最期の花が咲く前に
9章、進む病
葵が居なくなってから数ヶ月間、私は自分の病にただ、じっと耐えていた。
花は日々増えていた。身体中が痛くて、起き上がるのが辛い日もできるようになってしまった。
ハル先生は、この期間が過ぎれば、少しは楽になるから、薬を飲みながら頑張ろうね。と優しく言ってくれた。
それでも、私の痛みは取れなくて、苦しかった。泣く日々が嫌いだった。
そんな日々の合間に、真奈と陽汰が家に来てくれる時は嬉しかった。
今日も、私の部屋には二人がいた。
「さーちゃん、特に何処が痛い?」
「今は左腕かな、花が増えるのはそこばっかり。でも、そろそろ顔も花が咲きそうだなぁって思うの。」
「俺、これ持ってきたよ!」
そう言って、私の好きな物を沢山カバンから出して、自慢気に笑っている。
「ありがとう。あ、グミ食べたい。ちょーだい?」
「いいよー、ほら、あーん」
そのグミを一つ食べさせてもらった。美味しい、このレモン味が好きなんだ。
「…あのぉ、私の間でイチャつくな!もう!見てて恥ずかしいわっ!」
「あはは、ごめんごめん。美味しいから食べたくなっちゃったの。」
「意味わからん…」
「咲那が可愛いからしゃあないだろ?な。」
「分かるけどさぁ…もう、仕方ないなぁ。」
私はさっきの事を考えて途端に恥ずかしくなる、私は小さい子かよっ、と脳内ツッコミする。その話題だとどんどん恥ずかしくなりそうだったので、私は話題を変える。
「ねぇ、春になったら、桜見に行きたいな。」
「桜?何処の?」
きっと分かっているだろう。あの場所だ。
「葵の居る、あの桜が見たい。」
「俺も行きたい!行こうぜ!あ、亜樹も連れていこうぜ?真奈に最近会えてないんだって寂しそうだったぞ?」
「亜樹も行っていいの?やった!」
「亜樹君も行こうよ!私も会いたい!まだこの病気になってから会ってないんだから!」
「よし、決まりー。」
春の予定も決まり、私達は話を広げる。
「さーちゃんの花、もうすぐで落ち着くかなぁ…」
「うん。あと、1ヶ月もない間に落ち着くってこの前言われたよ。早く学校行きたいな。皆に会いたい。」
「みんな待ってるよ。まず、それ教えとかないとな〜。」
「でも、やっぱり綺麗だよね。増えてきて、色んな種類になった。」
「綺麗だよ。私の栄養で咲いてるのに、綺麗に咲いてる。なんか嬉しい気もするよ。」
「俺は、桜が一番好きだなぁ。めっちゃ綺麗。」
「桜好きだねぇ。嬉しい。真奈は?」
「私は足の色んな色の薔薇かなぁ。黄色とオレンジの感じが可愛くて好き。」
「なんか、お洒落だよね。これ。」
そう。私の足には大きすぎない薔薇が咲いた。薔薇のつるがまるでお洒落なドレスのデザインのようで気に入ってしまっている。薔薇なのに棘がないから、皮膚も痛くない。助かったなぁと思っている。
「ドレスとか、似合うと思うんだよね、これ。」
「絶対似合うわ。あ、」
真奈は何か思いついたようで、その表情はぱっと明るくなる。
「陽汰とさーちゃん、一緒に写真撮りなよ!ドレスと、タキシードでも着てさ!結婚式みたいな!」
「「け、結婚式?!」」
二人で顔を見合わせて、私達はそんな声を上げる。
「私のパパがなんの仕事か忘れたの?」
「えっと、デザイナーです。」
「さーちゃんのお姉ちゃんは?」
「えーと…あ、ウエディングプランナー…」
「絶対出来るわ!やるぞ。分かったか?二人とも。」
「う、分かったよ、私も撮りたいし。」
「まぁ、俺も撮れるなら撮ってみたいかな。結婚式したいし。」
