ふしぎ京都クロスライン―壬生の迷子と金平糖―
***
「沖田総司を拾ったそうですね」
苦笑交じりに、弦岡先生は言った。わたしは驚いて手を止めた。
この部屋では雑談などめったにない。柔らかで丁寧な物腰の弦岡先生は、学問上の質問にはもちろん答えてくれるが、おしゃべりが本当に苦手らしい。
そんな弦岡先生が、沖田の件を話題にした。何かよほど引っ掛かることでもあるのだろうか。
わたしは言葉を選びつつ応じた。こんなとき、にぎやかにおしゃべりを展開できる話術があればいいのに。
「壬生で、拾ってしまいました。誰からお聞きになったんですか?」
「巡野くんからです。先日、文学部の書庫で会ったときに。彼は浜北さんの体調を心配していましたよ。無理はしていませんか?」
大丈夫です、と反射的に返そうとして、やめた。わたしがお古の和服を身に着けている時点で、弦岡先生は、わたしの具合があまりよくないことを察している。
わたしは正直に答えた。
「巡野の言うとおりです。ちょっと厄介な形で契約を結んでしまったので、紐付けが強すぎて。病人の沖田に栄励気を取られて、エレルギーの症状が出やすくなっています。胃腸がよくないし、肌も少しやられてしまいました」
「体調がすぐれないときは、私の手伝いを休んでもらってかまいませんよ。そう伝えるようにと、巡野くんにも言ったのですが」
「聞いてません。巡野はここが好きだから黙ってたんでしょう。どちらにせよ、お休みをいただくほどの体調不良でもありません」
「そうですか」
「あの……巡野は文学部のほうにも行っているんですね」
「たびたび会いますよ。文学部の建物を中心に、本部キャンパスのあちこちで目撃されているようです。同僚の先生がたもそうおっしゃっていました」
わたしは少し驚いた。
「ほかの先生がたも巡野をご存じなんですか?」
弦岡先生はうなずいた。
「彼は有名でしたから。我々くらいの世代で、文学部の歴史系の研究室に所属していれば、一度は彼の噂を耳にしたことがあるはずです。当時はまだ陳列館がロの字型だったのでね」
「そうか。巡野、陳列館をぐるぐる歩き回っていたんですね」
「私は彼を見掛けたこともあります。掃除のおばさんの中に霊視のできるかたがいらっしゃって、教えてくれたのですよ。『ほら、今、学士さんがお回りになってはるわ』と」
弦岡先生はかすかな声を立てて笑った。学生時代を思い返すまなざしは、楽しそうにやわらいでいる。
胸にチクリと痛みが走った。そんなふうに語れるような学生時代を、わたしは送っていない。
わたしが手元に目を落とすと、弦岡先生も作業に戻った。
どこかで鳥が鳴く声が聞こえる。チィチィと高い声。山育ちの切石なら、何という鳥なのか、すぐに教えてくれる。聞いても、わたしはいつもすぐに忘れてしまうけれど。
弦岡先生の研究室は集賢閣の一階にある。開いた扉からは、廊下越しに中庭が見える。モミジかカエデか知らないが、葉を赤く染めた木が風にそよいでいる。
研究室は天井が高い。壁一面に本棚がしつらえられている。本は四部分類にのっとってキッチリ整理されているようだ。
大判の書籍や地図、拓本や巻物の類は、部屋の中ほどに置かれたラックに押し込まれている。もとは術で圧縮してあったものを解いてはチェックしているところだから、どうしても、ぎゅうぎゅうにならざるを得ない。
「沖田総司を拾ったそうですね」
苦笑交じりに、弦岡先生は言った。わたしは驚いて手を止めた。
この部屋では雑談などめったにない。柔らかで丁寧な物腰の弦岡先生は、学問上の質問にはもちろん答えてくれるが、おしゃべりが本当に苦手らしい。
そんな弦岡先生が、沖田の件を話題にした。何かよほど引っ掛かることでもあるのだろうか。
わたしは言葉を選びつつ応じた。こんなとき、にぎやかにおしゃべりを展開できる話術があればいいのに。
「壬生で、拾ってしまいました。誰からお聞きになったんですか?」
「巡野くんからです。先日、文学部の書庫で会ったときに。彼は浜北さんの体調を心配していましたよ。無理はしていませんか?」
大丈夫です、と反射的に返そうとして、やめた。わたしがお古の和服を身に着けている時点で、弦岡先生は、わたしの具合があまりよくないことを察している。
わたしは正直に答えた。
「巡野の言うとおりです。ちょっと厄介な形で契約を結んでしまったので、紐付けが強すぎて。病人の沖田に栄励気を取られて、エレルギーの症状が出やすくなっています。胃腸がよくないし、肌も少しやられてしまいました」
「体調がすぐれないときは、私の手伝いを休んでもらってかまいませんよ。そう伝えるようにと、巡野くんにも言ったのですが」
「聞いてません。巡野はここが好きだから黙ってたんでしょう。どちらにせよ、お休みをいただくほどの体調不良でもありません」
「そうですか」
「あの……巡野は文学部のほうにも行っているんですね」
「たびたび会いますよ。文学部の建物を中心に、本部キャンパスのあちこちで目撃されているようです。同僚の先生がたもそうおっしゃっていました」
わたしは少し驚いた。
「ほかの先生がたも巡野をご存じなんですか?」
弦岡先生はうなずいた。
「彼は有名でしたから。我々くらいの世代で、文学部の歴史系の研究室に所属していれば、一度は彼の噂を耳にしたことがあるはずです。当時はまだ陳列館がロの字型だったのでね」
「そうか。巡野、陳列館をぐるぐる歩き回っていたんですね」
「私は彼を見掛けたこともあります。掃除のおばさんの中に霊視のできるかたがいらっしゃって、教えてくれたのですよ。『ほら、今、学士さんがお回りになってはるわ』と」
弦岡先生はかすかな声を立てて笑った。学生時代を思い返すまなざしは、楽しそうにやわらいでいる。
胸にチクリと痛みが走った。そんなふうに語れるような学生時代を、わたしは送っていない。
わたしが手元に目を落とすと、弦岡先生も作業に戻った。
どこかで鳥が鳴く声が聞こえる。チィチィと高い声。山育ちの切石なら、何という鳥なのか、すぐに教えてくれる。聞いても、わたしはいつもすぐに忘れてしまうけれど。
弦岡先生の研究室は集賢閣の一階にある。開いた扉からは、廊下越しに中庭が見える。モミジかカエデか知らないが、葉を赤く染めた木が風にそよいでいる。
研究室は天井が高い。壁一面に本棚がしつらえられている。本は四部分類にのっとってキッチリ整理されているようだ。
大判の書籍や地図、拓本や巻物の類は、部屋の中ほどに置かれたラックに押し込まれている。もとは術で圧縮してあったものを解いてはチェックしているところだから、どうしても、ぎゅうぎゅうにならざるを得ない。