百超えてるんだよ?しかも、サイドストーリー担当だからってそれに関するキャラクターの設定から何から纏めてさ」
そう言われればそんな数もあったかも知れない。
でも特にそのサイドストーリーに面白さは邪魔な物だから、できるだけ変に感情が入らないような物を書いたのだ。
一つ数分でできたものが殆どなのだから言うほど時間は掛からなかった。
「・・・それを言ったらそれを纏めたのは阿部」
「俺は真中の吸い出したデータファイルにまとめただけだって。・・・で、前々回は覚えてるか?」
覚えているかというのは私の担当のことだろうか?
前々回は確かアドベンチャーゲームだった。
ノベル形式のもので、変わらずメインは阿部。
私は校閲を兼ねた見直しが主な仕事であった。
「その時もさ、誤字直したり表現変えながら、文字が上手く収まるようにしてただろ?変に一文字で改行されたりしないようにさ」
それはそうだろう。
そこも含めてのサポートであると思っていたのだが。
「そんなことを当然としてやってた真中が、メインストーリーになったんだぞ?・・・みんな焦ってるんだよ」
「・・・焦ってる?」
「当然のように他の部署に気配りしながら作業してた奴がサポートじゃなくなってさ、手を回してもらう余裕が無いんだろうなって考えると、自分たちがいつもより大変だって思ってんのさ」
それは・・・
確かにメインストーリーになれば阿部の言う通り他の部署の作業をついでに済ませるような事も減るだろう。
「だからみんな早く来て、今まで真中がやってた自分たちの仕事を見直してるの。真中ってめちゃくちゃ頼りにされてたんだぞ」
「・・・そんなわけないでしょ」
人と話すのが苦手だから自分で完結させる範囲を広げただけだ。
そこに何も気遣いなんてなかった。
「いや、そうなんだって」
そんな事を言われても自覚がないのだからなんとも言えない。
頼られていたと言われてもよく分からず、私は言葉を詰まらせてしまった。
「まぁいいや。頼られてたのは覚えときな。・・・で?今回のストーリーなんとなく見えてるの?」
「・・・今のところは、まだあんまり」
あんまりと言うのは少しだけ見栄を張っている。
本当はノートに何も書き込めていないとは言えず、それで言葉を切った。
「今回みたいな親子で旅ってさ、昔そんなゲームあったよね」
阿部は私の都合や思考などお構いなしにのんびりと話し掛け続けてくる。
「ほら、有名なRPGでさ、主人公とその奥さんとその子供と、みたいになってくゲーム。知らない?」
「ゲーム会社にいて知らなかったらダメでしょ」
あまりにも冷たい言い方であっただろうか。
でも、昨日から彼の言動が全て何か気になってしまう。
仕方のないことかもしれないが、軽く自分のコミュニケーション能力の低さに後悔していると、彼は何も気にしていないかのように笑っていた。
「はは、確かに。・・・あれってさ、どんな気分なんだろうね」
「・・・?」
彼の言っている質問の意図が分からず、私は初めてそこでノートから顔を上げて阿部を見やった。
彼は何が可笑しいのかニコニコと人当たりの良い笑顔を浮かべている。
「強いとは言えさ、俺だったら奥さんと子供を魔物が出る中、一緒に連れて行きたくないんだよなー。でも離れて自分がいつ死ぬか分からないのに一緒にいられないのも辛い。・・・真中だったらどうする?」
「・・・」
「あ、女の子の立場からでもいいよ?旦那がめちゃくちゃ強いけどいつ死ぬか分からない魔物の中の冒険に行くって言ったらついて行きたい?それとも集中できるようにって離れて待ってる?」
彼の会話のテンポは些か私には早過ぎた。
質問の意味を考えて言語化する前に、彼は急に質問を変えてしまう。
私がもたもたしている間、何が楽しいのか分からないが彼は笑顔のままで、考えている私の顔を真っ直ぐ見つめていた。
それは私が視線を外しても続けられ、そのせいで思考が鈍ってしまうのも自覚していた。
「私、は・・・」
私だったらどうだろう。
自分の書いてきたお話の中での恋愛の感情を思い出す。
そばにいたい。でも足を引っ張りたくない。
その相反する気持ちはどちらとも正解な気がした。
この会話はただの言葉遊びだとまで思ってしまい、答えを出しかねていると、
また扉の開く音が聞こえて部長が入ってきた。
それを皮切りに続々とメンバーが集まっていき、気が付けば始業のチャイムが鳴る。
私の答えが言語化される前に、私は朝礼のためにデスクを立ち上がった。
「みんなおはよう。今日の十七時で今回の企画用のデスク配置に変わるから、各自座席表を見ておいてくれ」
まだ眠たそうな部長の声が響き、同じようなスイッチの入り切っていない返事があちこちから聞こえてくる。
かく言う私もいつもであればそうなのだが。
今日は早い時間から活動していたし、さっきまで阿部と話していたせいだろうか。
いつもより頭が冴えているような感覚であった。
会話と言っても私の言葉はそんなに多くはなかったので会話と呼べるのかは不安だが。
それに、入社して何年も一緒に居るが、阿部と一対一でちゃんと話したのは初めてだったかもしれない。
「・・・って訳だ。今日も一日頑張ろう」
今まで自分がいかに周りとコミュニケーションが取れていなかったのかが浮き彫りになった気がして、少し落ち込んだ。
そしていつのまか部長の話が終わってしまっており、周りは座り直していた。
周りを軽く確認してから私も座り直すと、部長が近付いてくる。
「真中さん、阿部くん。二人ともちょっといいか?」
私と阿部が振り返ると、部長はスーツをかっちり着こなした若い男の子を連れ立っていた。
「彼はシナリオライター枠で採用したんだがずっと研修していてね。今日から合流させる。高村くんだ」
「はじめまして!高村大輝と言います。よろしくお願いします」
勢いよく頭を下げた彼は短髪をアップにしていて、見るからに元気いっぱいであった。
体育会系とも言うだろうか。
シナリオライター、ひいてはゲーム制作会社の中には珍しいタイプだな。
とぼんやり感想を抱きながら立ち上がって自己紹介を返す。
次いで自己紹介をした阿部は何処か嬉しそうだ。
彼は気が合う人間だと判断でもしたのだろうか。
「今パソコンやらの引っ越しをさせるから、準備ができたら軽く説明してやってくれ。・・・あぁ、あと阿部くんちょっといいかな」
「・・・はーい」
立ち上がった阿部は、おおよそ上司へするような返事ではない言葉を出してから高村くんの肩を叩いて部長と共に離れて行ってしまった。
初対面の彼を人見知りの私と二人きりにさせられても困るのだが。
「・・・あの、真中先輩。僕シナリオライターが夢だったんです。これから頑張ります」
「・・・えっ、あ・・・うん」
では、と彼はデスク移動の準備に戻ってしまう。
もっと先輩らしく何か声を掛けたほうが良かったのだろうか。
いや、それは阿部の方が得意で彼がやるべきか、と悶々と考えてしまい、結局新人の彼が準備を終えて声を掛けてくるまで、私のペンは一センチも動くことはなかった。