消えた卒業式とヒーローの叫び

 鈍く脆い音が響いた。その絵は確かに私の手元に返ってきて、その反動で私は尻もちをつく。

 だが、それは相手も同じだった。まるで鏡のように手に紙が吸い付いている。

 破れたのだ。この世にたった一枚しかない、私の大切な絵が。

「……ご、ごめ……」

 そこまでするつもりじゃなかったのだろう。小さな声で謝ろうとする松木。でもそんなこと、どうでも良かった。喪失感と、怒りが私を襲った。

 溢れそうになる涙を必死に堪え、唇を噛み締めながら立ち上がる。そして彼のいる空間に足を踏み入れ、その手にあった絵を勢いよく奪った。

 そうして、これでもかと言うくらい睨みつけたと思う。松木は何も言わなかった。私も何も言わずにその場から立ち去る。

 私は何か罵倒できるような言葉を使えるほど、強い人間ではなかった。

 ただやられた事をひたすら受け止め、自分の中に溜め込み、仕返しだって言い返すことだってできなかった。弱い人間だった。

 日彩と繋いだ手が離れてしまった絵を見て、どうしようもなく悔しい気持ちに包まれる。

 悲しくて、悔しくて。松木のことは大嫌いだった。でも、何もやり返せない自分も嫌いだった。

 幸い、男子トイレに入ったことを公言されることはなかった。それにその事件以降、目も合わせないように避け続けていると、松木は私に話しかけてこなくなった。最初こそ、何か言おうと近づいて来ている気はしていたが。


 そして一言も話すことなく、穏やかに卒業を迎えた。卒業と同時に、松木は家庭の事情で引っ越して行き、平穏な日々が訪れた。


 だが彼が残した傷跡は、別の方向からその後も続いたのだ。

 だから、あの時の何も出来ず悔しい思いをした自分を救いたかった。

 過去に戻ることはできなくても、自分の作る世界で、あの時をやり直したい。やり返して、今を楽に生きたい。中学生を舞台にして松木のことを撃退する、なんて話を作れたら、私は私を救ってやれるだろうか。


 日彩のように、周りから愛されている自分を、別の世界で作ってあげたい。もう一人の私には、幸せであってほしい。

 そんな願いを込めて、思いついたのだ。


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