可愛らしさの欠片もない

「甲斐さん…待って…」

「…待たない…待てない…」

部屋に入った途端、背中から抱きしめられた。首筋に唇が触れた。抱え上げられベッドに雪崩落ちた。

「…シャワー、使わせてください」

こんな性急になんて…。

「俺は気にしない」

あ。せっかちな唇が熱いキスを繰り返す。

「ん……私は…気にします」

……。やっと動きが止まった。見下ろされた。

「…はぁ、解ったよ。その変わり、あんまり遅いと迎えに行くからね」

「解りました」

乱れ気味の服を直した。

「あ」

「え?」

体を起こされた。

「敬語じゃなくていい。…普通でいい。敬語も嫌いじゃないけど…」

髪をすかれた。頬に手が触れた。唇が重なった。

「…あ、はい。…では……待っててください」

ベッドから下りて浴室に急いだ。……はぁ。ごめんなさい。こういうのは気分を冷めさせてしまうって解ってるけど。…でも。……はぁ。…どうしよう。うちに来ちゃった。来ちゃったっていうか、連れて来ちゃった。
今日、急にこんなことになるとは思ってなかった。何もかもよ。話すだけ、一切、何もないと思ってた。だって会えるかどうか、そこからだったのよ。それが奥さんが居るなんて、打ち明けられるなんて、想像もしていなかった。
……体の準備ができてない。迂闊だった。
洗面台の棚を探った。あった。肌に優しいとうたっている三枚刃の剃刀を取り出した。良かった、買い置きがあって。せめてムダ毛くらいは綺麗に整わさせて…。それが気になったのよ。パッケージから取り出した。
急いで着ている物を脱いだ。のんびりしている時間はない。もたもたしてると入って来られる危険性があるんだから。……こんな日、こんなときに…。
これから先のことを考えて決めたというのに。
今、気持ちはムダ毛を残さず綺麗に剃ることに集中しないといけないなんて……なんて不毛な時間…。
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