放課後爆音少女
第四話「黒いアイスコーヒー」

スタジオ練習を終えて、私達はファミレスで決起会と称した腹ごしらえにやってきた。

スタジオ練習を終えたと言っても、私は見学していただけだ。桜井くん以外は私の歌を聴いたこともないはずだけど、私のバンド加入を喜んでさっきからずっとニコニコしている。私でちゃんと務まるのだろうか。二人にがっかりされないか、少し不安だ。

ドリンクバーを注文し、私はオレンジジュース、健太くんと中原くんはメロンソーダ、桜井くんはアイスコーヒーを入れて席に着く。

「桜井は随分と大人っぽいもの飲むんだなあ」
健太くんが感心する。

「俺は甘いものが苦手なんだ」

桜井くんと私はつくづく共通点が少ないなと感じる。私は甘いものが大好きだ。
桜井くんはクラスでも目立つ方だけど、私はどちらかというと大人しく隅っこにいるタイプだし。
私はクラスに一人友達がいれば十分だけど、桜井くんはいつも5、6人に囲まれて笑っている。加入すると意気込んだはいいけど、上手くやっていけるだろうか。

健太くんがグラスを持つ手をあげて号令をかける。

「では、春さんの加入を祝って〜!乾杯〜!」「乾杯〜」

カチッとグラスがぶつかり、グラスの中の氷が揺れるカランッという音が心地よく響く。その音がこれから訪れる夏を予感させて、私の心が少しほどける。

「ねえ、私のこと、春って呼んでいいよ。呼び捨てで。同い年だし、さん付けって違和感あるし…」

ここまで言ったところで、私は優太以外の男の子に、自分の下の名前を呼び捨てにされたことがないことに気付いた。優太だけの特権だった、私の呼び捨て。優太以外に呼び捨てにされることに、自分で提案したくせに、少し怖気付いた。
健太くんがニッコリ笑う。

「じゃあ、春ちゃんって呼ぶよ。」

「…うん。ありがとう」

私は内心ホッとしていた。私の呼び捨ては、優太だけのものだ。
この思い出をまだ大事に持っていていいよと、時計の針を進めなくていいよ、と言われたようで安心した。さっきは優太のギターの音を桜井くんが上書きしてくれたようで、凄く高揚したし、嬉しかったのに。私はまだ思い出にすがりついている。

そんな私を尻目に桜井くんが口を開いた。

「オッケー。俺はちゃん付けが苦手だから、春って呼ぶね。」

「…え」

私は思わず困惑が声に出る。そんな私に桜井くんも困惑する。

「えっ、駄目?」

「あ、ううん、駄目じゃないです」

「出た!また敬語!」

桜井くんには心の内を読まれているのだろうか。私の呼び捨てはまた、あっという間に桜井くんに上書きされてしまった。時計の針は進めなくちゃいけない。というか、私がどれだけ嫌でも時計の針は進んでいくんだなと実感した。

時計の針を止める方法は一つ、息を止めることだけ。
でも私には息を止める勇気もないし、愛子みたいな女の子のために、私が息を止めるなんて、あまりにも悔しい。このバンドを始めることで、私は息を吹き返したい。

少し覚悟を決めた私は、皆に尋ねた。

「うちの学校の文化祭に出るんだよね?今は四月で、文化祭は七月だから、それまで練習はあのスタジオでするの?」

桜井くんは、拍子抜けという顔で私を見た。

「文化祭の前に、一回別のところでライブしておきたいんだよなあ…。
慣らすって言うと、言い方悪いかもしれないけど。場数は踏んどくに越したことないから、ライブハウスで、ライブしようよ。」

健太くんと中原くんが嬉しそうにイエーイとかなんとか言っている。

「ライブハウス…」
私も昔から憧れていた。ワクワクするけど一度も行ったことがない。少し恐いイメージもある。暗くて、タバコの煙が漂っていて、お酒の匂いが充満していそうだ。
桜井くんが私の怪訝な表情を見て笑う。

「行ったことある?」

「ううん、一度もないんだ。」

「大丈夫だよ、行く前はちょっとビビるかもしんないけど、行ってみたら凄く楽しいよ。高校生イベントもやってるんだ。沢山高校生バンドが出るんだけど、出演料一人3000円でライブさせてもらえる。」

