最期の花が咲く前に
8章、幼い記憶と葵
小学校入学と同時に陽汰は地域のサッカーチームに入った。
私も時々陽汰について行ってサッカーを応援したりしていた。
その時に陽汰とよく喋っていたのが、葵君だった。
今とは違い、黒髪で肌もサッカーをしている為焼けていた。
私ともよく話をしてくれて、陽汰の事を話したり、サッカーのことを話したりしていた。
「咲那は…」
といつも楽しそうに話してくれる葵君が正直に言って多分好きだったと思う。その時は陽汰がただの兄妹みたいな感じで、
なんとも思っていなかった。
思い出した記憶の一つは、葵君と二人で遊びに行った日の思い出だった。
「早く行こ〜。始まっちゃうよー」
「分かったから、走んないでよ〜。咲那ぁ!」
「う、ごめん。でも、早く行かなきゃ」
その日は夏祭り、本当は陽汰も居るはずだったが、用事が入って行けなくなってしまったから、二人で来た。
葵君と初めて出かける日であり、私にとってはまだ幼いながらもデートに行くような感覚で、とても嬉しかった。
もうすぐで始まるであろう花火を見るために私は気が焦っていた。
「あ、あそこいいんじゃない?空いてるし、良く見えそう。」
同い年とは思えないほどの落ち着きを持つ葵君が好きだった。
「うん!」
二人で見る花火は、とても綺麗で、うっとりとしてしまう。胸に響いた花火の咲く音を覚えている。大人びた葵君がその日、私に言った一言を、思い出した。嬉しくて、仕方なかったのに、今まで忘れてしまっていた。
「花火が咲くって言ったりするよな。咲那の字が入ってて、綺麗だよな。」
「ふぇ?あ、ありがとう。」
顔が赤くなってしまう。嬉しかったんだ綺麗だって言われて、好きな人に言われて嫌な人がいるわけない。
大好きだったのに、なんで私は忘れてしまったんだろう。忘れたくなかった、きっとあの日葵君は覚えていてくれて私に声をかけてくれたのに。私は忘れてしまった。
「ごめん、ごめん。葵君…」
『咲那、ありがとう。』
ふと、その言葉を思い出した。でも、なんで言われたかが分からない。どうしても思い出せなかった。
私の記憶がかけてしまっているのは、一つの事があったからだろう。
それは事故、きっかけは…あぁ、葵君を、葵を庇ったんだ。
葵が車に引かれそうになった時、私はその車の前に飛び出して、葵を押した。私の体は車にあたり、ボロボロになった。
そのとき、私の記憶は一部が消えたのだと、今理解した。
丁度、葵が白化病になった頃の事だったんだ。そして、彼は私の目の前から消えた。
その事実を理解して、私は泣いた。謝っても謝っても、足りないほどに心が傷んだ。
大好きだった人を忘れて、私は陽汰を好きになったのだ。
「ごめん、葵、あおぃ…」
かつて大好きだった人は、もうすぐで亡くなってしまう。
私の恋路を進めてくれた。それが嬉しくもなり、とても寂しくなる。
止まらぬ涙を拭いてくれる人が今は居ない。
「うわぁぁぁー」
守ってくれ。そうに言ったのは私の事をずっと知ってくれていたからなのに。私は、私は
泣きじゃくっていると、スマホに一件の通知が届いた。
ー咲那、ありがとう。ー
突然のメッセージだった。続けて送られてくるメッセージ、それを私はただ眺めていた。
ー遠い昔、咲那が告白してくれたこと、今でも覚えているよ。あの日、俺は君を振った。
その頃、白化病であることを知ったんだ。進行はゆっくりだと知っていた。でも、早死する俺に愛を向けて欲しくなかった。
苦しめると分かってたから。でも、あの日振らなきゃ良かったって、後悔したんだ。ー
ーそして、あの事故が起きてしまった。俺の不注意で起きた、最悪な事故。あのせいで俺に関しての記憶を、咲那は無くしたんだ。ごめん。あの時、俺達は咲那が死んでしまうかもしれないって言われて、感謝を伝えた。ー
ー咲那、ありがとう。って、色んな意味を込めて伝えたんだ。もう、言える時が来ないかもしれないから伝えるね。