「そんなガチでやる気なのね…」
「当たり前じゃん。どうせやるなら、ね。」
「まぁ、準備は二人に任せるよ。私は体調を安定させなきゃ。」
こほっ、と一つ咳込む。
「あ、まただ、」
私の手のひらには、少量の血と数枚の花びらがあった。臓器にまで花が咲いてしまう病気だなんて知った時は絶望に近かった。
肺に咲いた花は私の咳に混じって何枚か取れてしまうようで、
「あ、またなの。はい、」
ティッシュを直ぐに渡してくれる。二人はこれも慣れてしまったようだった。
「ありがとう。あ、もうこんな時間だ。ほら、二人ともそろそろ行かなきゃ。」
「そうだな。咲那は大丈夫?」
「うん。また来てよ。待ってるから。」
「はいはい。じゃあ準備しとくよ。待っててね。」
「ありがとう。」
「あと、日記、咳のこと書いてたから渡しとくね。それ役立つようでよかった。」
「すごい役立つよ。ありがとね。」
真奈のお母さん、萌さんの日記。これは、辛いことも多く書かれているが、とても役に立つ。
私のつけている日記もこんな風に役立って欲しいと思って書いている。
「またね。」
真奈は陽汰に何か言ったあと、一足先に出ていった。
「陽汰?どうかしたの?」
「、あのさ、落ち着いたら、どっか二人で行かない?旅行行ってみたくて。」
「本当?いいの?」
「うん。それも、後で話そうぜ。」
「やったぁ!行こうね。」
陽汰は嬉しそうに笑っていた。私も嬉しかった。すると、久しぶりに陽汰は私を抱きしめてくれた。
「久しぶりに、こうしたかったんだ。大好きだよ、咲那。」
「ん、私も大好きだよ。陽汰。」
おでこをこつん、と合わせて笑い合う。久しぶりの温もりが心を温めてくれる。
一つのキスも交した。暖かくて優しいキス。それが大好きになっていた。
「じゃ、またな。」
陽汰に手を振って、見えなくなると、私の心臓の高鳴りが鳴り止まなくて、幸せな気持ちが続いた。
ただ、落ち着きを取り戻すと再び体の至る所が痛み出す。
「、早く良くなってよ…。陽汰とも真奈とも、遊ぶんだからっ、」
その痛みにしばらく耐えていると、扉の開く音がして雪ねえの驚いた声が耳に届く。
「咲那〜、今日の夕飯、って大丈夫?!咲那!」
「だ、いじょうぶ、いつものことだ、から。」
「そんなこと言ったって、あ、これ薬、飲んでないんでしょ!」
忘れていた。
「ありが、とう。」
「ほら、お水、心配するじゃん…」
「ごめん、」
薬を飲むと数分後には痛みが少し引いていた。
「良かった…。薬は忘れちゃダメだよ。痛み止めなんでしょ?まったく。」
「あはは、ごめんなさい。」
「いいよ。咲那が大丈夫ならそれでいいの。」
「たまーにお姉ちゃん、しっかりしてるよね。」
「た、たまにとは失礼な…。」
「えへへ、ごめん。」
「まぁいいよ。じゃあ、部屋戻るわね。」
「うん。」
再び一人になった部屋で、私は花の図鑑を開いていた。
足元の薔薇は、オレンジと、黄色。なんだか二人に似ている。明るくて、温かい。
つるのせいで靴下なんて履けなくなってしまった。
腕の桜は、日本特有の花で数が増え、綺麗に咲いていた。
首筋の薔薇は青と白が混じっていてまた違う美しさがあった。
腹部の花、それは花水木。赤と白の花水木が咲いていた。
きっと、次に咲く場所は、顔のどこか。そうに分かっていた。
「早いのかなぁ。」
まだ一年経っていないのに。花は増えていた。
どこかで聞いたことがある。奇病の進行は若いほど早く現れてしまうと。十代で発症した人は、ほぼ五年持たずに三年程度で死んでしまうのだと。
