騎士団寮のシングルマザー


「お母さん、お母さん起きて、朝だよ」
「…………んっ……」

 娘にぺちりぺちりと頰を叩かれる。
 見上げた真美は見覚えのないネグリジェを着ていた。
 一瞬「?」と目を細めたが、すぐにはっとする。
 起き上がるとふわっふわのベッドが揺れ、天蓋が朝日の光を弱めていると気が付く。

「おはよう、真美……」
「おはよう。あのね、メイドさんが来てるよ」
「っ!」

 ガバリと起き上がる。
 三人のメイドが無言で頭を下げてきた。
 その姿に髪を手櫛で整えながら頭を下げる。
 テーブルには食事が並べられ、三人のうちの一人がベッドに近付いてきて「お着替えのお手伝いは……」と聞いてきた。
 慌てて「大丈夫です」と断ると「お召し物はどれになさいますか?」と三十着は掛けられていそうなハンガーラックを持ってくる。

「……………………お、おいくらで……」
「え? いえ、聖女様に来て頂いたのはこちらですので……。アユミ様と聖女様は国賓として扱うよう、陛下より仰せつかっております。遠慮は不要でございます」
「そ、そうは言われましても……」

 タダで世話になる事ほど怖いものはない。
 なにか、娘以外で差し出せるものはないかと考えを巡らせる。
 寝起きの頭も手伝って、すぐに良い考えなど浮かばない。

「奥様、聖女様、お着替えが終わりましたら聖殿へご案内するとジェーロン騎士団長より言伝を預かっております」
「ジェ……、……あ……」

 一瞬「誰?」と聞きそうになった。
 しかし、騎士団長という肩書きに淡いクリーム色の髪の騎士を思い出す。
 リュカだ。

「確かに昨日、聖殿に行かなければ体調を崩すと聞きました……本当にそうなんですか?」
「はい。異界の方は違うのですか?」
「え? えぇと……わ、分かりません」
「でしたら、万が一を考えて聖殿に通われた方がよろしいかと思います。聖女様はまだお小さいようですし……」
「…………」

 メイドの心配そうな顔。
 あれは母親の顔だ。
 もしかしたら彼女も子どもがいるのかもしれない。
 そう考えると「分かりましたら、そうします」以外の返事が浮かばなかった。
 異界……そう、ここは歩美の生まれ育った世界ではない。
 この世界にはこの世界のルールがある。
 郷に入れば郷に従えという言葉もある通り、ある程度はこの世界の住人の生活に倣う必要はあるだろう。

『帰れない』

 元の世界には、帰れないのだから。



「お母さん……どこへ行くの?」
「聖殿という場所よ。そこでお祈りをすると、風邪をひかなくなるんですって」
「ふぅん?」

 食後、メイドに案内されて城の中を歩く。
 一階に降りて、階段の側にある部屋に通された。
 こちらで待つよう言い残していなくなるメイド。
 天気は良く、外からは小鳥の囀りが聞こえる。

「…………。ねえ、真美……変なところはない?」
「?」
「どこか、体が痛いとか……辛いとか……」
「ないよ。平気。なんで?」
「なんでって……」

 元々かなり口数は少ない子だった。
 しかし、昨日から更に減っている。
 ほんの少し遠くを見るような眼差しが増え、食欲もあまりないように見えた。
 ……若干、この世界の食事が『不味くはないが美味しいともお世辞でも言えない』料理だったのも原因かと思うが……。

「大丈夫なら、良いんだけどね……?」
「……うん……」

 コンコン、とノックの音。
 この部屋に自分たちだけなのを思い出して、歩美が「はい」と返事をする。
 ガチャリと回ったノブ。
 入って来たのは、昨日より少し豪華な鎧をまとったリュカだった。
 髪も昨日と違い手入れがされているように見える。