出演料っていうのはなんだろう。私は少し驚いて尋ねる。

「出演料がいるの?」
桜井くんが逆に驚いて答える。

「そりゃそうだよ。俺らが何十人もお客さん呼べるようになったら別だけど。向こうも経営があるからさ。最初は出演料とか、チケットノルマとかがあるんだ。」

「チケットノルマって何?」

「ノルマを課せられるんだ。2000円のチケットを10枚売ってください、とかライブハウスに提示されるんだよ。チケットが10枚全部売れたら、俺らはお金を払わずにライブできる。でも5枚しか売れなかったら、残り2000円×5枚の売り上げ、つまり1万円をライブハウスに渡さないといけないんだ。」

想像以上にシビアな世界で、私の不安はさらに大きくなる。

「バンドってお金かかるんだね…」

桜井くんは饒舌に説明を続ける。

「でも照明で格好良く照らしてもらえたり、ボーカルの声をモニターから返して貰えたりするんだ。そのスタッフさんたちの給料をまともに賄うには、そういうシステムになっちゃうんだよ。でも人気出たら、ノルマも無くなっていくし、チケットバックっていって、チケットが売れた分だけお金が返ってくることもある。そしたらこのファミレスのステーキとか注文しまくれるよ。」

桜井くんは随分とライブハウスのことに詳しい。仲の良いバンドマンでもいたのだろうか。

「なんでそんなによく知ってるの?」

少しの間を置いて、言いにくそうに桜井くんは答えた。

「中学時代の先輩がバンドをやってて。俺にいろんなこと教えてくれたんだ。」

そう言った桜井くんの表情は寂しそうで、どこか遠くを見ているような目だった。黒い目。桜井くんが飲んでいるアイスコーヒーに似ていると思った。黒くて、そして冷たい。
ストローでコーヒーをかき混ぜる度に氷が揺れるように、少し涙の膜が揺れるのが分かる。それ以上聞いてはいけない気がして、私は黙った。

早くもメロンソーダを飲み干した中原くんが、私たちの会話に口を挟む。

「なんかさ、シビアなお金の話になっちゃったけどさ、とりあえずは出演料3000円とかで出れる高校生ライブ出ようよー。俺お金ないし!そんで回数重ねてく内に、ノルマとかのライブも考えよ!新しいベースケース買ったばっかなんよ〜」

中原くんのおかげで、少し場の空気が和む。
桜井くんも、遠くを見るような目では無くなり、いつものペースに戻る。

「そうだな。今は目前のライブを決めようか。この近くに、『タイムトラベル』っていう小さいライブハウスがあるんだ。キャパは百人くらい。六月十五日にそのライブハウスで高校生イベントがあって出演バンドを募集してる。今が四月末だから、必死で練習すれば、三十分のライブはできるんじゃないかな。コピーを五曲しよう。」

健太くんはうわ〜と声をあげた。

「五曲かあ〜俺曲覚えるの遅いから頑張んなきゃな」

桜井くんがムッと不機嫌になる。

「俺は一週間もあれば覚えられるよ。せっかく春が入ってくれたんだから、ちゃんとしよう。春も覚えられる?」

「うん、それくらいなら覚えられるよ」

春、と呼ばれると、チクッと胸が痛んだ。優太を思い出してしまう。
上書きしてもらえるような気がしていたけど、ダメだ。桜井くんが上書きしても、さらに思い出の中の優太が上書きしてくる。

桜井くんがアイスコーヒーをかき混ぜながら、私の名を呼び捨てにする度に、氷がカランと音を立てる。乾杯したときとは違って、その音は私の心を冷やしていく。
コーヒーが心に染みを作るように、私の中に黒い感情が広がっていく。
さっきの桜井くんの目の色と同じ色。人を暗いドン底に運ぶ色。

そう思ってどこまでも落ちていきそうになった私を、桜井くんの「うわああっ」という声が引き留めた。

ハッと桜井くんの方に目をやると、黒いコーヒーに白色が混ざり込んでいた。
中原くんが爆笑している。どうやら、桜井くんのコーヒーに中原くんが勝手にミルクを投入したらしい。

「本当にやめろよ!!甘いの嫌いだって言ってるだろ!」

桜井くんが結構本気でキレている。
中原くんが笑いながら謝った。

「ごめんーー。メロンソーダ飲み終わっちゃってさ。一口コーヒーもらおうと思ったんだけど、俺カフェラテの方が好きなんだよなーとか思ってたら、勝手にミルク投入してたー。ごめん!本当にわざとじゃない!」

