谷間の姫百合 〜Liljekonvalj〜
「……私は、自分のたった一人しかいない娘に、そんな決意をさせるために旧教から新教に改宗しなかったわけでも、今まで修道会に多額の寄付をしてきたわけでもないのだがね」
オーケは苦々しくそう言ったあと、重い息を吐いた。
彼らは、スウェーデンではめずらしくカトリックのキリスト教徒である。
贖宥状を購入すれば、教会から犯した罪が赦されるというローマ・カトリックに対し、ドイツのマルティン・ルターが抵抗して始まった宗教改革によって、この国のキリスト教徒の多くが福音ルター派に宗旨替えしたのだが、彼ら一族は相変わらず旧教徒だった。
オーケは若かりし頃、新教徒であるヘッダとの婚姻の際に改宗しようかと、かなり迷った。
だが、彼女の方がすんなり旧教徒になったことと、同じ宗教改革の立役者でもスイスのジャン・カルヴァンのように、物を生み出さずに金銭だけを動かして儲ける浅ましい存在として見られてきた商工業者に、光を与えてくれる宗派であればいざ知らず、農民のためにドイツ農民戦争を闘ったルターは、商工業者に対しては旧教とさほど変わらない見解であったから、彼は結局そのままでいた。
しかし、このときばかりはそれを後悔していた。
新教には修道会がないため、生涯独身であることを義務付けられたMunkもNunnaもいないからだ。
現にルター自身、妻に娶ったカタリナが還俗した元修道女だった。
実は、リリがグランホルム大尉との結婚に抗いたい理由の一つに、この問題が大きく立ちはだかっていた。
男爵・グランホルム家は福音ルター派に属している。そのため、マリア様を信奉する敬虔なカトリック教徒であるリリは、結婚式の直前に改宗することになっていた。
「聖書に書かれている」ことを信仰の指針とする福音ルター派の信徒にとって、「聖書に書かれていない」聖母マリアを信仰することは「聖書に背く」行為である。
しかし、リリにはマリア様への信仰の証であるロザリオを手離すことなど、どうしてもできなかったのだ。