魔女の紅茶

 ありとあらゆる苦痛って、何だ。

「じゃあさっさと終わらせて、ティータイムの続きをしましょうか」

 想像出来るようで経験した事のないそれを出来るわけもなく、募るばかりの不安に頭を抱えていれば、ちゃぷりと音が鳴る。
 ちゃぷり?と疑問符を浮かべながらその音の方へと視線を向ければ、鉄製のバケツの中にたゆたう黒色の液体。絵の具なのか塗料の類いなのかは分からないけれど、そこへ手を突っ込みひと混ぜした魔女様は引き抜いた真っ黒な手で床に何やら模様のようなそれでいて文字のようなものを描き始めた。
 とはいえ、その作業はものの数秒で終わり、「よし」と一言呟いた魔女様は真っ黒な手で何かを払うような仕草をした。瞬間、消えたバケツと魔女様の手を染めていた黒い色。反して床に描かれた黒色は淡い光を帯び始める。
 物心ついた頃から魔女様については嫌と言うほど聞かされてきたし、学校でも【魔女歴】という魔女様についての歴史を専攻していたくらいだから魔女様についての知識はそれなりにあるつもりだったけれど、いざそれを目の当たりにしてしまうとやはり文字通り声を失ってしまった。

「さて、行きましょうか。坊や」

 そんな僕の事などお構い無しに、すっと手を差し出す魔女様。白く細い指や華奢な手首にごくりと喉が鳴ったのは不可抗力だ。
 これは、握れ、という事だろうか。うんきっとそうだ。手を繋いで、それで。とそこまで考えて、はたと気づく。

「……あの、魔女様」
「何」
「行きましょうか、とおっしゃいましたけれど、どこへ……でしょうか」
「森だけれど?」
「っえ、あのっ、ちょっと待ってください」
「何故?助けて欲しいのでしょう?人喰いの森から」
「それはその、そうなんですが……あの、まず王都に寄って頂かなければいけないのです。そこで正式に依頼を受けて頂き、」
「嫌よ。面倒だわ」
「あああの、それに、」
「何」
「外で副団長達が待っているんです。このまま何も言わずに行くというのは」
「……」
「……あの、魔女様、」
「本当だわ、まだ居たのねあの人間達」

 もしかせずとも魔女様は、副団長達の存在を忘れているのではないか、と。
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