そして、私は母に呼ばれて夕食を食べる。いつも通りだけれど、いつまでも続くことの無い普通というもの。
口には出さずに感謝を思う。

日記は今や三冊目。一日の事を綴ると長くなってしまう。
今日も日記を書こう。

そうして書き上がった日記帳を閉じる。
「寝よ。」
*☼*―――――*☼*―――――
陽の光で目が覚める。今日は身体が軽かった。学校に行ける、そう思った。
制服を着て、鏡を見る。ただ、目の前にはいつもと違う自分がいた。
そこには、小さな白い花が顔や頭に咲いている、少し不気味な姿だった。
「…ありゃ、咲いちゃってる。」
思えば足元も隠せないし、まぁ仕方ないなぁと思いつつ、私は久々の学校という事でワクワクしてしまって髪を少しだけ編んだ。ボブヘアの髪は少し編みにくいが、髪飾りのようになる花が可愛くなる気がするのでやるのだ。
「咲那!花が!あと、学校行くの?」
「うん!今日は行けそうだから!花は、どの道隠せないし仕方ないよ。」
「そう。一人で行くの?」
「あぁー陽汰が一緒に行けたら行くよ。」
「はいはい。」
朝ごはんを食べながら、陽汰にLimeを送る。
ー今日、一緒に学校行けますか?ー
すぐに返信が帰ってくる。
ーまじ?行けるよ!行こ!ー
嬉しかった。久しぶりに一緒の登校だから、気分はさらに上がる。
お母さんには呆れられたような目で見られていたが関係ない!
「じゃあ、いってきます!」
「気をつけてね。あ、お弁当。」
「ありがとう、いってきます。」
家の前には陽汰がいた。
「あ、咲那。おはよう。て、花増えてるじゃん」
口をポカーンと開けたままそうに喋る陽汰。
「増えたねー一気に。綺麗?じゃないよね…」
「驚いたけど、綺麗じゃん。目とかだったら少し焦るけどさ。まだ大丈夫…はは。」
「優しいねぇ、ありがとう。ほら早く行こ!」
自分でも不気味に感じた花は、色々な人に見られたし、悲しい言葉が聞こえた。仕方ないと分かっていても、少しは傷つく。
「早く行こっか。ほら、朝練見ようよ。サッカー見てぇわぁ。」
「そうだね、早く行こっか。」
「おう。」
そういって道を二人で走る。陽汰が悲しむ私を助けてくれるのが嬉しかった。
今日は真奈が朝練の日でそれも見たかった。
「真奈の部活も見たいなぁ。ただ、ごめん、少し休ませて、」
「ごめん、体調全回復してないもんな。いいよ、休も」
「ありがとう。」
もうすぐで学校に着くということもあり、再び歩き始めて門を通る。
「あ、サッカーやってる。おー…パス連だねぇ。」
「…地味ーだな。基礎大事だけど、見る分には暇や。」
「うん。真奈のとこ見よ。陸上なら、走ってるよ。多分」
真奈はサッカー部とは反対のところで走っていた。短距離走の練習のようで、先生は居ない。
「あ、いたいた。ちょうど走るみたいだよ!」
「よーい、ドン!」
すごく早かった。鳥のように走る姿が見ていて綺麗だ。
「…綺麗だね。私もまた走りたいな。」
私は、病気になる前は陸上部に入っていて、短距離走の選手だった。今は、走れるだろうか。
「真奈と走ってくれば?一回くらいなら、ギリいけるんじゃね?」
「制服だし。真奈には負けちゃうよ。」
しばらく走っていないし、真奈もだいぶ早くなっていると思う。
見ていると、真奈はこちらに気がついたようで走ってくる。
「さーちゃん!花が増えたんだね!綺麗!」
「そう?ありがとう。あ、走るの早くなったんだね!もう勝てないかも…」
「少し早くなっただけだよー。一回走る?みんな咲那先輩の走りみたいですーって言ってるよ。ほら、」