出逢ってくれて、好きになってくれて、守ってくれて、また出逢ってくれて、ありがとう。ー
ーそして、この前告白しろって言ったのは、後悔して欲しくないからだよ。幸せなって。ー
そうして、そのメッセージは途絶える。葵本人から語られたその事実。意識が途絶える寸前の言葉が残っていたんだ。
我ながら、本当に馬鹿だと思う。今の心境ではメッセージを返せる気がしなくて、私は無理やり眠りについた。
…
メッセージに既読が付けられず、日にちは葵の手術日になっていて、私と陽汰は二人で病院に向かっていた。
「最近元気ないな。どうした?」
私は黙ってしまう。なんと伝えればいいのか分からなかった。ただ、伝えるべきだろうから、
「私ね、思い出したの。全部」
「思い出した…のか。それで、」
「うん。」
歩く音だけが辺りを反響する。その静けさは嫌いだった。
「俺の事、嫌いになったか?」
「っ、嫌いになんて、ならない、ただ、思い出したから、辛い。」
「咲那は葵が好きだったんだ。でも、俺になってた。最初はわかんなかったけど、な。」
「ごめん。勝手すぎる私でごめん、」
「いいよ。ただ、このまま俺と続けられる?」
「うん。好きだもん。続けられるよ。」
「良かった。ありがとう。抱え込みすぎんなよ。葵にちゃんと伝えなよ?それ思い出したってことも。」
「そのつもり。怖いけど頑張るよ。」
「頑張れ。…早く行こうか。応援しなきゃだよ。」
私達は少し走る。早く葵に会いたかった。伝えたかったから。
手術室前、私達はその前のソファに座って葵を待っていた。
ここからでも聞こえる中の音はとても焦った様な声で、震えが止まらなかった。
そっと陽汰が腕を肩に回して落ち着かせてくれるのは、とても嬉しかった。
…何時間たったのだろうか、やっとランプが消え、中から一人の医師が出てくる。
「あの、葵は」
医師はこちらを見ると、ゆっくりと口を開く。
「手術自体は成功です。ただ、葵君が頑張らなければ、すぐに命の火は消えてしまいます。それだけはご理解して頂けるようによろしくお願いします。」
呆然とその場に立ち尽くしてしまう。遠くから近づいてくる音、それは葵の乗ったストレッチャーの音だった。
「葵、葵!大丈夫か、頑張れ!負けんなよ!」「頑張れ!話したいこと、いっぱいあるの、だから、戻ってきてよ!葵!」
私達はそう伝えただけで、看護師にとめられる。直後首筋に痛みが走った。
「いたっ…っう、うぅ」
触ると血が流れていて、薔薇は赤黒くなってしまう。
陽汰は酷く驚いた。前よりも多い血が流れていたから。すこしふらつくような感覚を覚える。
陽汰に支えてもらいながら、血を止めようとする。
なかなか止まらない血を必死に止める。やっと止まった時、私の服は赤く染まって、陽汰の服も少し血に染まっていた。
気がつけば首筋の薔薇の色は戻っていた。どっと疲れた体は鉛のようで動かすのも辛かった。
「陽汰、服、血が、」
「俺は大丈夫。咲那は?大丈夫じゃないよな、どうしよう、」
「ここ、病院だから。だれか呼んできて?お願い…」
陽汰は私の事を抱き抱えると病院のナースセンターへ駆け出した。
…気がつけば、私はベットの上で眠っていたようで、目が覚めると安堵の表情を浮かべる陽汰が居た。
「良かった…。もう大丈夫だって、点滴してるから。」
「心配かけて、ごめん。」
「いや、大丈夫だよ。あと、起きられるようになったら葵に会いに行こう。」
「うん。」
少しすると大分楽になって来たので、私は車椅子に乗って葵の部屋に向かった。
ノックをしても帰ってくる声はない。病室のドアを開けると中には様々な管が繋がる葵が眠っていた。
「すー、すー」
一定のスピードで鳴る機械音と、葵の呼吸音が部屋の中を巡っていた。
変わり果てた葵の姿を見て衝撃を受ける。苦しかった。私は葵の手を握る。
「戻ってきてよ。葵、思い出したんだよ。昔、葵が好きだったことも、事故に会ったことも全部。」
