ぼくら新世界から
「・・・・・・で、あるからして、近年の人の寿命は様々な時代の変遷を経て、現在の形へと移行していったということになります」
目の前の空中に映し出されている文字列に指をかざして、右から左へとスクロールしていく。すぐさま左下に赤い字で「現在進行しているページと異なります」と表示されたが、そもそもこのページを送る動作に意味はなかったので、その警告も僕にとっては意味をなしていない。僕はそのまま恨めしそうに点滅する表示を無視して、指を左右に振り続ける。
第四次産業革命を経て日本国は西暦と和暦を撤廃し、その転換期となった年を「新暦元年」と位置付けた。人が物を作る時代は終わり、機械による「自動化」の歴史はあっという間に過去の遺物となり、AIによる「自立化」は瞬く間に発展してしまった。
今や日本国の憲法に「教育」、「勤労」、「納税」の義務という文言はなくなり、代わりにそれらは国民の権利となった。今や生産、インフラ、運搬、教育、果ては畜産や農業も全自動化が進み機械が全てを賄っている。
人間に残された仕事なんて数えるほどしかなくなり、勤労の権利を行使する人は変人扱いをされる。
「えーつまりですね、こうして勉学に勤しむことは、とても裕福な時間を過ごしているのだということについては常々話していますが・・・・・・ 教育の義務があった旧世代では考えられないことですが、学生の諸君らの脳機能の向上の為に在る学校という機関、勉強という知識と英知を養う行動は「嗜好品」の至高とも言えるものだということです」
今日の授業も全くと言って良い程に興味をそそられない内容だった。そもそもとして、勉強なんてものは必要がなく、いつでも知りたい時に知識は”引き出す”ことができるじゃないか。それなのに、近い年齢の子どもを寄せ集め、一つの教室と言う空間に詰め込み、インストール済みの文章から指示された場所を開いて話を聞く。こんなことに時間を費やす必要性が理解できなかった。
テキストはデータ化されいつでもどこでも、好きなページから見ることができる。なんなら教科書などという文献に目を通さなくても、何か疑問があれば、答えはものの数秒とかからずに検索できてしまう。講師は幾度となく「嗜好品」という言葉に置き換えていたけれど、ぼくら学生にとっては「時間の浪費」としか思えない。
今や人間は自由を手に入れ、不自由から解放された。一昔前にあった「勤労」と言う名の不自由な時間は、今は人の手を離れ全て機械が自律的に行っている。まるで実感の沸かない話だったので少しだけ覚えているが、その頃は職業選択の自由などと、国家と呼ばれた媒体が作り上げた仮初の自由を手にする為に人々は日々勉学に励み、競って様々な勤労に準じていたという。自由を手にする為に不自由に身を置くだなんて、無駄なことをしていた旧世代が少し可哀そうに感じるよ。
「君たちも15歳になり、日本国における法律でも立派な成人と定義される年齢となりました。君たちは今、子どもと大人のどちらとも言えない人生における唯一の期間に生きているのだということを忘れずに過ごしてください。残された時間をどのように使うのかは、君たちの意思決定に依り、自由は確かに保障されているのですから」