コミュ障
「改めて、阿部だよ。よろしくね」
「よろしくお願いします」
昼休みで皆がデスクからいなくなって閑散としているブースで、私たち三人は膝を突き合わせていた。
自己紹介をした阿部がハリウッド映画のようにフランクに握手をしているところを見届けてから、私も小さく息を吸い込んだ。
「・・・真中です」
「あ、はい・・・高村です。お願いします」
早速阿部に毒されてしまったのか手を差し出してくる高村くん。
その両手の中に少しだけ右手を差し出すと、彼は全力で握りしめてきた。
嫌いではない。嫌いではないが苦手なタイプだ。
と既に栓をひいてしまいながら手を引くと、阿部はいつも通りの笑顔を浮かべていた。
「高村ってさ、昼飯どうしてるの?」
デスクの上に放り出されていた黒い長財布を手の中で弄びながら阿部が声を掛ける。
「僕は研修中みんなであちこち食べに行ってました」
「そうなんだ。じゃ、今日も外食?だったらどっか一緒に食べに行こうぜ」
「えっ、いいんですか?是非」
心から嬉しそうに笑いながら、高村くんは立ち上がった。
そんな彼と一緒に立ち上がった阿部は、私を笑顔のままで見下ろした。
「真中もコンビニとか外食だろう?三人で飯行こうぜ」
「・・・私はシナリオ進めたいからご飯食べない」
「最初からそんな根詰める事無いって。はい、行くよー」
「ちょ、ちょっと・・・」
勝手に私のパソコンをロックした阿部は、急かすように私の椅子の背もたれを揺らした。
どうせついていっても碌に話すことなどないと内心で嘆息しながら、私は観念して財布を持って立ち上がった。
「定食屋でいい?あそこタバコ吸えるからお気に入りなんだよね」
私と高村くんの前を歩きながら勝手に決めた彼に、高村くんは笑顔で駆け寄った。
「阿部先輩もタバコ吸われるんですね」
「お、“も”って事は高村も?」
「はい、やめようと思ってたんですけど結局電子タバコに落ち着いてます」
「俺は紙から電子タバコにして今また紙にしちゃったなぁ」
「僕もお酒とか飲んじゃうと物足りなくなる時やっぱりありますよ・・・」
「だよなー。ってか、高村酒とかめっちゃ飲みそうだね」
私の二メートルほど前。
高村くんはすっかり阿部に懐いた様子であった。
二人の会話のテンポが素早く流れるのを見ながら、どうも私にはなじめそうに無い空間だ。と諦めた。
街に出るとむわっと一気に暑くなったのは夏のせいか、それとも前の二人のせいなのだろうか。
そんなことをぼんやりと考えながらただついていくと、古ぼけた定食屋へと入っていく。
ランチ難民という言葉が生まれるほどにこのオフィス街ではあちこちが混むのだが、この定食屋は一見するとただの民家であり、看板も暖簾も出していないせいなのだろうか、店内には私たち以外の姿はなかった。
「ここお店だったんですね・・・」
小さなテレビの音に隠れるように高村くんが小声で話し掛けてくれたが、私は曖昧に笑って頷くしか返すことができなかった。
阿部と話していた方が楽しそうなのに申し訳ない。
と内心で謝りながらメニューを掲げ、私は彼らとの間に薄っぺらい壁を建てた。
「おばあちゃん、俺カツとじの大盛り。後灰皿貰える?」
対外では一応の丁寧さを保つ阿部がため口で話すという事は常連なのだろう。
定員もまた阿部の顔を見ると笑顔で何気ない会話を交わしているから間違いなさそうだ。
相も変らずコミュニケーションの化け物だと思う。
「あ、じゃ俺は生姜焼き大盛りで」
「あいよっ!二人とも大盛りね」
その威勢の良い定員さんの声に、私の「野菜炒め定食をお願いします」という声は被ってしまったようだ。
厨房に野菜炒め定食を伝える声は響かなかった。
甲斐甲斐しくセルフサービスのお冷を高村くんから受け取りながら、私は少しだけ椅子を引いた。