桜井くんはわざとじゃないと知って少し落ち着いたが、カリカリしている。

「いや、ドリンクバーなんだから、おかわりしたら良かったじゃん。まあいいや、俺がコーヒーおかわりしてくるわ。」

桜井くんは席を立って、ドリンクバーに向かった。

中原くんは「あ!そうか!ドリンクバーだった!」とか言いながらまた笑っている。
本当にわざとじゃないのかな…空気を読んで、場を和ませてくれた気もするけど。
中原くんの周りを見ながら支えるベースプレイに通ずる気がして、私は少し中原くんを尊敬した。

が、しかし、笑いすぎてカフェラテに入れようとしたシロップをこぼした中原くんを見て、買いかぶりすぎかもしれない…と私は思い直した。

アイスコーヒーにミルクが混ざり込んでいく様は、まるで黒い闇に光が差すようだった。


桜井くんは席に帰ってきてすぐ、ライブハウス「タイムトラベル」に電話してくれた。

「もしもし、お疲れ様です桜井です。六月のイベントに出演したいんですが…はい、高校生です…はい、メンバーは四人です」

どうやらスムーズに出演に向けて進んでいるようだ。こういう桜井くんの手際の良さは気持ちがいいな、と思った。

「はい…バンド名ですか…バンド名はまだ決まってないです…はい、分かりました。では失礼します。」

健太くんが嬉しそうに話しかける。
「どうだった!?出演決定?」

桜井くんは気まずそうに答える。

「うん…枠は空いてたんだけど…。俺ら以外の出演者は固まってるから、チラシを明日には作り始めたいらしくてさ。だからバンド名を明日までに決めてほしいって言われちゃったんだ。でもバンド名って大事なことだろ?今日決まるかなって。」

そうか、バンド名か。全然考えていなかった。

「仮のバンド名でも良いって言われたんだ。なんか案ある?」

うーん…と皆黙っている内に、時間がどんどん経ってしまう。五分ほど経過したところで、桜井くんが声を上げた。

「よし!もういいや、とりあえずさ、仮でもいいって言われたんだし、アイスコーヒーズってどうよ!?」

健太くんがげんなりする。

「えー…俺苦い飲み物嫌い…メロンソーダズは?」

「いや、俺甘いもの嫌いだし」

中原くんが笑いながら茶化す。

「ミルクズ!」

「お前が俺のコーヒーに勝手に入れたやつじゃん…」

そこまで聞いて、私は一つ思いついた。

「あの、ミルキーウェイってどうかな。」

桜井くんが怪訝な顔をする。

「ミルキーウェイ?なんかキャンディみたいな名前だなあ。」

「うん、さっきね、アイスコーヒーにミルクが混ざっていくのを見て、暗闇に光が差すみたいだなって思ったの。でね、Milkywayっていうのは英語で、天の川のことなんだけど。天の川ってね、夜の中にミルクを垂らして道ができたみたいな姿なんだよ。そんな風に、暗闇に光を落としていくバンドに…したいなって…」

そこまで言って、私は少しクサイことを言ったかもしれないと思って、猛烈に恥ずかしくなり、赤面して俯いた。中原くんはまた爆笑するかもしれない。

「それにしよう。」

顔を上げると、中原くんは爆笑じゃなくて、優しく微笑していた。他のみんなも同じ顔をしていた。

「えっ、いいの?クサくなかった?」

桜井くんが笑いながら答える。

「いや、クサいけどさ。格好いいじゃん。だいたい楽器持ってバンド組んで歌っちゃう時点でめちゃくちゃクサイんだから。それくらいでちょうど良いよ。」

健太くんも嬉しそうに答えた。

「俺は春ちゃんが自分の意見言ってくれたのが嬉しい!俺らのワガママに付き合わすのって違うじゃん。皆で意見出して、皆で決めていきたいから、言いたいこと言って良いからね。」