「でも、」
「行ってきなよ。荷物は持ってるから。ほら、青春青春ー。」
「あはは、ありがとう。いってきます!」
久しぶりに走るのはとても楽しみだった。部員の皆は花に驚いていたが一回だけ走っていいかな?と聞くと、直ぐに笑顔になってはい!と答えてくれた。
「じゃあ、行きますか。」
制服だったけれど、気持ちはユニフォームを着ているようで、嬉しくなる。
「よーい、ドン!」
声が聞こえた途端走り出す。身体に触れる風の感触が懐かしくて、病気になる前の身体に戻ったように私は思い切り百メートル走っていた。真奈と笑い合いながら、競い合った。
これが、私の最後の百メートル走になるんだろう。もとい、走り切ったあとの私はその場に倒れ込むように操作が出来なかった。
「さーちゃん!大丈夫?」
「はぁ、はぁ、大丈夫。久しぶりに走ったからさ、疲れちゃった。」
咳が止まらなくなってしまい、手のひらにはいつもより多い血と花びら。
「あー、あ。ごめんやっちゃった。」
「陽汰ー!タオルー!」
「りょーかーい!」
また助けられた。後輩ちゃん達はきっと怖かっただろう。なのに私の周りに来て、心配してくれた。陽汰からタオルを貰って渡してくれる。
「優しいね。皆は。」
その子達は首を横に振って、
「当たり前のことをしてるだけです。」と口々に言ってくれた。
病が進む中、私のことは学校中に広がり、理解が深まったのだと聞いた。クラスの人がだんだんと広めてくれたと聞いて、嬉しくなった。
朝からそんなことを聞いていたら、自然と涙が流れる。
「ありがとう、ありがとう。」
涙腺の緩みが凄すぎて、すぐに泣いてしまう。
「咲那、皆受け入れてくれた。みんな見方だよ。」
「うん、嬉しいなぁ。」
「だろ。俺も嬉しいよ。良かった。」
「ただ、今日の姿はきっとびっくりされちゃうよ。あはは。」
「大丈夫。みんな分かってくれるよ。」
「分かってくれない人がいたら、私が成敗致す!」
「成敗はしないでよ?(笑)」
「んー分かったよ…」
「じゃあ、俺たちは教室行くね。朝練頑張って。」
「はーい。またねー!」

「陽汰、走れてよかった。でも、多分もう走っちゃダメだ。身体がもたない。」
苦笑いを浮かべると、
「また、走れるかもよ?諦めちゃダメだよ。」
「また走れたらいいなぁ。そしたらまた、見てくれる?」
「もちろん。見るよ。てかさっきのめっちゃかっこよかった!フォーム変わってなかったよ!」
「ほんと?やったぁ!嬉しい。」
素直に嬉しくてはしゃいでしまう。
陽汰はいつもよりとろけたように笑って、私の頭をわしゃわしゃ撫でる。
「なっ、髪がぁぁ!」
「ふは、可愛いなぁほんとに。」
ば、馬鹿にしてるようにしか感じない!まったく。だんだんと朝練の人が帰ってきて、教室に様々な声が飛び交う。
この雰囲気が久しぶりで、すごく嬉しかった。いつの間にか、陽汰にわしゃあとやられたことを忘れ、私はその教室の雰囲気を楽しんでいた。
「あ!咲那ちゃーー!ん!今日から来れるの?」
「あー、」
そういう訳でもない。今日は体調がいいから来れただけなんだ。返答に困ったが、考えをまとめて、
「今日、体調良かったんだ。だから、行けるかなぁって。」
「そっかぁ。じゃあまた休んじゃうかもしれないのかぁ。でも、無理はして欲しくないし…んー来れる時に沢山楽しも!」
キラキラとした目でそうに言ってくれた。あっという間に私の周りは人だかりになった。
大丈夫?花綺麗だね!久しぶりー!
