消えた卒業式とヒーローの叫び

 空気を吐き出すことしかできないのか、何度も咳を繰り返す彼女は本当に苦しそうで、私までつられて泣きそうになる。

 もはや喧嘩の仲直りなどどうでも良かった。私の大切な妹が苦しんでいる、もしかしたら死んでしまうかもしれない、二度と会話が出来なくなるかもしれないという恐怖が、じわじわと私の理性を奪う。


「……ったでしょ」

 上手く酸素が回らない中、必死で私に何かを語りかける。目が虚ろで、ベッドに(もた)れていた背中も、咳と震えのせいで落ちてきていた。

「何!? 日彩、なんて言ったの?」

 私は崩れた日彩の体をなんとか支える。肩に置いた手の甲を、結ばれたしなやかな髪が撫でた。

 日彩は床を這うように必死で私の方を向き、最後の力を振り絞るかのように大きな瞳を全開にして私を貫く。



「言った……でしょ? 今は。今しか。来ないって……」



 きっと彼女は私の肩を掴もうとしたのだと思う。

 だが、死に物狂いに上げた手は、重力に逆らうことが出来ないまま、肩まで届くことなく私の膝に落ちる。そして同時に、彼女の瞳が消え、私に抱きつく形で体が崩れてきた。


「ひ、日彩……?」


 それからどうなったか、私はあまり詳しく覚えていない。

 母がまた部屋に来て、何を言っていたか、どうしていたかわからないけれど、とにかく日彩が運ばれて行って、私は家に残されたことはわかった。

 どうして日彩は、自分が危険な状況で、私に「今は今しかない」と言ったのだろう。それが最後に伝えたかった言葉なのだろうか。


 わからない。わからない。どうしてこんな状況になったかも、日彩が言った言葉の意味も、今どんな状態になっているかも。


 心配と恐怖と後悔。それらが混じりあって乱れる。


 私という固体だけを部屋(ここ)に残し、徐々に暗くなる床を延々と眺めていた。


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