ふしぎ京都クロスライン―壬生の迷子と金平糖―
***

 甘く涼やかな香りのするお茶だった。
 茶葉をそのまま茶碗に入れ、お湯を注いで飲む中国式だ。青磁の茶碗の中で、細長く刻まれた黒っぽい茶葉が、ゆっくりと開いていく。ごく淡い色が茶葉から染み出した。

 弦岡先生はわたしの前に茶碗を置いた。
「どうぞ。ジャスミンティーです」
「い、いただきます」

 大机の上は片付けられ、わたしと弦岡先生は、一つの角を挟んでL字になるように座っている。
 弦岡先生の部屋でお茶をいただくのは、むろん初めてだ。
 わたしは茶碗に口を付けた。爽やかで柔らかな味だった。香りがとてもよい。

「おいしいです」
「ほっとしますよね、ジャスミンティーの香り」
「はい……あの、わたし、普段コーヒーばっかり飲むんですけど、お茶、すごくおいしいんですね」
「これは東洋史学の同僚からもらった中国みやげです。いいでしょう?」
「はい」

「ああ、そうそう、先ほど給湯室からお湯をもらってくるとき、巡野くんに、少しお茶をしますと伝えてきました。一緒にどうかと尋ねましたが、彼は書庫のほうへ行ってしまいましたよ」
「そうですか」

 弦岡先生は少し微笑み、お茶で口を湿し、ふと席を立った。
 デスクの並びに、小さな戸棚が置かれている。茶器はそこに収められていた。弦岡先生は戸棚を開けた。

「ドライフルーツがあります。お茶請けにしましょう」
「あ……ありがとうございます」
「私が飲食するものは、浜北さんにも安全なものだと思います。私も妻も食物系のエレルギーが少々あるもので、妻が気を付けてくれているのですよ」

 妻。
 初めて知った。弦岡先生、結婚しておられるのか。
 もちろん、結婚していておかしくない年齢だ。若いころは弦岡先生の隠れファンがずいぶん多かったという噂を、東洋史学の先生からうかがったことがある。

 弦岡先生は、干したナツメとサンザシ、アンズを青磁の小皿に盛って、わたしの前に置いた。そして、はにかむような小声になった。
「妻の手作りでね。こういうのは、妻が自分の時代に生きていたころから、よく作っていたそうです。どうぞ召し上がってください」

 わたしは目礼してアンズを取り、端をかじった。ざくり、とした歯ざわり。甘ずっぱさがギュッと詰まっている。ほんの少し、漢方薬のような風味を感じる。
「おいしいです」
 弦岡先生はうなずいた。はにかむ表情はそのままだ。流れるように漢文を訓読するときと同じ、張りのある優しい声で、弦岡先生は語った。

「妻と出会ったのは大学院生のころでした。中央アジアのとある遺跡で、うっかり彼女を呼び寄せてしまったのですよ。もとの時代への返し方がどうしてもわからず、責任を持って連れ帰るしかありませんでした」
「え。それじゃ、奥さまは、今うちにいる沖田と同じだったんですか」

「ある意味では。ただし、彼女は自ら、名もなき捕虜であると名乗りました。オアシス都市のマーケットで売られ、捕虜、と呼ばれていたと。真名を呼んでもとの時代に連れ戻してくれる存在は、もういなかったようです」
「ええ……あの、それじゃ、言葉はどうやったんですか?」

 弦岡先生は、資料を収めたラックを指差した。
「あれですよ。先ほどの作業と似たようなものです。パズルのように、お互いが理解できる言葉をつないで、何とか意思疎通を」

「あ、奥さまも字がわかるかただったんですね」
「ええ、運のいいことに。少しだけですがね。ソグド語でした。彼女が知っている、自分の身の上に関する単語を指差してもらい、こちらも必死で解読して、どうにか彼女の素性にたどり着きました」

 なんてドラマチックなんだろう。
 話し言葉も、きっとお互い懸命に手探りをして身に付けたに違いない。もしかして、弦岡先生は、生きたソグド語を話せるんだろうか。

「すごいですね……大学院生のころに、そんなことが」
「博士課程の一年目の夏でしたね。二十五のころです。修士課程を出たら高校の教師になろうか、それとも博士まで進んで研究者を目指そうかと悩みながら結局進学して、その夏でした」

「中央アジアの遺跡に行かれたのは、調査ですか? ご旅行?」
「調査です。本来は助手の先生が行かれる予定だったところ、交通事故に遭って脚を骨折してしまわれて、急遽、私が穴埋めをすることになったのですよ」
 弦岡先生はお茶を口に含んだ。わたしも釣られてお茶を飲む。

 途方もない話だ。中央アジアの沙漠の遺跡で、千数百年前の無名の女性を呼び寄せてしまっただなんて。同じ市内にある壬生の光縁寺で、たかだか百数十年前の人斬りを拾った。そんなの、ずいぶんスケールが小さい。
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