ふしぎ京都クロスライン―壬生の迷子と金平糖―
四.泣き虫とハンバーガー
 沖田の体調はまずまずのところで安定している。
 まずまずというのは本人のコメントだ。はたから見ると、まずまずどころではない超人ぶりだが。

 沖田はよく寮の中庭で木刀を振るうようになった。素振りや型練習ではない。演武でもない。
 見えない強敵を想定し、戦う。その姿は、本当に相手の息遣いまで感じられそうなほど真に迫っている。

 たとえ相手に勝っても、沖田はしばしの間、構えを解かず、目を見開いて肩で息をしている。相手を打ち倒すイメージがついにつかめないときは、がっくりとへたり込んで、何度も首をかしげる。
 今回は勝てなかったらしい。

「誰と戦ってたの?」
 タオルを渡してやりながら、わたしは沖田に尋ねた。沖田はむくれた顔で答えた。
「永倉さん」

「新撰組二番隊組長で劇剣師範の、永倉新八《ながくら・しんぱち》?」
「いつものことだけど、やたらと詳しいよね。おれ、誰が何番隊だったか、あんまり覚えてないよ。知られすぎてるのも変な気分だ」

 わたしは開き直る。
「新撰組が好きだったら、このくらいは常識だよ。永倉さんって、やっぱり強かったんだ? 神道無念流だよね?」

「強いよ。無念流を基礎に、いろいろ渡り歩いたんだって。技が多彩なんだ。力推し一発勝負の無念流だとばかり思ってると、痛い目に遭う。純粋に刀だけで勝負するなら、永倉さんが新撰組では一番かもね」

「きみじゃ勝てないの?」
「勝てるよ。おれは刀以外も使うから。頭突きだろうが、肘鉄だろうが、勝てるなら何でも。けっこう足癖も悪いし」

 沖田はけろりとして言い放った。渋い表情だったのが、もう晴れている。沖田は気分屋だ。眉を曇らせた不機嫌も、鼻歌を歌うような上機嫌も、ころころと入れ替わる。

 わたしは沖田の隣に腰を下ろした。
「天然理心流では、どんな手を使ってでも勝てばいい、みたいなのを認めてたんでしょ?」

 沖田は襷《たすき》をほどいて、ぽいと放った。
「どんな手を使ってでも生き残ったほうが勝ち、だよ。型どおりのきれいな剣を使ったところで、生き残れなけりゃ意味がない。いやしいケンカ剣術だって、ののしるやつもいたけどね」

「生き残ったほうが勝ち、か。負けたら死ぬんだ」
「相手に殺されなくても、怪我を負えば、治るまで戦えない。もしも利き手の指一本でもダメにして、その手で刀を執れなくなったら、それは剣客としては死んだも同然だ」

「そう……そういう意味か」
「時をかければ治る類の傷もある。利き手がダメなら、反対の手で改めて剣技を学べばいいって、そんなこと言うやつもいたよ。でも、おれたちは時が惜しい。今すぐ戦えるんじゃなきゃ意味がないんだ」

 晴れたばかりの顔がもう、深刻そうに曇っていた。
 迷いながら、わたしは問うた。

「山南さんも同じように考えてたのかな? 怪我をして前線に出られない体になってたっていう説を聞いたことがあるよ。山南さんも、あんな道を選んだのは、時を浪費したくなかったからなのかな」

 残酷な問いだとわかっている。沖田は、本当の兄であるかのように慕っていた山南敬助の死を、いちばん近くで見守ったのだから。
 沖田は木刀を抱き締めた。目は、寮の中庭ではないどこか遠くを映しているみたいだった。

「わからないよ。山南さんがどんな難しいことを考えてたか、なんてさ」
「難しいこと」
「あの人はちゃんとした武士だから。親がいなくて育ちの悪いおれにいろいろ教えてくれようとしたけど、おれには難しすぎたなあ。結局、今でもあんまりわからないままだよ」
「そっか」

 幕末好きのわたしには、新撰組一番隊組長の沖田総司に尋ねてみたいことがたくさんある。あったはずだ。
 でも、実際にこうして隣に本物の沖田がいると、尋ねられるわけのないことがあまりにも多い。踏み込んで尋ねてしまえば、沖田がひどく透き通った表情をするから、わたしは胸が痛くなる。歴史上の事実を調べるようにはいかない。
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