お見合い夫婦のかりそめ婚姻遊戯~敏腕弁護士は愛しい妻を離さない~
「は? 痛ったぁ!」
突然響いた低音ボイスに驚いて振り返ると、仲居さんの姿はすでになく、男性もののスーツの胸にぶつかった。
「おまえな、なんで電話に出ないんだよ」
ぶつけた鼻を抑えつつ顔を上げると、私を見下ろしていたのは俳優かと見間違うかのような端正な顔。
嘘でしょ、なんで拓海がここに?
「……ごめん、忙しくて」
「ふうん?」
私の苦しい言い訳を、拓海が鼻で笑う。
あれっ、拓海ってこんな態度する人だったっけ?
「まあいいや。それより鼻ぶつけたな、大丈夫か?」
一応、心配はしてくれているらしい。伸びて来た指先に触れられそうになり、私はとっさに体を引いた。
「こっ、これくらい平気」
行き場を失った指を引っ込めると、拓海はほんの少しだけ傷ついたような顔をした。
「そんなことより、どうしてここに拓海が?」
「……さあ、どうしてだろうな」
拓海は肩を竦めてみせるだけで、私に理由を教えようとはしない。
それで、なんとなくピンときた。
私ったら、またしてもおじさまに謀られたのだ。
二回も同じような手に引っかかるなんてありえないでしょ。
信じられない。そして、我ながら本当にちょろい。
「こんなところで押し問答してても迷惑だろ。とりあえず、中に入ろうぜ」
頭を抱える私にそう言うと、拓海は強引に私の背中を押した。