谷間の姫百合 〜Liljekonvalj〜
ところが、少女は最後の歌の ♪ Den blomstertid nu kommer(花の咲きこぼれるあの季節がやってくる)まで、高らかに歌いきった。
この時季にぴったりな、そしてこの国の民が愛してやまない、夏への讃美歌である。
大いに盛り上がったところで彼女は退き、そのあとはまた楽団がダンスを誘う調べを奏で始めた。
しかし、聞こえてくるのは三拍子の調子をきっちりと守る格調高き円舞曲ではなく、同じ三拍子のはずなのにどこか変速的に聴こえるPolskaであった。
ポルスカとは、もともとは「ポーランド風の音楽」という意であったが、今ではこの国スウェーデンの市井の民が愛する庶民的な音楽のことを指すようになった。
幼い頃から親しんだ陽気でやんちゃな曲調に煽られて、一代貴族である Riddareの家の若者たちが、次々とダンスフロアへと飛び出して行く。
リリも正直いって、内心うずうずしていた。
生まれ育ったイェーテボリの街では、毎年行われるMidsommarの際には、明るく軽快なポルスカの調べに乗って、いつまでも明けぬ白い夜の下、ほぼ夜通し踊るのだ。
そこに、人々の貴賎はない。
老いも若きも、富める者も貧しい者も、みな無礼講で一晩中踊り狂うのだ。
『……失礼、あなたをポルスカにお誘いしても?』
不意に、士爵を名乗る青年がリリに手を差し出してきた。
一瞬、思わずその手を取りかけたリリであったが、すぐ隣にはそうはさせない存在があった。
いくら舞踏会とはいえ、近い将来男爵家の一員になる予定の娘が踊るダンスとしては、不適切なのは火を見るより明らかだ。
……グランホルム大尉の御名に傷がつくことはできないわ。
『……ごめんあそばせ……私には婚約者が……』
その夜、リリがその手に限らず、だれかの手を取ってダンスフロアでポルスカを踊ることはなかった。