ふしぎ京都クロスライン―壬生の迷子と金平糖―
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「山南さんは突然いなくなった。探して連れ戻すようにって、近藤さんと土方さんがおれに言った。新撰組は、無断で隊を抜けることを禁じている。破れば死罪だ。でも、理由があるなら、脱退も認めるんだよ。近藤さんたちは、山南さんの理由を聞きたがった」

 一八六五年の春のことだ。山南敬助が新撰組の屯所を脱走した。江戸へ行く、という短い書き置きがあったそうだ。

「おれが追手に選ばれたのは、おれの話になら山南さんも耳を貸してくれるだろうってことだった。おれは山南さんのことを本物の兄さんみたいに思っているし、山南さんもおれのことを弟って言ってくれていた」

 山南さんに出会ったのは、沖田がいくつのときだったんだろう? 江戸の剣術道場、試衛館でのことだ。
 現代の年齢で言うなら、たぶん、それは中学か高校のころの出来事ということになる。山南さんは十歳ほど年上の、優しくて博識な、先生のような印象のお兄さんだっただろう。

「おれは、いなくなった山南さんを追い掛けた。山中越えの道を走って、琵琶湖のほとりの町、大津に着いた。山南さんを見付けるのは簡単だった。山南さんは初めからおれにつかまるつもりだったんだ」

 やはり総司が来てくれたね、と。
 沖田は少し低い声音を作って、ゆっくりと言った。そんなふうに山南さんが告げたのだろう。そんなふうに穏やかな口調で話す人だったのだろう。

「屯所に戻った山南さんは、脱走について申し開きをしなかった。罪を犯したからには死を与えてくれって、そう主張するばっかりだった。近藤さんも土方さんも、もちろんおれも、何とかして山南さんを死なせないように説得したんだけど」

 山南さんは譲らなかった。かたくなに死を求めた。
 沖田はうつむき、目を閉じた。二度、三度と頭を振る。黒髪がふわふわと揺れた。川風が吹き、髪の隙間から、ぎゅっと眉間にしわを寄せた苦しげな表情がのぞいた。

「誰も山南さんを説得できなかった。だから、山南さんが望む、山南さんにとっていちばんいい死に方を、選んでもらうことになった。忘れもしない。元治二年二月二十三日、屯所の一室で、山南さんは切腹した。おれが介錯《かいしゃく》を務めた」

 切腹は、武士の自害方法だ。短刀で自らの腹を突き、切り裂く。壮絶なその死に方は、武士の名誉とされていた。
 腹部に大きな切り傷を刻むだけでは、人間は即座には死なない。だから、切腹人は介錯人を立てる。切腹人が短刀を腹に突き立てたら、苦しみが長引かないよう、介錯人は切腹人の首を斬る。

 沖田は刀の柄を握った。こぶしが震えていた。

「おれがこの手で、この刀で、山南さんを死なせた。切腹を許されるのは名誉なことだと、山南さんは何度も言った。介錯を任せられるのは剣の腕が立つ者だけだ、介錯も名誉な仕事だと、山南さんは何度も言ったんだ。でも、でも、こんなのって……!」

 胸が苦しくて仕方なかった。
 体がひとりでに動いた。
 気付いたときには、わたしは沖田を抱き締めていた。沖田がびくりと震える。

 沖田のほうがわたしより体が大きい。わたしが抱き締めるというより、わたしはただ抱き着いているだけのようで、ずいぶん不格好だ。
 全部、包み込んであげられたらいいのに。

「つらいね」
「つらいよ。山南さんはもうどこにもいない。山南さんは、死にたいくらい苦しくてたまらなかったのに、誰のせいにもせずに、一人で死んでいった。これが武士のやり方だよって、おれに全部を見せて、まるで勉強を教えるみたいにさ、いつもみたいに」

「山南さんは……新撰組は、どうしてそんなことになったんだろうね」
「わからない。山南さんが命を懸けて何かを伝えようとしてくれたのに、おれは何もわかってあげることができなくて、取り残されて、病は抑えにくくなってくるし、おれは何のためにここにいるんだろうって、迷って……道に迷ったような心地だった。ずっと」

 沖田はだらりと腕を垂らした。わたしの肩にあごを載せる。下ろし髪がわたしの頬をくすぐった。シャンプーの匂いと、外套越しにも感じられる体温。
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