ふしぎ京都クロスライン―壬生の迷子と金平糖―
わたしと弦岡先生は、ラックの横に出した大机の上で作業している。
今日、圧縮を解いた包みからは、大量の写真が出てきた。沙漠の地下都市遺跡で発見された巨大な石碑の写真だ。文字が鮮明に写るよう、細切れに撮影したらしい。
このデータの圧縮を担当した術師は、おおざっぱさんのほうだ。写真を並べる順番がいい加減。
発掘調査に同行した術師は二人いたそうで、もう一人のほうはいくらかマシな仕事ぶりだ。今回の資料はハズレというわけ。おかげで、わたしと弦岡先生はジグソーパズルに手こずっている。
弦岡先生は独り言をつぶやいた。
「ウイグル文字と西夏文字と漢字のトライリンガルですね。モンゴル文字は出てこない。年号がほしいところです。どういう文脈で建てられた石碑なのか」
三つの言語が入り交じる碑文の写真の山を、まずは言語ごとに分類する。この作業が終わったら、漢字で書かれた文章をつなぎ合わせる予定だ。
漢字で書かれた古文、つまり漢文ならば、弦岡先生はさっと黙読するだけで意味を取ることができる。漢文で得た情報を頼りに、ウイグル語と西夏語のジグソーパズルを完成させる。
遺跡から出土する古ウイグル語と西夏語は、弦岡先生も自在には解読できない。
理解できる単語がぽつぽつとある。例えば「王」「将軍」「官軍」「人頭税」「来た」「軍を率いた」「勝利した」「義務である」。それらを手掛かりにして、文意が取れる箇所がある。
漢文と照らし合わせると、この謎の単語はこの漢字に該当するのではないか、と見えてくることがある。これは否定文だから漢文ではこのへんのはずだ、と当たりが付くことがある。
そんなふうにして、石碑の資料を一つひとつデータベース化している。資料は、現在作業中のものと同じように写真もあれば、拓本もある。総数は弦岡先生自身、把握していないらしい。とにかく膨大な量だそうだ。
いつ終わるんだろうか。
わたしはため息をついてしまった。
ふう、と、弦岡先生も息をついた。いや、静かに笑ったのかもしれない。
「そろそろ時間ですね。お疲れさまです」
わたしは驚いて懐中時計を確かめた。十四時五十八分。
「もう二時間経ってたんですね」
集中していたせいか、時間が過ぎるのが速かった。しかし、作業は中途半端だ。このまま放り出すのは気持ちが悪い。
写真の束を手放さないわたしの前に、弦岡先生は箱を置いた。
「では、写真をこちらに。今日でおよそ半分終わりました。来週も同じ作業をしましょう。漢文の組み立てと読解は再来週から。正月休みの前に読解が終われば御の字です」
「でも、それだと一つの碑文に時間をかけすぎることになりませんか? わたし、今日、まだ作業できます。あ、えっと……先生のご都合がよろしければ、ですけど」
弦岡先生はかすかに首をかしげた。笑みは柔らかかった。
「私も時間はありますが、続きは来週にしましょう。一度に欲張るのは、あまり得策ではありません」
わたしは目を伏せた。
大机の上には、四つの山と一つの束がある。漢語、古ウイグル語、西夏語の山と、判読困難な文字および石碑の余白部分の山。
「すみません。わたし、作業が遅くて」
「そうですか?」
「物覚えがよくないって、自分でも思います。古ウイグル語も西夏語も、単語がなかなか覚えられないんです。単純作業に没頭しているだけで、学問的な部分には集中できてないかもしれません」
「文字表に頼ることなく、漢字とウイグル文字と西夏文字を見分けられるようになりましたね。それは、きちんと覚えている証拠です。初めは、文字の上下左右さえわからなかったでしょう。浜北さんは学んでいますよ」
わたしはかぶりを振った。
「こんなんじゃ足りない……こんなつもりじゃなかったんです。わたし、大学に入るまでは、自分はもっと頭のいい人間だと思い込んでました。でも、本当は全然足りてなかった。足りてないんです」
弦岡先生は、そっと笑うようなやり方で息をついた。
