谷間の姫百合 〜Liljekonvalj〜

「い、いきなり……な、なにを言い出すの?」

ヘッダが、青ざめた顔に唇を震わせて娘を見た。

「おかあさま……私は本気よ」

リリは、母親をまっすぐ見据えて告げた。

「だって……そんな……結婚式は今月なのよ?」

グランホルム大尉とリリの挙式は今月末の Midsommar(夏至祭)の一週前に予定されていて、それはあと二週間後に迫っていた。

「ごめんなさい……でも、どうしても……私には無理なのよ……」

先ほどまでの穏やかで和やかな雰囲気は、今やすっかり過去のものとなっていた。

「まさか……好きな男でもいるのか?」

ため息とともに、ラーシュが問うてきた。

「そんな(ひと)なんて、いないわ」

リリは、即座に否定した。
そもそも、異性に出会う機会すらないのだ。
貴族の子女と違って「社交シーズン」がなく、教会での礼拝や奉仕活動(ボランティア)以外には街へ出かけることもない、日々(やしき)の中で本を読んだり縫い物や編み物をしたりして過ごす生活をしている。

「だったら……なぜ……今になって……」

ヘッダは消え入りそうな声でつぶやいた。
嫁ぐ前は父親に、嫁いだ後は夫に従って、家族のために生きることに何の疑いも持たぬ彼女には、父親の意向に(そむ)こうとしている娘の「所業」がさっぱり理解できなかった。


「本当の理由はなんだい、リリ?
……どうして、グランホルムとでは『無理』だと思うの?」

今度は(なだ)めるような感じで、ラーシュが尋ねてきた。

「だって……住む世界が違うわ。彼はHedrande(貴族の令息)だもの」

「『住む世界』って……彼は爵位も継がないし、HedrandeというよりはSoldat(軍人)だけどねぇ……」

「彼がどういう人なのかなんて、私にはわからないわ。なぜなら、婚約が決まったあとも、ほとんど顔を合わせたことがないのだもの。彼の方こそ、私のような商人の娘などと結婚なんかしたくないのではなくて?」

「確かに、彼は軍功をあげるために、この三年間ほとんど賜暇に目もくれず、軍務に没頭していたことは否めないけれどね」

「だったら……いっそうのこと私なんかより、軍の中でもっと出世できそうな上司の息女とでも結婚なさった方がよろしくて?」

リリはその翠玉色(エメラルドグリーン)の瞳を(かげ)らせて、じっと兄を見つめた。

「これは……彼のためでもあるのよ」


「……リリ」

それまで黙っていたオーケが、口を開いた。

「覚悟はできてるんだな?」

リリは自分を励まして、父親の方へ向き直った。

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