魔女の紅茶
まるで浮気現場を見られた好色家のように、扉の向こう側でひらりと揺れたスカートの裾を追いかけるべくベッドから飛び降りて走り出したゼイン様の後ろ姿はどうしようもなく滑稽だった。まぁ、僕は女性が好きだし、魔女様がそんな誤解をするはずもないからそんなものは杞憂でしかないのだけれど。
「……何か、嫌な予感がする」
ほんの一瞬だけ自身へと向けられた青白磁の瞳。相変わらずの無表情だったし、直接的な何かを言われたわけではないのだけれど、魔女様の身体はこちらを向いていた。側面ではなく正面だった。つまるところ、魔女様はたまたまこの部屋の前を通りかかって先程の光景を目撃したわけではなく、何かしらの用があって僕を呼びに来たのだろう。
起き上がり、揃えて置いてある靴を履く。ゼイン様が囚われていたあの館から国王様の待つお城に帰る途中で魔女様がわざわざお金を出して買ってくれたこれは、僕が今までに買ってきた靴達よりもゼロがふたつほど多い事もあって履き心地は抜群だ。トンッと爪先を軽く鳴らして、部屋を後にした。
「起こしてしまってごめんなさいね、クリス」
「いえ、魔女様の為なら僕は」
「おいコラ俺を無視すンじゃねぇよ質問に答えろや」
僕的に応接間と認識しているそこへ足を運べば、案の定ソファーに座っている魔女様は紅茶を嗜まれていて、そんな魔女様の隣を陣取ったゼイン様は何だかんだと喚いていた。勿論それは全てスルーされて、何ひとつ答えて貰えていないようだったけれど。本当、懲りないなこの人。その執拗さへの感心二割、呆れ八割の視線を数秒ゼイン様に向けてから魔女様に「お待たせしてしまって申し訳ありません」と音を吐き出せば、魔女様は本当の本当に少しだけ口角を上げた。
「今からちょうど十八分後に、来客があるわ」
「……こんな、夜更けに、ですか」
「ええ。きみ達に絡んできたあの獣がいた集落の長とその護衛達よ」
「……」
「きみの真正面にあるあの扉は、客人を認識してぴったり六秒で開くの」
「……」
「そのタイミングで、最初に視界に捉えたその一匹だけを撃って貰えないかしら」
これで、と。魔女様がティーカップを置いたソーサーの隣に、市場でも多く出回っているごく一般的な猟銃が一挺横たえられている。弾は既に装填されているのだろう。手を伸ばして、ゆっくりと持ち上げたそれは装填されていないものよりも僅かに重かった。