その瞳に涙 ― 冷たい上司の甘い恋人 ―
広沢くんが撫でた場所が電車を降りるときに噛みつかれたあたりだったから、ひどく焦った。
うそ、あんな一瞬で?
首筋を手で押さえて、動揺を隠せないままに振り向いたら、広沢くんがクスリと笑って唇だけを動かした。
『うそですよ』
声は聞こえなかったけど、彼がそう言ったのがわかる。
「可愛い新人さん、楽しみですね。確氷さん」
広沢くんが、今度は周りに聞こえるようにわざとらしくそう話す。
オフィス内なのにこんな際どい悪戯をしてくるのは、さっきの可愛い新人に興味を示したような彼の発言に、私が無反応だったから?
「そうね」
興味なさそうな声でそう返すと、私は首筋をさりげなく手で隠しながら、念のためにトイレに駆け込んだ。
鏡の前でそっと手を外すとそこには何にもなくて。
デスクに戻りついでに、広沢くんの椅子を蹴りたくなるのを、ぐっと堪えて我慢した。