10恋100愛

とある夜の待ち人

ペタペタと静かなフローリングの上を歩く音が響く。しんと静まり返っているこの家には、まだ私一人しかいない。
「ご飯、食べなきゃ」
誰に言うわけでもなく、独り言のようにポツリとこぼした。冷蔵庫には何があっただろうか。ふらりと冷蔵庫のそばまで行き、扉を開けてみる。中にあるのは卵と玉ねぎ、鶏胸肉とビールだけ。それらを取り出し、玉ねぎを薄くスライスする。鶏胸肉はすでにカットされていたのでそのまま使おうと、フライパンに放り込む。バチバチと油が跳ね、けたたましい音が響く。それをかき消すように玉ねぎを入れ、かき混ぜる。バチバチという音からじゅわっという音に変わった。火を弱めて蓋をして蒸し焼きのようにしている間、卵を溶く。案外、卵の殻というのは脆く、こぼれでる卵の白身や黄身は思ってたほど美しくなかった。
「あっ…」
2つ目の卵を割ろうとしたとき、失敗して黄身が破れてしまった。卵の混ざった中身がドロドロと流れ出している様は、さながら私の心の鏡のようだった。
「あーあ…ヘタクソ」
このまま使うわけにもいかないので台所のゴミ箱に捨てる。新しい卵を取り出してカシャカシャと切るように卵を混ぜる。あまり混ぜすぎると怒られてしまう。
フライパンの蓋を開け、蒸気が立ち上る中で鶏胸肉に火が通っているか確認した。うん、大丈夫そうだ。溶き卵を回し入れ、めんつゆと塩コショウを入れて軽くかき混ぜる。固まってきたらご飯の上に乗せて出来上がりだ。
「我ながら上出来じゃない。いただきます」
ふるふると揺れるほど半熟の卵と硬すぎない鶏胸肉、しんなりとして甘みが増している玉ねぎ。どれも教えて貰った通りのレシピだ。
「うん、さすが私。美味しいじゃない」
誰も褒めてくれる人は隣にいない。
「もうちょっと塩コショウ多くてもよかったかな」
教えてくれた人も喜んで褒めてくれた人も、もういない。
「ねぇ…どうしたらもっと上手くなるかなぁ?」
ポツリポツリとこぼした言葉はテーブルに滲んで消えていく。
「…美味しくない」
同じ親子丼を作ったはず。だけど、そうだ。卵はもっと固くて、玉ねぎはたくさんで、塩コショウよりめんつゆの方が多くて汁ダクで、鶏肉じゃなくて豚肉を使うことも多かった。
私が好きだったのはそんな不器用な親子丼だ。
「美味しくないよ…ねぇ…」
きっとそばにいたなら褒めてくれただろう。随分上達したと、美味しいと、もっと作ってと。
「ただいま。帰ってるのか?」
こぼした言葉たちを飲み込み、拭い、帰ってきた人を出迎える。
「おかえりなさい、お父さん」
「あぁ、ただいま」
「こんばんは」
「あ、おかあさんも。おかえりなさい」
私はもういない“理想の家族だった人達”へ縋りながら、今日も美味しくない晩御飯を作って家族の帰りを待っている。
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