当たり前だが、返答はなく、私はただ話す。
「Limeの返信が出来なかったのは、怖かったから。会えなくなる気がしたの。でも、また会えると信じてたから。だから、戻ってきてよ!葵!」
一瞬乱れる機械音。葵の目には涙が浮かんでいた。
「今は、陽汰が好きだよ。でも、葵の事が大好きだった。忘れたりしてごめん!ずっと大好きだった、振られて辛かった。
でも、葵の気持ちを知って、感謝しかないの。」
「葵、また、話したいよ。」
そして機械音は荒れた。部屋に流れ込む医者達はあの場で聞いた焦った声と同じだった。
ただ、さっきよりも励ますような言葉が多くて。
「目が覚めるのかもしれない。葵は今、戦ってるのかもしれない、生きるために」
「大丈夫だよね?死なないよね?」
「だから、信じよう。」
私達二人は恐怖に震えながらも、その光景を眺めていた。
そして、そして。
葵は、目を覚ました。奇跡的に、今、目を覚ました。
「葵!良かった、戻ってきたぁ。」
泣いた、腕を掴みながら泣きじゃくった。安心したんだ。
「さ、なぁ?俺は、まだ生きてるのか…うれし、いな。」
ははは、と笑う葵を見て更に安心する。
「成功したんだ、良かったぁ。」
「ちがう、よ。これは、最後の、時間だ。」
「なんで…?だって、」
「わかるんだ、よ。ごめん、あと、数時間しか、もた、ない。」
「失敗してるのか。」
陽汰が寂しそうに言った。その言葉の意味は単純なはずなのに、理解が出来なかった。
「そ、だよ。今も、機能が、失われてる。」
「最後…か。辛いな。」
「楽しい時間にしようか。俺も頑張るから、さ。」
「最後…」
「うん。ごめんね。最後になっちゃう、よ。」
溢れる涙を堪えて、私はその事実を受け入れる。
「分かった。楽しもうかっ。」
夜だからキツいかとも思ったが、真奈も呼んで、最後の時間を過ごす。
私達四人はサッカーチームで出逢った、幼なじみなんだと思い出す。
だから、真奈も葵の事を知っていた。私の複雑な恋も知っていたからこそ、今回最高に喜んだという。
他愛も無い話は、数時間続いて、やがて、葵は声を失った。足の機能も無くなり、残るは腕のみ、
筆談で話す今も楽しかった。もうすぐで無くなる命の火を伸ばせるように、頑張った。
検討虚しく、と言うべきだろうか。
それから一時間後、呼吸機能と聴覚がまだあった。
三人でたくさん感謝を伝えた。ただ、最後は二人が私に話して欲しいと背中を押した。
「っ、ありがとう、」
涙はとっくに流れていて、目の前の葵を抱きしめながら、私は語る。
「葵のこと、大好きだよ。陽汰とのこと、応援してくれてありがとうっ、でも、死なないでよ、やだよ、遠くに行かないでよ。あおぃ…夏祭り楽しかった、桜の下で見たサッカーかっこよかった、思い出が溢れてるんだよ、」
嗚咽混じりの声のせいで、葵に届いているか不安になる。ただ、今は伝えたかった。
「私も、諦めない!葵の分も、絶対生き、る!また、会おうね!葵、」
だんだん呼吸音が無くなってくる葵。葵も目からは涙が流れていて、もう消えてしまう火を休ませてあげたくて、私は
「お疲れ様。出逢ってくれて、ありがとう。そして、大好きだよ。葵。ゆっくり、休んで、ね?」
直後、ピー、と鳴り響く一つの音。
葵は、死んでしまった。数分後に葵の身体は元の綺麗な姿に戻る。
月明かりが葵を照らす。真っ白になって透き通る葵の肌が美しかった。
さっきの会話で葵は言った。
「このあと、俺が死んだらさ、風入れてよ。…白化病ってな、死んだら、消えて無くなるんだって。消えるなら、風に吹かれて消えたいから。色んなとこ行きたいし。いつまでも存在してたいんだ。」
だから、私達は外の風を取り込む。
すうっと溶けるように消えていく葵。私達の涙腺は崩壊していた。まだ温かさの残るベットに沢山泣いた。
悲しくて、悲しくて仕方なかった。
