嫁入り前夜、カタブツ御曹司は溺甘に豹変する
 今、私を見て笑った?

 そう思ったのだが、困惑する私の両隣で萌と阿久津さんが声を潜めながらも興奮を抑えきれないといった様子で呟く。

「今のって、おまえも頑張れよっていう俺へのエール?」

「違います。可愛い新人に向けての微笑みですよ」

 どうやらふたりも自分へ向けられた笑顔だと感じたらしい。

 恥ずかしい。私を特別視しているなんて思いあがりよね。

 ふたりの解釈が正しいかもしれないし、誰に対してとかではなく意味のないものだったのかもしれない。

 それでも今日はとてもいい日だ。仁くんの笑った顔がこんなにたくさん見られるなんて。

 胸がいっぱいで呼吸が浅くなり、しばらくの間、私の心臓は落ち着きを取り戻してはくれなかった。

 仕事を終えてからお店へと足を向ける。

 仁くんの笑顔が見られたよき日として、今日は朝霧菓匠の和菓子を食べると決めていた。

 就業時間を過ぎてからも工房に残って和菓子の研究や試作をする先輩たちと違って、私が今できることなんてない。
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