魔女の紅茶
この世に生を受けておよそ十八年。悔いがないと言えば嘘になるけれど、たった一日とはいえあの魔女様にお仕え出来た事を誇りに、元騎士団員らしく、死のう。
「っ、ひ、」
にたぁと笑う牙の隙間からどろりと粘着質な液体が垂れた事にぞわりと鳥肌を立てながら、振り上げられた鋭利な爪を直視出来ず、俯いてぎゅっと目を閉じた。それはもう、固く閉じた。
「っう、ぶ」
瞬間、びしゃりと比喩ではなく、実際にそれが鼓膜に響いて生暖かい液体が頭上から降り注ぐ。
びしゃびちゃ、びちゃり。一瞬ではなく数秒続いたそれに震えながら音と液体の流動が止んだところでそろりとまぶたを持ち上げれば、でろりと長細い舌を出した獣人の頭部が転がっていた。
「ひっ」
「あら、」
頭上から聞こえたそれにふるりと震える心臓。ああまさかそんな本当に?と視線を上げれば、青白磁の瞳に血塗れの僕が写る。
「……魔女、様、」
「濡れてしまったわね、ごめんなさい」
するりと白く細い魔女様の指が、僕の頬を撫でる。
唐突に触れられた事に驚くべきなのか。それとも、目を閉じる瞬間までは居なかった魔女様が居る事に驚くべきなのか。はたまた、動けば互いの唇が難なく触れてしまえるくらいのこの距離に驚くべきなのか。正解が分からないというよりもどれも正解ではないような気がして、ああ現状を、ゼイン様の死を伝えなければとそれこそ死ぬ気で絞り出した声は酷くかすれていた。
「カーティスなら大丈夫よ、クリス」
「で、ですが、」
生物にとって喉は急所である。そこをあんな風に喰い破られれば、まず人間は生きていられない。喰われたショックで死ぬ者もいれば、出血で死ぬ者もいるだろう。ゼイン様の場合はどちらだったか。細切れた悲鳴をあげ、地面に打ち付けられ、それ以降は全く動かなかったのだから、どちらにせよ、その時点でもうゼイン様は絶命していたのだろう。他の種族はどうか知らないけれど、人間の頸動脈は脆いのだ。
「クリス」
「は、はい」
「大丈夫。明日になれば元通りよ」
いくら魔女様でも、死者は蘇らせられないでしょう。
「だからね、クリス。クルルに餌をあげたら、カーティスをお家まで運んでもらえるかしら」
そう反論したいのに、本音を言えば血塗れのゼイン様を触りたくなんてないのに、寧ろ「ゼイン様が今一番新鮮な餌じゃないですか?」と言いたいのに、無表情を崩す事なくお家だとか可愛い単語を使うものだからついつい僕は魔女様のお願いを快諾してまう。不意打ちずるい。