葵はもうこの世に居ないから。話すことなんて出来ないから。
ねぇ、葵?もっと早くに思い出したかったよ。ごめんね、思い出せなかったの。
一つの風が私の背中を流れていく。葵の風なんだろうか、通り過ぎる時に、葵の声で、
「頑張れ。」
と言われたような気がした。
「頑張るよ、葵。」
私の薔薇は白だけでなく、青色も混じっていた。
数日後、私達はサッカー上の近くにやってきていた。
お墓を用意することは出来ないから、変わりに懐かしい場に花を置きに来た。まだ花は咲かない桜の木の下だ。ここで花火を見たんだ。
「葵、今どこにいるかな、ブラジルとかかな、サッカー見てそう。」
「私は近くにいると思うよー。ここは覚えてるだろうし。咲那は、どこだと思う?」
「この市を巡ってると思う。歩きたくても、十分に歩けなかったと思うから。ふわふわ飛んでるよ。きっと。」
「また会いに来よう。葵、また来るからな。」
四人の写真を、再び撮る。葵は写真だが、小さい頃の懐かしい写真を見ながら真似している。
なんでも、それが最近の流行り事らしいから。
「ふふ。ありがとう」
どこかからそんな声が聞こえた。
「今、聞こえた?葵、ここに来てたみたいだぞ。」
私達の耳にはしっかりと葵の声が聞こえていた。
別れを感じた瞬間でもあった。空耳のような声は空に吸い込まれて行って直ぐに消えてしまったから。
大切な人をまた一人失ってしまった。私も、消える側になるなんて悲しいな。
今から申し訳なさが込み上げてくる。ただ、葵に迷惑はかけていいと思うよ。
と言われたのはすごく嬉しかった。
隣にいるふたりの笑顔を見て、私はいつか訪れる日のことを思い、辛くなる。
私はまだまだ生きたいから。死ぬ訳には行かない。負けない。絶対生きる、
そう葵にもう一度伝えておいた。
これから、もっと辛くなるだろうと言われている。けれど、負ける訳には行かないから。
私は抵抗する。最後の最後まで、生き続けてやる。
あの空に届くように心の中で叫んだ。そして私はまた一歩踏み出した。
私も時々陽汰について行ってサッカーを応援したりしていた。
その時に陽汰とよく喋っていたのが、葵君だった。
今とは違い、黒髪で肌もサッカーをしている為焼けていた。
私ともよく話をしてくれて、陽汰の事を話したり、サッカーのことを話したりしていた。
「咲那は…」
といつも楽しそうに話してくれる葵君が正直に言って多分好きだったと思う。その時は陽汰がただの兄妹みたいな感じで、
なんとも思っていなかった。
思い出した記憶の一つは、葵君と二人で遊びに行った日の思い出だった。
「早く行こ〜。始まっちゃうよー」
「分かったから、走んないでよ〜。咲那ぁ!」
「う、ごめん。でも、早く行かなきゃ」
その日は夏祭り、本当は陽汰も居るはずだったが、用事が入って行けなくなってしまったから、二人で来た。
葵君と初めて出かける日であり、私にとってはまだ幼いながらもデートに行くような感覚で、とても嬉しかった。
もうすぐで始まるであろう花火を見るために私は気が焦っていた。
「あ、あそこいいんじゃない?空いてるし、良く見えそう。」
同い年とは思えないほどの落ち着きを持つ葵君が好きだった。
「うん!」
二人で見る花火は、とても綺麗で、うっとりとしてしまう。胸に響いた花火の咲く音を覚えている。大人びた葵君がその日、私に言った一言を、思い出した。嬉しくて、仕方なかったのに、今まで忘れてしまっていた。
「花火が咲くって言ったりするよな。咲那の字が入ってて、綺麗だよな。」
「ふぇ?あ、ありがとう。」
顔が赤くなってしまう。嬉しかったんだ綺麗だって言われて、好きな人に言われて嫌な人がいるわけない。
大好きだったのに、なんで私は忘れてしまったんだろう。忘れたくなかった、きっとあの日葵君は覚えていてくれて私に声をかけてくれたのに。私は忘れてしまった。
「ごめん、ごめん。葵君…」
『咲那、ありがとう。』