だが、私が立ち上がるよりも早く、阿部が灰皿を受け取りに立ち上がってしまい、なんとなくタイミングを逃してしまった。
まぁ、お昼はもともと基本食べないタイプだ。
阿部に半ば強制で連れて来られたのだから、むしろ好都合だ。
定員さんが「女性だから食べないのだろう」と判断してくれるならそれで良いし、わざわざ今更注文するのも億劫だ。
そう考えながらお冷を口に付けると、阿部と高村くんはそれぞれのタバコを咥えながら話し始めていた。
「あの、阿部先輩。シナリオって僕たち三人しか居ないんですか?」
「そうなんだよー。部長にはずっと人員募集してくれって言ってんだけどね」
それはその通りだ。
だが、補充されない原因は他ならぬ阿部だとも思う。
人手が足りず回らなくなりそうなギリギリで、いつも彼は大体一人で何とかしてしまうのだ。
一人で、と言っても全て書ききる訳ではなく、なぜかうまい具合に私に仕事を振ってくるのだが。
それがまた私の得意とするところであったり、私が頑張れば終わらせられる量だったりで悔しくもある。
優秀というのはまさに彼の為にあるような言葉であった。
「だから高村が来てくれて嬉しいよ。きつい事とかあったらすぐ俺たちに言えよ?」
だからといってこういう時に私を巻き込むのは、やめて欲しいのだが。
「はい!先輩たち優しいんですね」
「はは、まあなー。ところで高村はなんでシナリオライター選んだんだ?」
手元にある灰皿にタバコを捨てた阿部がインタビューの真似事のように握り拳を高村くんに向けると、彼は少しだけ恥ずかしそうに頭を掻いた。
「僕、本当は漫画を描きたいなって思ってたんですけど・・・絵は本当全然上手くなくて・・・」
「なるほどね。でもそれだったら原作って感じで漫画に携われるんじゃないの?」
「あ、えーっと・・・ゲームも好きだったので」
少し驚いたような表情の高村くんは取り繕うように早口でそう続け、それに阿部が頷いているのが、グラスを見つめている私の視界に入った。
確かに阿部の言う通り漫画関係の仕事はあったはずだ。
でもその言葉は、高村くんには少し残酷なようにも思えた。
私がこのゲーム会社に入ったのも似たような理由だと思う。
もともと小説家にはなりたかったけれど、就職するまでに結果なんて出せるわけも無くて。
取り敢えず物語を書ける仕事を、と片っ端から受けていた所拾ってくれたのがこの会社だった。
今でこそゲームのシナリオライターという事は楽しんでいるし誇りにも思っているが、入社のきっかけなんてただ受かったから、というものだ。
最初から目指していた夢を叶えている阿部と、私たちでは根本的に何かが違うのだ。
私たちが分かり合える事は、きっと無い。
「はい、お待たせー」
定員さんが器用にトレーを二つ持ってきたのはそんな考えがさらに後ろ向きになってしまう前だった。
気分が変わって良かった。マイナス思考は自分の悪いところだと自分を戒めて頭を振ると、目の前に置かれたトレーを見つめ直した。
「・・・あれ」
そう、目の前のトレーである。
私の前に置かれたトレーにはご飯とお味噌汁、漬物に野菜炒めが温かそうな湯気を放っていた。
「あれ、注文違ったかい?」
トレーと定員さんの顔を交互に見てしまうと、定員さんは申し訳なさそうな表情を浮かべてしまった。
慌てて首を横に振った私は、既に自分のカツとじを食べ始めている阿部を見つめた。
自分が注文して届かなかった時から定員さんのところに行ったのは彼だけだ。
彼がわざわざ伝えに言ってくれたのだろうか。
それとも自分の注文が定員さんに届いていたのか、と希望的な観測をしながらも箸を動かし始めた。
そんな私を、なぜだかニヤニヤと見つめていた定員さんの顔がやけに印象に残った昼休みだった。