と少しうるさいなぁとは思ってしまったけれど、久しぶりの皆は変わっていなくて、私はその笑顔に支えられるんだなぁと感じていた。真奈と陽汰も後ろの方で苦笑いしつつ、嬉しそうに笑ってくれた。
ただ、私だけは皆と変わってしまった。
体は弱まり、ひとつ咳をすれば手のひらには血液が付着して。
花は痛む。その度に心配されて、病が進むと共に周りの人に迷惑をかけてしまうということを痛感してしまう。
みんなは優しくて「大丈夫だよ。」と言ってくれるが、こんなの気持ち悪く思わないわけない。
帰り道、陽汰と真奈は私の家に寄ると言って一緒に帰ってくれた。
私が落ち込んでいることを察してくれたようで私を一人にしないでくれた。
今一人にされてたら、私多分家帰らん。うん。そんなことを考えていると、二人は仮結婚式の話をしていた。
お姉ちゃんにいつの間にか承諾を貰っていたらしく、真奈のお父さんの作ったドレスのカタログが届いたり、式場の注文も既に済んでいるらしい。
まぁ写真撮影だから、お金はあまりかからないらしく心配は必要ない!との事だった。
そして、家での議題はドレスとタキシードについて。可愛らしいドレスは見ていてテンションが上がる。しかも二着選んでいいのだという。
これは、迷う。
「足が映えるようにだっけ?」
「まぁ、そうかなぁ。綺麗だし。」
「ふむふむ。」
ブルーな気分は無くなり、目の前で輝くドレスをみて心はパステルカラーになったようだった。
パラパラとページをめくっていると、ひとつのドレスに目がいった。
それは長いタイプのドレスから、ミニドレスに変化するという変異型ドレスだった。
「これ、綺麗…」
真っ白ではなく、パールの入ったようなキラキラとした生地に、チュールのふんわりとしたレースがついていた。
それを取るとミニドレスに変化するようだった。
「私、これにする。」
これを着て、陽汰と歩いてみたかった。着飾った私を見て欲しいと率直に思った。
「わぁ、可愛い!いいね。じゃあ、一着はそれでー」
「私、一着でいいよ。それを沢山写真に残したいかなぁ。」
「俺も、着替えは一回でお願いしますよぅ〜。咲那はそれが気に入ったんだろ。なら、それを沢山着るのがいいと思うよ。」
「えへへ、そうだよ。これで歩きたいの。」
ドレスは直ぐに決まった。これを着るのはだいぶ先になるらしい。下手すれば一年後とか、そのレベル。その頃に私はまだ歩けるのだろうか。それも分からない。
そして、二人は雨の中を急いで帰って行った。私はその日受けとった萌さん日記を読む。あるページに、とても気になることが書かれていた。
「私は、今日気がついた。体に咲くこの花たちは、一つ一つが意味を持つ。それは身近にいる人や、人生の分かれ道を表すような気がしている。もしも、この病気になった人がいるなら少しだけ、それを考えてみたら面白そうだなぁ。」

花が意味を持つ。気にはなったが、私はまだそれがよく理解できなかった。
日記に綴られた続きを読む。
「私は、もうきっと長くない。真奈の成長が見れないのかぁ。やっと、中学生になるのに。辛い思いしかさせていないのに。母親として、駄目だったなぁ。ごめんね、真奈。」

それに気がついた時、萌さんの命はもう短かったんだと分かる。いつか訪れる死がどれほど怖いものか、私にはまだ分からない。
まだ死なないだろうと分かっているから。でも、あと数年後の私はきっと死というものを現実だと受け入れられる。
「死んじゃうんだなぁ。」
静かな一言は暗い部屋に消えて、目が熱くなった。
尋常ではないほどに。瞳が潰されるような痛み、破れるような皮膚の感覚。そして理解する。
目に花が咲いた。涙の色は赤色で、血なのか花の色なのか分からなかった。鏡を見てその花を視認する。