ふと、その言葉を思い出した。でも、なんで言われたかが分からない。どうしても思い出せなかった。
私の記憶がかけてしまっているのは、一つの事があったからだろう。
それは事故、きっかけは…あぁ、葵君を、葵を庇ったんだ。
葵が車に引かれそうになった時、私はその車の前に飛び出して、葵を押した。私の体は車にあたり、ボロボロになった。
そのとき、私の記憶は一部が消えたのだと、今理解した。
丁度、葵が白化病になった頃の事だったんだ。そして、彼は私の目の前から消えた。
その事実を理解して、私は泣いた。謝っても謝っても、足りないほどに心が傷んだ。
大好きだった人を忘れて、私は陽汰を好きになったのだ。
「ごめん、葵、あおぃ…」
かつて大好きだった人は、もうすぐで亡くなってしまう。
私の恋路を進めてくれた。それが嬉しくもなり、とても寂しくなる。
止まらぬ涙を拭いてくれる人が今は居ない。
「うわぁぁぁー」
守ってくれ。そうに言ったのは私の事をずっと知ってくれていたからなのに。私は、私は
泣きじゃくっていると、スマホに一件の通知が届いた。
ー咲那、ありがとう。ー
突然のメッセージだった。続けて送られてくるメッセージ、それを私はただ眺めていた。
ー遠い昔、咲那が告白してくれたこと、今でも覚えているよ。あの日、俺は君を振った。
その頃、白化病であることを知ったんだ。進行はゆっくりだと知っていた。でも、早死する俺に愛を向けて欲しくなかった。
苦しめると分かってたから。でも、あの日振らなきゃ良かったって、後悔したんだ。ー
ーそして、あの事故が起きてしまった。俺の不注意で起きた、最悪な事故。あのせいで俺に関しての記憶を、咲那は無くしたんだ。ごめん。あの時、俺達は咲那が死んでしまうかもしれないって言われて、感謝を伝えた。ー
ー咲那、ありがとう。って、色んな意味を込めて伝えたんだ。もう、言える時が来ないかもしれないから伝えるね。
出逢ってくれて、好きになってくれて、守ってくれて、また出逢ってくれて、ありがとう。ー
ーそして、この前告白しろって言ったのは、後悔して欲しくないからだよ。幸せなって。ー
そうして、そのメッセージは途絶える。葵本人から語られたその事実。意識が途絶える寸前の言葉が残っていたんだ。
我ながら、本当に馬鹿だと思う。今の心境ではメッセージを返せる気がしなくて、私は無理やり眠りについた。
…
メッセージに既読が付けられず、日にちは葵の手術日になっていて、私と陽汰は二人で病院に向かっていた。
「最近元気ないな。どうした?」
私は黙ってしまう。なんと伝えればいいのか分からなかった。ただ、伝えるべきだろうから、
「私ね、思い出したの。全部」
「思い出した…のか。それで、」
「うん。」
歩く音だけが辺りを反響する。その静けさは嫌いだった。
「俺の事、嫌いになったか?」
「っ、嫌いになんて、ならない、ただ、思い出したから、辛い。」
「咲那は葵が好きだったんだ。でも、俺になってた。最初はわかんなかったけど、な。」
「ごめん。勝手すぎる私でごめん、」
「いいよ。ただ、このまま俺と続けられる?」
「うん。好きだもん。続けられるよ。」
「良かった。ありがとう。抱え込みすぎんなよ。葵にちゃんと伝えなよ?それ思い出したってことも。」
「そのつもり。怖いけど頑張るよ。」
「頑張れ。…早く行こうか。応援しなきゃだよ。」
私達は少し走る。早く葵に会いたかった。伝えたかったから。
手術室前、私達はその前のソファに座って葵を待っていた。
ここからでも聞こえる中の音はとても焦った様な声で、震えが止まらなかった。
そっと陽汰が腕を肩に回して落ち着かせてくれるのは、とても嬉しかった。
…何時間たったのだろうか、やっとランプが消え、中から一人の医師が出てくる。
「あの、葵は」
医師はこちらを見ると、ゆっくりと口を開く。
