黙って俺を好きになれ
両親には会社を辞めることも、今日の引っ越しすらまだ話せていない。幹さんの素性は伏せて、恋人と同居することは打ち明けようか。それとも別の嘘で固めてしまおうか・・・・・・。

お父さんとお母さんがこれまで通り穏やかに暮らせるなら。二人にとって私が、“ありふれた幸せを手にする一人娘”で在り続けられるなら。自分の胸に罪の矢が何本突き立てられてもかまわない。

これが小暮先輩のそばにいる代償だと知っているから。

ウィンドゥの外を早送りのように流れる街並みをぼんやり見つめた。週明けに会社で顔を合わせた筒井君は、何も聞かなかったのに“元気になったね”と一言だけ、スマホにメッセージをくれた。・・・ありがとうとしか返せなかった。

あの部屋が(から)になれば。君の記憶も()せていく。いつかは降りた駅の名前も忘れる。

プレゼントしてくれたサンタのウサギも、何度も何度も引き留めて好きだと言ってくれたことも全部、私が持っていく。

二度と帰らないからもう待ったりしないで。何も残さないから探さないで。箱に詰めて封をしてしまったから、君を好きだったことも。

視界が滲んだ。何かが込み上げた。山脇さんに見られたくなくて拭えなかった。・・・頬を伝った一筋の涙は。



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