「お茶を淹れましょうか。休憩して、少しおしゃべりしましょう。浜北さんのご都合がよろしければ、ですけど」
今日、圧縮を解いた包みからは、大量の写真が出てきた。沙漠の地下都市遺跡で発見された巨大な石碑の写真だ。文字が鮮明に写るよう、細切れに撮影したらしい。
このデータの圧縮を担当した術師は、おおざっぱさんのほうだ。写真を並べる順番がいい加減。
発掘調査に同行した術師は二人いたそうで、もう一人のほうはいくらかマシな仕事ぶりだ。今回の資料はハズレというわけ。おかげで、わたしと弦岡先生はジグソーパズルに手こずっている。
弦岡先生は独り言をつぶやいた。
「ウイグル文字と西夏文字と漢字のトライリンガルですね。モンゴル文字は出てこない。年号がほしいところです。どういう文脈で建てられた石碑なのか」
三つの言語が入り交じる碑文の写真の山を、まずは言語ごとに分類する。この作業が終わったら、漢字で書かれた文章をつなぎ合わせる予定だ。
漢字で書かれた古文、つまり漢文ならば、弦岡先生はさっと黙読するだけで意味を取ることができる。漢文で得た情報を頼りに、ウイグル語と西夏語のジグソーパズルを完成させる。
遺跡から出土する古ウイグル語と西夏語は、弦岡先生も自在には解読できない。
理解できる単語がぽつぽつとある。例えば「王」「将軍」「官軍」「人頭税」「来た」「軍を率いた」「勝利した」「義務である」。それらを手掛かりにして、文意が取れる箇所がある。
漢文と照らし合わせると、この謎の単語はこの漢字に該当するのではないか、と見えてくることがある。これは否定文だから漢文ではこのへんのはずだ、と当たりが付くことがある。
そんなふうにして、石碑の資料を一つひとつデータベース化している。資料は、現在作業中のものと同じように写真もあれば、拓本もある。総数は弦岡先生自身、把握していないらしい。とにかく膨大な量だそうだ。
いつ終わるんだろうか。
わたしはため息をついてしまった。
ふう、と、弦岡先生も息をついた。いや、静かに笑ったのかもしれない。
「そろそろ時間ですね。お疲れさまです」
わたしは驚いて懐中時計を確かめた。十四時五十八分。
「もう二時間経ってたんですね」
集中していたせいか、時間が過ぎるのが速かった。しかし、作業は中途半端だ。このまま放り出すのは気持ちが悪い。
写真の束を手放さないわたしの前に、弦岡先生は箱を置いた。
「では、写真をこちらに。今日でおよそ半分終わりました。来週も同じ作業をしましょう。漢文の組み立てと読解は再来週から。正月休みの前に読解が終われば御の字です」
「でも、それだと一つの碑文に時間をかけすぎることになりませんか? わたし、今日、まだ作業できます。あ、えっと……先生のご都合がよろしければ、ですけど」
弦岡先生はかすかに首をかしげた。笑みは柔らかかった。
「私も時間はありますが、続きは来週にしましょう。一度に欲張るのは、あまり得策ではありません」
わたしは目を伏せた。
大机の上には、四つの山と一つの束がある。漢語、古ウイグル語、西夏語の山と、判読困難な文字および石碑の余白部分の山。
「すみません。わたし、作業が遅くて」
「そうですか?」
「物覚えがよくないって、自分でも思います。古ウイグル語も西夏語も、単語がなかなか覚えられないんです。単純作業に没頭しているだけで、学問的な部分には集中できてないかもしれません」
「文字表に頼ることなく、漢字とウイグル文字と西夏文字を見分けられるようになりましたね。それは、きちんと覚えている証拠です。初めは、文字の上下左右さえわからなかったでしょう。浜北さんは学んでいますよ」
わたしはかぶりを振った。
「こんなんじゃ足りない……こんなつもりじゃなかったんです。わたし、大学に入るまでは、自分はもっと頭のいい人間だと思い込んでました。でも、本当は全然足りてなかった。足りてないんです」
弦岡先生は、そっと笑うようなやり方で息をついた。
「お茶を淹れましょうか。休憩して、少しおしゃべりしましょう。浜北さんのご都合がよろしければ、ですけど」