「手術自体は成功です。ただ、葵君が頑張らなければ、すぐに命の火は消えてしまいます。それだけはご理解して頂けるようによろしくお願いします。」
呆然とその場に立ち尽くしてしまう。遠くから近づいてくる音、それは葵の乗ったストレッチャーの音だった。
「葵、葵!大丈夫か、頑張れ!負けんなよ!」「頑張れ!話したいこと、いっぱいあるの、だから、戻ってきてよ!葵!」
私達はそう伝えただけで、看護師にとめられる。直後首筋に痛みが走った。
「いたっ…っう、うぅ」
触ると血が流れていて、薔薇は赤黒くなってしまう。
陽汰は酷く驚いた。前よりも多い血が流れていたから。すこしふらつくような感覚を覚える。
陽汰に支えてもらいながら、血を止めようとする。
なかなか止まらない血を必死に止める。やっと止まった時、私の服は赤く染まって、陽汰の服も少し血に染まっていた。
気がつけば首筋の薔薇の色は戻っていた。どっと疲れた体は鉛のようで動かすのも辛かった。
「陽汰、服、血が、」
「俺は大丈夫。咲那は?大丈夫じゃないよな、どうしよう、」
「ここ、病院だから。だれか呼んできて?お願い…」
陽汰は私の事を抱き抱えると病院のナースセンターへ駆け出した。
…気がつけば、私はベットの上で眠っていたようで、目が覚めると安堵の表情を浮かべる陽汰が居た。
「良かった…。もう大丈夫だって、点滴してるから。」
「心配かけて、ごめん。」
「いや、大丈夫だよ。あと、起きられるようになったら葵に会いに行こう。」
「うん。」
少しすると大分楽になって来たので、私は車椅子に乗って葵の部屋に向かった。
ノックをしても帰ってくる声はない。病室のドアを開けると中には様々な管が繋がる葵が眠っていた。
「すー、すー」
一定のスピードで鳴る機械音と、葵の呼吸音が部屋の中を巡っていた。
変わり果てた葵の姿を見て衝撃を受ける。苦しかった。私は葵の手を握る。
「戻ってきてよ。葵、思い出したんだよ。昔、葵が好きだったことも、事故に会ったことも全部。」
当たり前だが、返答はなく、私はただ話す。
「Limeの返信が出来なかったのは、怖かったから。会えなくなる気がしたの。でも、また会えると信じてたから。だから、戻ってきてよ!葵!」
一瞬乱れる機械音。葵の目には涙が浮かんでいた。
「今は、陽汰が好きだよ。でも、葵の事が大好きだった。忘れたりしてごめん!ずっと大好きだった、振られて辛かった。
でも、葵の気持ちを知って、感謝しかないの。」
「葵、また、話したいよ。」
そして機械音は荒れた。部屋に流れ込む医者達はあの場で聞いた焦った声と同じだった。
ただ、さっきよりも励ますような言葉が多くて。
「目が覚めるのかもしれない。葵は今、戦ってるのかもしれない、生きるために」
「大丈夫だよね?死なないよね?」
「だから、信じよう。」
私達二人は恐怖に震えながらも、その光景を眺めていた。
そして、そして。
葵は、目を覚ました。奇跡的に、今、目を覚ました。
「葵!良かった、戻ってきたぁ。」
泣いた、腕を掴みながら泣きじゃくった。安心したんだ。
「さ、なぁ?俺は、まだ生きてるのか…うれし、いな。」
ははは、と笑う葵を見て更に安心する。
「成功したんだ、良かったぁ。」
「ちがう、よ。これは、最後の、時間だ。」
「なんで…?だって、」
「わかるんだ、よ。ごめん、あと、数時間しか、もた、ない。」
「失敗してるのか。」
陽汰が寂しそうに言った。その言葉の意味は単純なはずなのに、理解が出来なかった。
「そ、だよ。今も、機能が、失われてる。」
「最後…か。辛いな。」
「楽しい時間にしようか。俺も頑張るから、さ。」
「最後…」
「うん。ごめんね。最後になっちゃう、よ。」
溢れる涙を堪えて、私はその事実を受け入れる。
「分かった。楽しもうかっ。」
夜だからキツいかとも思ったが、真奈も呼んで、最後の時間を過ごす。
私達四人はサッカーチームで出逢った、幼なじみなんだと思い出す。
