きみと秘密を作る夜
引っ越し蕎麦を持って、母と近所を歩く。
家々を、「よろしくお願いします」と頭を下げてまわっているうちに、すっかり夜になっていた。
「あら、お隣の方、帰ってきたみたいね」
祖母の家の右隣に建つ、わりと新しい、『桜木』という表札のある家だ。
先ほどはいなかったみたいだが、今は電気がついていた。
この家で最後だ。
母がチャイムを押すと、少しして、ドアが開いた。
今まで訪れたどの家の奥さんより、若くて綺麗な人が顔を出した。
「あら、どちらさま?」
「隣に引っ越してきた小泉です。こちらは娘のリナです。小泉 里菜子。よろしくお願いします」
「お隣って」
「母がひとりで住んでいたんですけど、色々と心配でしょう? それで娘を連れて戻ってきたんです」
「あぁ、そうなんですか」
『小泉』という、慣れない名字。
てか、離婚したって正直に言えばいいのに。
年齢不詳の笑顔が、今度は私に向けられた。
「リナちゃん、いくつ?」
「中2です」
私ではなく母が答えた。
しかし、その人の顔はぱあっと華やぎ、部屋の奥を振り返る。
「ハルー! 下りてきなさーい! 早く、早く!」
急かした声に呼ばれて、階段を下りてくる足音が聞こえてくる。
続いて気だるそうに玄関に顔を出したのは、
「……あ」
夕方、海で会ったあの男だった。