ふしぎ京都クロスライン―壬生の迷子と金平糖―
「ねえ、浜北さん」
「うん?」
沖田は相変わらず、中庭の景色を映すふりをして、どこでもないところを見ている。
「あんたに尋ねたいことがいくつかある」
「何?」
「どうして、おれの体、今こんなに楽なの? あんたに一度、病を預けてからだ。おれの体に何かした?」
「してない。きみの体調がいいのは、寮の結界の効果だよ。精神状態が体に反映されるの。治ったわけじゃない。結界の中にいるときだけ、いい状態に維持できる」
「なんだ。外に出たら、体はもとに戻っちまうのか」
「そのへんをうろうろするくらいなら平気だろうけど」
仮にこの状態で幕末に帰ったとしても、体の好調が続くのはおそらく数日。戦線復帰はままならないだろう。
「しかし、おれの精神状態ねえ。最初、そんなに荒れてた?」
「ラーメン屋の一件で、寮生に対する警戒を解いたでしょ。そういうところ、この御蔭寮は敏感だから」
「化け物だね」
「うん、御蔭寮は化け物。わたし、ここでしか生きられない気がしてしまう。ずっとここにいられたらいいんだけど」
「できないの?」
「大学と関わりのない身になったら、寮を出ていかないといけない。居座りたくても、寮に吐き出されちゃうと思う。そしたら、わたし、どこに行けばいいんだろうね」
わたしと沖田は、同じときに、よく似たため息をついた。
「壬生の屯所もこの寮くらい広けりゃ、隊士が増えても、どこかに引っ越すなんて問題にならなかったのにな。引っ越し先をどこにするかって話で、みんながもめることもなかったはずだし」
そっと吹いた風が、体温のある匂いを連れてきた。沖田の汗の匂いと肌の匂い。髪は、わたしが使っているのと同じシャンプーの匂いだ。
「引っ越し先の居心地、悪い?」
「壬生のほうがマシだった。おれたちが鼻つまみ者なのはどこに行ったって一緒だけど、西本願寺の坊主たちに見下されるよりは、壬生の郷士たちのほうがマシ」
「どうして?」
「京都の坊主はどうも嫌だね。少なくとも、おれたちとはまったく反りが合わない。光縁寺の住職だけはいい人だけどさ。墓に入った山南さんにも優しくしてくれてる」
「新撰組の馬小屋のすぐ隣が光縁寺だったんだよね? 山南さんと住職さんは偶然、家紋が同じで年も同じだったこともあって、意気投合したんでしょ?」
沖田がわたしに向き直り、目をぱちくりさせた。
「そんなことも知ってるんだ?」
「光縁寺の今の住職さんが教えてくれたの。気さくでおしゃべり好きな、おもしろい人だよ」
へえ、と沖田はうそぶいた。そして、何でもないことのように、ごく軽い調子で続けた。
「浜北さんは、おれがどんな死に方をするのか知ってるんだろう? それって、いい死に方?」
息が止まった。沖田の目を見たまま、わたしは身じろぎどころかまばたきさえできなかった。
沖田は笑った。
「なーんてね。ああ、腹が減ったな。さっき切石さんが買ってきてくれた豆餅があるんだ。並ばなきゃ買えない有名なやつだって。浜北さんにも一つ分けてあげるから、茶を淹れてきてよ。冷たい茶がいいな」
ひょいと立ち上がる。木刀を鞘に収める仕草をすると、沖田は中庭を後にした。
わたしは一人、膝を抱えた。
「あいつは、本当はとっくに死んでるんだ」
強がるつもりで吐き捨ててみた。ざっくりと切り裂かれる痛みが、胸の奥のどこでもない場所に走った。
「うん?」
沖田は相変わらず、中庭の景色を映すふりをして、どこでもないところを見ている。
「あんたに尋ねたいことがいくつかある」
「何?」
「どうして、おれの体、今こんなに楽なの? あんたに一度、病を預けてからだ。おれの体に何かした?」
「してない。きみの体調がいいのは、寮の結界の効果だよ。精神状態が体に反映されるの。治ったわけじゃない。結界の中にいるときだけ、いい状態に維持できる」
「なんだ。外に出たら、体はもとに戻っちまうのか」
「そのへんをうろうろするくらいなら平気だろうけど」
仮にこの状態で幕末に帰ったとしても、体の好調が続くのはおそらく数日。戦線復帰はままならないだろう。
「しかし、おれの精神状態ねえ。最初、そんなに荒れてた?」
「ラーメン屋の一件で、寮生に対する警戒を解いたでしょ。そういうところ、この御蔭寮は敏感だから」
「化け物だね」
「うん、御蔭寮は化け物。わたし、ここでしか生きられない気がしてしまう。ずっとここにいられたらいいんだけど」
「できないの?」
「大学と関わりのない身になったら、寮を出ていかないといけない。居座りたくても、寮に吐き出されちゃうと思う。そしたら、わたし、どこに行けばいいんだろうね」
わたしと沖田は、同じときに、よく似たため息をついた。
「壬生の屯所もこの寮くらい広けりゃ、隊士が増えても、どこかに引っ越すなんて問題にならなかったのにな。引っ越し先をどこにするかって話で、みんながもめることもなかったはずだし」
そっと吹いた風が、体温のある匂いを連れてきた。沖田の汗の匂いと肌の匂い。髪は、わたしが使っているのと同じシャンプーの匂いだ。
「引っ越し先の居心地、悪い?」
「壬生のほうがマシだった。おれたちが鼻つまみ者なのはどこに行ったって一緒だけど、西本願寺の坊主たちに見下されるよりは、壬生の郷士たちのほうがマシ」
「どうして?」
「京都の坊主はどうも嫌だね。少なくとも、おれたちとはまったく反りが合わない。光縁寺の住職だけはいい人だけどさ。墓に入った山南さんにも優しくしてくれてる」
「新撰組の馬小屋のすぐ隣が光縁寺だったんだよね? 山南さんと住職さんは偶然、家紋が同じで年も同じだったこともあって、意気投合したんでしょ?」
沖田がわたしに向き直り、目をぱちくりさせた。
「そんなことも知ってるんだ?」
「光縁寺の今の住職さんが教えてくれたの。気さくでおしゃべり好きな、おもしろい人だよ」
へえ、と沖田はうそぶいた。そして、何でもないことのように、ごく軽い調子で続けた。
「浜北さんは、おれがどんな死に方をするのか知ってるんだろう? それって、いい死に方?」
息が止まった。沖田の目を見たまま、わたしは身じろぎどころかまばたきさえできなかった。
沖田は笑った。
「なーんてね。ああ、腹が減ったな。さっき切石さんが買ってきてくれた豆餅があるんだ。並ばなきゃ買えない有名なやつだって。浜北さんにも一つ分けてあげるから、茶を淹れてきてよ。冷たい茶がいいな」
ひょいと立ち上がる。木刀を鞘に収める仕草をすると、沖田は中庭を後にした。
わたしは一人、膝を抱えた。
「あいつは、本当はとっくに死んでるんだ」
強がるつもりで吐き捨ててみた。ざっくりと切り裂かれる痛みが、胸の奥のどこでもない場所に走った。