だから、真奈も葵の事を知っていた。私の複雑な恋も知っていたからこそ、今回最高に喜んだという。
他愛も無い話は、数時間続いて、やがて、葵は声を失った。足の機能も無くなり、残るは腕のみ、
筆談で話す今も楽しかった。もうすぐで無くなる命の火を伸ばせるように、頑張った。
検討虚しく、と言うべきだろうか。
それから一時間後、呼吸機能と聴覚がまだあった。
三人でたくさん感謝を伝えた。ただ、最後は二人が私に話して欲しいと背中を押した。
「っ、ありがとう、」
涙はとっくに流れていて、目の前の葵を抱きしめながら、私は語る。
「葵のこと、大好きだよ。陽汰とのこと、応援してくれてありがとうっ、でも、死なないでよ、やだよ、遠くに行かないでよ。あおぃ…夏祭り楽しかった、桜の下で見たサッカーかっこよかった、思い出が溢れてるんだよ、」
嗚咽混じりの声のせいで、葵に届いているか不安になる。ただ、今は伝えたかった。
「私も、諦めない!葵の分も、絶対生き、る!また、会おうね!葵、」
だんだん呼吸音が無くなってくる葵。葵も目からは涙が流れていて、もう消えてしまう火を休ませてあげたくて、私は
「お疲れ様。出逢ってくれて、ありがとう。そして、大好きだよ。葵。ゆっくり、休んで、ね?」
直後、ピー、と鳴り響く一つの音。
葵は、死んでしまった。数分後に葵の身体は元の綺麗な姿に戻る。
月明かりが葵を照らす。真っ白になって透き通る葵の肌が美しかった。
さっきの会話で葵は言った。
「このあと、俺が死んだらさ、風入れてよ。…白化病ってな、死んだら、消えて無くなるんだって。消えるなら、風に吹かれて消えたいから。色んなとこ行きたいし。いつまでも存在してたいんだ。」
だから、私達は外の風を取り込む。
すうっと溶けるように消えていく葵。私達の涙腺は崩壊していた。まだ温かさの残るベットに沢山泣いた。
悲しくて、悲しくて仕方なかった。
葵はもうこの世に居ないから。話すことなんて出来ないから。
ねぇ、葵?もっと早くに思い出したかったよ。ごめんね、思い出せなかったの。
一つの風が私の背中を流れていく。葵の風なんだろうか、通り過ぎる時に、葵の声で、
「頑張れ。」
と言われたような気がした。
「頑張るよ、葵。」
私の薔薇は白だけでなく、青色も混じっていた。
数日後、私達はサッカー上の近くにやってきていた。
お墓を用意することは出来ないから、変わりに懐かしい場に花を置きに来た。まだ花は咲かない桜の木の下だ。ここで花火を見たんだ。
「葵、今どこにいるかな、ブラジルとかかな、サッカー見てそう。」
「私は近くにいると思うよー。ここは覚えてるだろうし。咲那は、どこだと思う?」
「この市を巡ってると思う。歩きたくても、十分に歩けなかったと思うから。ふわふわ飛んでるよ。きっと。」
「また会いに来よう。葵、また来るからな。」
四人の写真を、再び撮る。葵は写真だが、小さい頃の懐かしい写真を見ながら真似している。
なんでも、それが最近の流行り事らしいから。
「ふふ。ありがとう」
どこかからそんな声が聞こえた。
「今、聞こえた?葵、ここに来てたみたいだぞ。」
私達の耳にはしっかりと葵の声が聞こえていた。
別れを感じた瞬間でもあった。空耳のような声は空に吸い込まれて行って直ぐに消えてしまったから。
大切な人をまた一人失ってしまった。私も、消える側になるなんて悲しいな。
今から申し訳なさが込み上げてくる。ただ、葵に迷惑はかけていいと思うよ。
と言われたのはすごく嬉しかった。
隣にいるふたりの笑顔を見て、私はいつか訪れる日のことを思い、辛くなる。
私はまだまだ生きたいから。死ぬ訳には行かない。負けない。絶対生きる、
そう葵にもう一度伝えておいた。
これから、もっと辛くなるだろうと言われている。けれど、負ける訳には行かないから。
私は抵抗する。最後の最後まで、生き続けてやる。
あの空に届くように心の中で叫んだ。そして私はまた一歩踏み出した。