淡いピンク色をしたガーベラが咲いていた。
「ガーベラ…て、あぁ視力無くなってる…。はは。」
花の咲いた左目は機能を失い、右目だけが使える体になった。痛みは先程に比べれば、ほとんど無いに等しくなっていた。
この涙は、花の色と少しの血液が混じったから、少し赤いんだろうなぁと思った。
「そういえば、検査結果…」
ふと思い出し、私は机の上の封筒を開ける。
いつも通りよく分からない数値が沢山書かれていたが、最後の方にハル先生の字で、
「もしも、目に花が咲いてしまった時、進行がかなり進んでいると思われます。目に花が咲いてしまった場合は、病院に来てください。」
行きたくない。それが素直な感想だった。ネットで調べていてもわかる。目に花が咲くこの花咲病は、その目の花が身体の養分を吸い取っていると、他の部分の花が多いと吸い取られる養分は増えていくと。
それを考えると、私の花の数はかなり多いと思う。身体の衰退具合は日を進む事に酷くなる。
「もって、一年あるかなぁ…」
そんなことを考えてしまう。葵には諦めないと言ったけれど、どうすればいいんだろう。
私はスマホから病院に電話をかける。何コールか後に繋がって、ハル先生を呼んでくると言ってその看護師さんは遠ざかって行った。オルゴール音が私の心を落ち着かせてくれた。
「咲那ちゃん、どうかしたの?」
「目に、花が咲きました。ちなみにガーベラです。」
「そうなの、すぐ病院来れるかしら?お母さんに代ってくれる?」
お母さんに電話を渡して、それから病院の待合室に座って、お母さんだけが呼ばれた。後から来たお姉ちゃんと、お父さんも呼ばれて入っていく。
だいたいこういう時は余命宣告がされるんだろう。
先生の顔はいつもと違い少し強ばっていたし、そこからなんとなくだったけれど私の命は段々と短くなっていることが分かった。寂しいなぁと心は泣いていた。
「咲那ちゃん、入って。」
言われてすぐに私は部屋へとはいる。家族は私と目を合わせようとはしなかった。ずっと下を向いていた。
「えっとね、咲那ちゃんは、」
私はその言葉が聞きたくなくて、抗いたかったけれど、何も言葉が出てこなくて、その事実だけを知る。
「一年、持つかわからない。奇跡が起きたら、もう少し生きられるのかもしれないけれど、分からない。」
小さな笑顔が漏れてしまった。呆れや、絶望、そしてすっと無くなる存在意義。
私は一瞬で人としての価値を失った気がした。
もう一年も生きられないかもしれないのに、何のために勉強すればいいのか分からなくなってしまう。
この病気になった時のように、私は気がつけば家の前に立っていた。
あと一年、それは今の私にとって、とてつもなく短いものだ。
降りしきる雨に打たれて私は一人泣いて、泣いて、泣き続けた。
足を動かして、なんとか公園にたどり着く。びしょ濡れになったブランコに座り込んで、ボーッと空を見上げる。雨粒が顔を濡らし涙を流してくれる。どうしても止まらなかった。意気込んだ時より、ずっと気持ちは黒く染まっていた。
私の呼吸音と、雨の降る音だけが耳に入ってくる。ふたつだけのはずだった。でも、遠くから水が跳ねる音がした。バシャバシャと走るような音と共に近づいてくる。
やがて、足音は小さくなり、私の後ろで止まる。後ろを向くことが出来なかった。泣き腫らした顔を誰かに見られたくなかったから。…そっと暖かい物が被せられ、誰かが私をギュッと温めてくれる。
途端に流れていた涙の意味は変わって、その暖かさを感じる涙になっていた。
「こんなとこでで何やってんの。風邪ひくだろ。…おばさんから、聞いたよ。あと余命は、一年なのか。」
「っ、そうだよ。あと一年したら、私は死ぬんだ。」