それを聞いて桜井くんがまたムッとする。

「でも、お前は曲数多いとか、そういう甘えたことすぐ言うからな。そういう意見は今後禁止だからな。」

健太くんが奈落の底に叩き落とされたみたいな表情をしたので、思わず笑った。アイスコーヒーの目だ。

私は、桜井くんが残した、ミルクの混じったアイスコーヒーを勝手に飲みながら、自分の意見を受け止めてもらう心地よさを、多分生まれて初めて感じていた。




ファミレスを出ると、健太くんの家と中原くんの家は逆方向だったため、桜井くんと二人きりになった。

いきなり二人になると、何を話したら良いかわからなくなって、少し緊張する。
しばらくお互い黙っていたけど、桜井くんの方から口を開いてくれた。

「ありがとね。」

「えっと…何が?」

「なんかほんとドタバタだったじゃん。いきなりバンド誘って、断られて。
よく知らないやつにバンド誘われたら断るの、よく考えたら当たり前なのにさ。
俺熱くなっちゃって、喧嘩っぽくなって。今日仲直りしたかと思ったら次はスタジオ来て、とか言ってさ。俺、バンドのことになると猪突猛進しちゃうんだ。
それなのに、すっぽかさずにちゃんと来てくれてさ。しかも加入してくれるなんて。
バンド名まで決めてくれて。俺ほんとに嬉しい。ありがとう。」

私はやけに素直な様子の桜井くんに、心底驚いた。

「え、何、怖い。急にどうしたの。」

桜井くんが笑う。

「怖がらないでよ。俺、ほんとにバンドしたくてウズウズしてたんだ。」

今まで見たことないような桜井くんの笑顔に。私はくすぐったくなった。

「私ね、すごい変な一日だったけどすごく楽しかったんだ。私こそほんとにありがとう。」

桜井くんは私に微笑んだ後、急に、アイスコーヒーの黒い目になった。冷たくて遠い目。不安になって「桜井くん?」と呼びかけると、桜井くんは神妙な面持ちで言った。

「俺さ、春の元カレよりさ、絶対良いギター弾くから。見返してやろうな。」

そのことか、と私は拍子抜けした。

「見返すとか、良いんだよもう」

少し拗ねて私が言い返すと、桜井くんは、アイスコーヒーの黒い目のまま、私を見た。

「俺は春の気持ちが分かるんだ。だから春とバンドしたいって、思ったのもあるんだ。」

私は黙って桜井くんを見返した。

「俺ね、さっきも言ったけど、一個上の先輩がバンドしてたんだ。近所に住んでて、昔から仲が良かった。女性でギターが上手くて。ギターボーカルで、中学の文化祭でライブしたり、ライブハウスにも時々出てて、よく観に行ってた。すごく格好良かったんだ。
でも、高校は頭の良い進学校に行って。バンドもギターも辞めちゃった。
バンド辞めないでよって言ったら、夢は夢のままでいいとか、私は大人になるから君ももっと大人になれ、とか言ってきて。」

「そうだったんだ…」

「でも、俺は先輩の勉強の道を応援しようと思ったんだ。でもこないだ先輩の親御さんと道端で会ったんだけどさ、あの子は彼氏とデートばっかりして、ギターは埃まみれで、テストは赤点ばっかり!って聞いちゃって。俺の憧れてた人はどこ行ったんだよって。悲しくて。」

私は何も言えずに、ただ相槌を打っていた。

「あんなに大事にしてたギターを埃まみれにして、俺に、まだ始まってもない夢を諦めさすのが大人ってやつなら、そんな大人には絶対なりたくないんだ。」

「そっか…」

「音楽で、見返してやろう。春の元カレも、俺の先輩も。」

桜井くんの話を聞いていると、一つの疑問が私の頭の中によぎる。

「えっと、つまり、桜井くんは、その先輩のことが好きだったの?」

桜井くんのアイスコーヒーの目に急に光が宿る。
顔を紅潮させて私を見つめる。

「違うよっ…」

桜井くんはなんだか泣き出しそうだ。
そんな桜井くんが歯がゆいし、可愛く思えて私は必死で笑いを堪えた。

「ほんとに違うから。俺はギターを弾かなくなった先輩が嫌なんだ。それだけだから。ほんとに。」

案で男の人の嘘はこんなに分かりやすいんだろう、と私は優太に対して思ったことを、もう一度桜井くんに感じていた。
でも桜井くんの嘘は、優太がついた嘘より何倍も愛おしいものだ。
桜井くんは、やっぱり優太を上書きする才能がある。

やっぱり私はこの人とバンドに打ち込んでみたい。何度も上書きして、いつか優太なんて思い出せなくなりたい。

「桜井くんの目、今、ミルキーウェイだよ」

笑いながらそう言った私を、桜井くんは「はぁ?」と言いながら睨んでいた。

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