「よろしくお願いします」
昼休みで皆がデスクからいなくなって閑散としているブースで、私たち三人は膝を突き合わせていた。
自己紹介をした阿部がハリウッド映画のようにフランクに握手をしているところを見届けてから、私も小さく息を吸い込んだ。
「・・・真中です」
「あ、はい・・・高村です。お願いします」
早速阿部に毒されてしまったのか手を差し出してくる高村くん。
その両手の中に少しだけ右手を差し出すと、彼は全力で握りしめてきた。
嫌いではない。嫌いではないが苦手なタイプだ。
と既に栓をひいてしまいながら手を引くと、阿部はいつも通りの笑顔を浮かべていた。
「高村ってさ、昼飯どうしてるの?」
デスクの上に放り出されていた黒い長財布を手の中で弄びながら阿部が声を掛ける。
「僕は研修中みんなであちこち食べに行ってました」
「そうなんだ。じゃ、今日も外食?だったらどっか一緒に食べに行こうぜ」
「えっ、いいんですか?是非」
心から嬉しそうに笑いながら、高村くんは立ち上がった。
そんな彼と一緒に立ち上がった阿部は、私を笑顔のままで見下ろした。
「真中もコンビニとか外食だろう?三人で飯行こうぜ」
「・・・私はシナリオ進めたいからご飯食べない」
「最初からそんな根詰める事無いって。はい、行くよー」
「ちょ、ちょっと・・・」
勝手に私のパソコンをロックした阿部は、急かすように私の椅子の背もたれを揺らした。
どうせついていっても碌に話すことなどないと内心で嘆息しながら、私は観念して財布を持って立ち上がった。
「定食屋でいい?あそこタバコ吸えるからお気に入りなんだよね」
私と高村くんの前を歩きながら勝手に決めた彼に、高村くんは笑顔で駆け寄った。
「阿部先輩もタバコ吸われるんですね」
「お、“も”って事は高村も?」
「はい、やめようと思ってたんですけど結局電子タバコに落ち着いてます」
「俺は紙から電子タバコにして今また紙にしちゃったなぁ」
「僕もお酒とか飲んじゃうと物足りなくなる時やっぱりありますよ・・・」
「だよなー。ってか、高村酒とかめっちゃ飲みそうだね」
私の二メートルほど前。
高村くんはすっかり阿部に懐いた様子であった。
二人の会話のテンポが素早く流れるのを見ながら、どうも私にはなじめそうに無い空間だ。と諦めた。
街に出るとむわっと一気に暑くなったのは夏のせいか、それとも前の二人のせいなのだろうか。
そんなことをぼんやりと考えながらただついていくと、古ぼけた定食屋へと入っていく。
ランチ難民という言葉が生まれるほどにこのオフィス街ではあちこちが混むのだが、この定食屋は一見するとただの民家であり、看板も暖簾も出していないせいなのだろうか、店内には私たち以外の姿はなかった。
「ここお店だったんですね・・・」
小さなテレビの音に隠れるように高村くんが小声で話し掛けてくれたが、私は曖昧に笑って頷くしか返すことができなかった。
阿部と話していた方が楽しそうなのに申し訳ない。
と内心で謝りながらメニューを掲げ、私は彼らとの間に薄っぺらい壁を建てた。
「おばあちゃん、俺カツとじの大盛り。後灰皿貰える?」
対外では一応の丁寧さを保つ阿部がため口で話すという事は常連なのだろう。
定員もまた阿部の顔を見ると笑顔で何気ない会話を交わしているから間違いなさそうだ。
相も変らずコミュニケーションの化け物だと思う。
「あ、じゃ俺は生姜焼き大盛りで」
「あいよっ!二人とも大盛りね」
その威勢の良い定員さんの声に、私の「野菜炒め定食をお願いします」という声は被ってしまったようだ。
厨房に野菜炒め定食を伝える声は響かなかった。
甲斐甲斐しくセルフサービスのお冷を高村くんから受け取りながら、私は少しだけ椅子を引いた。