思わず投げやりな言葉が吐き出される。
「ほんとに一年だと思ってんのか?」
「余命が、そうならそうだと思う。だって、」
「でも、諦めないって決めたんじゃねぇのか?」
「それは…」
返す言葉が無くなった。確かに私は諦めないって言った。それでも、やっぱり無理じゃないのかな…
「俺は、信じてるぞ。お前が諦めないって。」
「私だって、諦めたくないよ。」
ぱっと後ろを振り返ると、陽汰はいつもより弱く、でもやっぱり優しく微笑んでいた。
「じゃあ、諦めんな。頑張ろう。俺が沢山支えるから。」
「ひなたぁ。」
視界はぼやけていて、陽汰がどんな顔をしていたかは分からないけれど、額に一粒暖かいものが落ちてきていて、泣いているんだと理解した。泣かせてしまった。心配させてしまった。ごめん。そして、これからも支えてくれるなんて、本当にありがとう。
「ごめん、ね。ありがとう。」
「いいよ。頼ってよ。俺を、俺達を、ね?」
「うん。頼る。」
陽汰との会話はこの公園が多くて、大切な分岐点をここで過ごすことが多い。
今も、あと一年にはさせない。諦めないと再び決意した。
家に帰るなりお母さんが抱きついて、お姉ちゃんが頭を撫でてくれた。
その二人を見て、また泣いてしまったけれど、いいんだ。
次の日、真奈にも直接伝えると、「私だって、支えるよ!頼ってね!」と自信ありと言う感じで胸を叩いていた。やっぱり二人が居なくちゃダメだなぁと感じる。この病気になってから、何回思っただろう。
そして、青い薔薇を持って私達はあの桜の木の下へ向かう。
今日は真奈の彼氏くんも一緒に。
その彼氏くんは、小学校の時別のサッカーチームだったけれど、家が少し近くよく話したんだとか。
繋がりがある人達なんだなぁとふと考える。
その、桜が見える所まで来ると、ひとひらの花びらが私達の上を通り過ぎていく。
季節は春。葵の木はたくさんの花を咲かせて風に揺られていた。
「わぁ、咲いてる…」
「この木はやっぱり少し先取りするなぁ。昔から周りより早いんだよな。」
「確かに、そうだったかもなぁ。たまに陽汰たちのチームと戦う時、この木はよーく目立ってたわ。」
「そうなんだ。私だけ知らないしぃー。」
そんな会話に頬をふくらませる真奈。彼氏くんの名前は亜樹。真奈はよく、あー君がね?と話してくるのだが、その時の真奈が物凄く可愛い。あー君は幸せだわ…。
「そんなほっぺ膨らませなくていいだろ?ほら、」
そう言って亜樹くんは真奈の頬を押して元に戻す。
「お前ら、よーくイチャイチャするよな。」
「あ?陽汰もすればいいじゃんかぁ。咲那ちゃんと〜」
「うるせっ!恥ずいから無理!」
「私はしてみたいけど…」
小さな声でつぶやくと聞こえていたみたいで、陽汰が私の手を掴む。
「!」
「しー。…俺が繋ぎたかっただけだよ…」
少し赤くなった顔が愛おしくて。
「ありがとう。」
二人に気づかれないように静かに。それがなんだか楽しかった。
「着いたー。葵ー来たよー!」
「やー、近くだとさらに立派だな。」
私達四人はそれぞれの薔薇の入った花束を供えて、葵に喋りかける。
私は…あと一年だってことを伝えなくちゃかなぁ。そして、諦めないという事も。
ふんわりと桜色の風が辺りを流れていく。
「葵じゃね?葵いつも風で現れるのな。」
「ふふ、そうかもね。はぁー、私こんなに花増えたんだよー葵ー。」
気を紛らわせるように、明るく話す私達を、暖かな風が見守っていた。
季節は春。寒かった冬は終わり、暖かい季節が到来した。
優しい人達と、進む病に囲まれて、私は残りの時間を生きていく。
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