時枝君の恋愛指南
ここは一旦、こちらも落ち着いて対応しなければならない。

『こんなこと、本気で言ってるわけじゃないですよね』
『俺が仕事がらみで、この手の冗談を言ったことがあるか?』
『それは…』
『案ずるな…この件は、俺だけが独断で決めたわけじゃない、当然社長にも了解をもらってる』
『社長に!?』
『ああ、前にも言っただろ?社長は元からお前の解雇には反対してた。みすみすお前のような逸材を、何年も遊ばせて置くのはもったいないと、俺の提案には快く承諾してくれたぞ』
『そんな…』

社長までも承諾済みであれば、こちらはもう、何も抗えなくなってしまう。

こうやって常に先回りして外堀を固めるのは、専務の交渉のやり口として専売特許のようなものだった。

確かに、この手法でどれだけの勝算を得てきたのか、ずっと見てきた自分が一番わかっている、わかってはいるのだが…

『しかし、こんな子供騙しのような…』
『如月』

良く響く低音で名を呼ばれ、下がっていた視線を上げると、専務の澄んだ漆黒の瞳に、吸い込まれるように、捉えられてしまう。

『頼む、お前の力が必要なんだ』

相手が男性であるのにも関わらず、ドキリと、心臓が鷲掴みにされたような感覚に陥った。

ジッと、視線を逸らすことなく、真剣な眼差しで真っすぐに見つめられたままそう言われてしまえば、まるで術にかかったように、否定的な言葉は返せなくなる。

威圧感とは違う、何か見えない力が働いているような錯覚。

こうなってしまうと、もうこちらは観念せざるえない。
< 8 / 21 >

この作品をシェア

pagetop