嫁入り前夜、カタブツ御曹司は溺甘に豹変する
 家でもあんなふうに笑ってくれたらいいのに。

 見惚れつつも、自分には向けられない笑顔に胸の奥で少しの寂しさを感じる。

 仁くんは手を水で濡らした後、生地の塊から必要な量を切り取る。丸めて手の上で潰し、こし餡を真ん中に置いて包み込んでいく。道具や指を使って形を整えたらあっという間に完成だ。ここまでの所要時間は僅か数分。

 速い。

 仁くんがやるから簡単そうに見えるけれど、たったこれだけの工程も素人が真似できるものではない。

 白色の菓子皿に盛られた練り切りに、クスノキ科の黒文字という木を素材に使った楊枝を添える。和菓子だけでなく黒文字から漂う木の香りも楽しんでほしいと、仁くんがこだわった部分と聞いている。

 お抹茶も出せば、お客さまの顔がぱあっと花が咲いたように明るくなる。

 仁くんの腕は一流だ。それは生まれ持った器用さも関係しているとは思うけれど、それ以上に彼の努力の賜物(たまもの)

 幼なじみだからといってすべてを知っているわけではない。それでも仁くんがどれだけの時間と情熱を和菓子に注いできたのか、私はこの目で見てきた。
< 20 / 214 >

この作品をシェア

pagetop