小説家の妻が溺愛している夫をネタにしてるのがバレまして…


『行きたい場所ある?』



という質問がSNSを通して投げかけられて、締め切り間近、連日連夜、徹夜状態の私は2文字だけ、


『うみ』


と送り返した。
変換する体力すらも残っていなかったみたい。


思えば失礼だし、かなりの塩対応だった。



『締め切り近いのに返信ありがとう。じゃあ海鮮でも食べに行こう』





会ったとき、私は全力で謝った。





「返信した記憶もなくて…いや、言い訳なんだけど…!!ごめんなさい!!」

「ううん!返信来て嬉しかったから、そんなに気にしてなかった!」


今思えば、あの言葉は本当だったのだろうか?


なんて疑問は愚問なんだけど。


「でもなんで海?」

「今度の小説の舞台が海の家のお話で…!」


ん、待てよ。


(……取材に付き合わせるとか…私最低じゃ…?)


優しさに甘えて仕事の一環に付き合わせていたことに気づいたのは、海に行きたい理由を述べた数秒後。


返信は塩対応。お出掛けの提案場所は取材場所。


「っ!!!じゃなくて…!!!海鮮丼食べたくて!!!」

「ふっ!何処までも藍澤さんって勉強熱心というか、仕事熱心というか」

「うっ…」


彼はどんな顔をしているだろう。

呆れた表情を浮かべているに違いない。

とか思いつつ、横目でチラリと見ると。


(わ…)


柔らかくて、あたたかさを感じる面立ちだった。


「取材も兼ねて、楽しい思い出作ろうね」


何処まで沖崎郁人という人間は天使みたいな人なんだろう、と、当時は思っていた。


「……なんか、藍澤さんの仕事に付き添えるって嬉しい。」


気を遣ってるわけではなさそうな話し方に、ホッと胸を撫で下ろして美味しい海鮮丼を2人で食べた記憶がある。


「あ、藍澤さんの好きなホタテ売ってるよ。」

「牡蠣も美味しそ〜…」


食い意地ばっかり張って、女性らしさなど微塵も無かったこと間違いなし。

それでも郁人くんは、私の隣でずっと笑顔だった。


(親しい友達になれそう)


とか考えて、恋仲に発展するなんて夢のまた夢だし、自分にとっては恋愛ごとなど異次元の世界のことだと思っていた。


だけど、その海の帰り道。


郁人くんの車の助手席に座り、隣でエンジンをかける彼を見ていると、


「下の名前で呼び合いたい。」


なんて言葉を唐突に言われた。


呼び名だけで親密感が上がるし、もっと仲良くなりたいって思っていたから、断る気はさらさら無くて。


「………えっと……郁人…くん…」


初めて下の名前で呼ぶと、真っ直ぐに郁人くんのことが見れないくらいに照れ臭く感じた。


「なに?詩乃ちゃん」


さらっと下の名前を呼ばれると、心臓がドキリと大きな音を立てる。
私はいっぱいいっぱいなのに郁人くんは余裕みたいで悔しかった。


「詩乃ちゃん、緊張してる?」

「うっ……そんな…ことは……」

「練習しよ? 僕の顔見ながら呼んで?」


それからだと思う。


郁人くんのことを、特別な人認定し始めたのは…。


「い……くと、くん…。」

「もう一回。」

「郁人…くん」

「うん。」


にっこり笑う郁人くんとの距離が近くて、足先から頭のてっぺんまで体全身が心臓になったみたいにおかしくなって。


「もう一個、ワガママ言ってもいい?」

「なに…?」


これ以上ドキドキすることはできません!


ゆとりのない心のまま、郁人くんの要求を聞こうと身構えると…



「詩乃ちゃんの…一番になりたいとか思ってます…」


「っ……」



予想の斜め上から射撃されたみたいな状況に、私の頭の中は真っ白になった。



「どういう意味かは…察して欲しい」



ニコニコしたスマイルは邪なことは一切ありませんと言っているように感じ取れるけれど…。



「……そんなの…わかんないよ…」



車のフロントガラスから見える海の波を眺めながら、頬の火照りが冷えるのを待った。

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