だが、私が立ち上がるよりも早く、阿部が灰皿を受け取りに立ち上がってしまい、なんとなくタイミングを逃してしまった。
まぁ、お昼はもともと基本食べないタイプだ。
阿部に半ば強制で連れて来られたのだから、むしろ好都合だ。
定員さんが「女性だから食べないのだろう」と判断してくれるならそれで良いし、わざわざ今更注文するのも億劫だ。
そう考えながらお冷を口に付けると、阿部と高村くんはそれぞれのタバコを咥えながら話し始めていた。
「あの、阿部先輩。シナリオって僕たち三人しか居ないんですか?」
「そうなんだよー。部長にはずっと人員募集してくれって言ってんだけどね」
それはその通りだ。
だが、補充されない原因は他ならぬ阿部だとも思う。
人手が足りず回らなくなりそうなギリギリで、いつも彼は大体一人で何とかしてしまうのだ。
一人で、と言っても全て書ききる訳ではなく、なぜかうまい具合に私に仕事を振ってくるのだが。
それがまた私の得意とするところであったり、私が頑張れば終わらせられる量だったりで悔しくもある。
優秀というのはまさに彼の為にあるような言葉であった。
「だから高村が来てくれて嬉しいよ。きつい事とかあったらすぐ俺たちに言えよ?」
だからといってこういう時に私を巻き込むのは、やめて欲しいのだが。
「はい!先輩たち優しいんですね」
「はは、まあなー。ところで高村はなんでシナリオライター選んだんだ?」
手元にある灰皿にタバコを捨てた阿部がインタビューの真似事のように握り拳を高村くんに向けると、彼は少しだけ恥ずかしそうに頭を掻いた。
「僕、本当は漫画を描きたいなって思ってたんですけど・・・絵は本当全然上手くなくて・・・」
「なるほどね。でもそれだったら原作って感じで漫画に携われるんじゃないの?」
「あ、えーっと・・・ゲームも好きだったので」
少し驚いたような表情の高村くんは取り繕うように早口でそう続け、それに阿部が頷いているのが、グラスを見つめている私の視界に入った。
確かに阿部の言う通り漫画関係の仕事はあったはずだ。
でもその言葉は、高村くんには少し残酷なようにも思えた。
私がこのゲーム会社に入ったのも似たような理由だと思う。
もともと小説家にはなりたかったけれど、就職するまでに結果なんて出せるわけも無くて。
取り敢えず物語を書ける仕事を、と片っ端から受けていた所拾ってくれたのがこの会社だった。
今でこそゲームのシナリオライターという事は楽しんでいるし誇りにも思っているが、入社のきっかけなんてただ受かったから、というものだ。
最初から目指していた夢を叶えている阿部と、私たちでは根本的に何かが違うのだ。
私たちが分かり合える事は、きっと無い。
「はい、お待たせー」
定員さんが器用にトレーを二つ持ってきたのはそんな考えがさらに後ろ向きになってしまう前だった。
気分が変わって良かった。マイナス思考は自分の悪いところだと自分を戒めて頭を振ると、目の前に置かれたトレーを見つめ直した。
「・・・あれ」
そう、目の前のトレーである。
私の前に置かれたトレーにはご飯とお味噌汁、漬物に野菜炒めが温かそうな湯気を放っていた。
「あれ、注文違ったかい?」
トレーと定員さんの顔を交互に見てしまうと、定員さんは申し訳なさそうな表情を浮かべてしまった。
慌てて首を横に振った私は、既に自分のカツとじを食べ始めている阿部を見つめた。
自分が注文して届かなかった時から定員さんのところに行ったのは彼だけだ。
彼がわざわざ伝えに言ってくれたのだろうか。
それとも自分の注文が定員さんに届いていたのか、と希望的な観測をしながらも箸を動かし始めた。
そんな私を、なぜだかニヤニヤと見つめていた定員さんの顔がやけに印象に残った昼休みだった。