「あ、おはようございます。真美」
「おはようございます……」
「おはようございます。良く眠れましたか?」
「え、ええ……」

 食べ物はともかく、ベッドは高級品と一目で分かるものだ。
 まさか天蓋付きのベッドに寝る日が来るとは思わなかったが。
 それよりも、リュカの変化が気になる。

「あの、今日は昨日と少し……違うんですね?」
「聖殿へ聖女様をご案内しますので」
「はあ……?」

 聖女。
 真美の事だろう。

「…………」

 真美の手を掴む。
 どうしようかと考えて、顔を上げる。

「あの、娘の名前は真美です。……聖女ではありません」
「…………。分かりました、そのように呼ばせて頂きます」
「…………」

 少し驚いた顔をされたが、リュカはすぐに笑顔で答えてくれた。
 それに安堵の溜息が出る。
 もう一度リュカを見ると、その後ろに赤い髪、紫の目の男が立っているのに気が付いた。
 昨日見た騎士の一人だ。
 リュカと歳は変わらなさそうで、長い髪をポニーテールにして一つにまとめている。
 リュカが銀と白の鎧と赤いマントで、彼は白に赤のラインが入った鎧と、赤いマント。
 見るからに二人とも『偉い人』感がある。

(スマホの乙女ゲームに出て来そうな人たち……)

 と、あまりに整った顔の男が二人並んでいて、そんな感想を抱く。
 歩美が後ろの人物に気が付いたと分かったリュカが、体を少しずらして右手を彼に向ける。

「紹介する、ハーレン・イグルス。俺の部下で騎士団副団長を務めている。俺の留守の時などは彼が護衛の任務を遂行するので顔と名前は覚えておいてほしい」
「副団長……さん……はぁ……?」
「ハーレン・イグルスと申します、奥様。……奥様という呼び方で合っておりますか?」
「あ、歩美で結構です」

 夫とは離婚が成立している。
 それに、この世界に旦那がいるわけでもない。
 奥様、と呼ばれるのには違和感しかなかった。
 そう言うと彼も笑顔で「分かりました、アユミ様」と受諾してくれる。

(……でも、それはそれでなんか恥ずかしいなぁ)

 様付けが固定されるらしい。

「では、まずは聖殿へ参りましょう。道すがらお二人の警備についてお話があります」
「……け、警備、ですか?」
「はい。万が一、城に魔物や……その、マミ様の事を察知した魔女の手先が襲ってくる可能性もゼロではありません。警備は必要になるかと」
「っ……!」
「朝、昼、晩、二人体制で警護を付けようと思っております。いかがでしょうか」

 ハーレンという騎士が歩きながらしてきた提案に相当酷い顔を見せた。
 あんぐりと、開いた口が塞がらない。
 なんと一日中、それも合計六人体制。

「む、ムリムリムリムリ! ムリです!」
「む? む、無理とはなぜ? なにか理由があるのでしたらお聞かせください」
「なぜってそんな、四六時中側にいられるのは、ちょっと、こうなんていうか、プライベートがないというか、そんな芸能人でもそこまでされないというか!」
「ゲイノウジン?」
「と、とにかくそんなにずっといられると! ……その、えーと……そ、そう! 監視されてるみたいで落ち着けません!」
「「…………」」

 顔を見合わせる騎士二人。
 頼むから理解して欲しい。
 そんな状況は極々普通の一般人には馴染みがなさすぎる。

「では人数を一人に絞って……」
「部屋ではなく、部屋の外ならばいかがでしょう?」
「リュカ、待て。まだお二人が今後どのように生活していくのかも分からないのだから、まずは希望を聞いてからだろう」
「あ、そうかすまん」
「俺ではなくアユミ様に言え」
「……す、すみません、アユミ様」
「い、いいえ」

 なんだか置いてけぼりにされている気分だった。
 しかし、二人が真剣に歩美たちの事を考えてくれているのは伝わる。
 それに……。

(……今後の生活……)

 昨夜は娘が『聖女』として戦争に駆り出されるかもしれない恐怖ばかりで、今後の生活について考える余裕はなかった。
 だが、言われてみればその通り。
 自分たちはもう、帰れない。
 ならば、この世界で生きていく事を考えなければいけないだろう。

「……あの、この世界の人は普通どんな暮らしをしているのでしょうか」
「「え?」」
「そ、その、女一人でも、娘を育てながら生活していけるものでしょうか」

 元の世界では実家の援助を受けながら生活するつもりだった。
 だが、異世界ではそれも不可能。
 という事は、まだ幼い娘を育てながら働かなければいけない。
 自分に出来る事はたかが知れているが、やらなければ生きられないというのならなんでもやるしかないだろう。
 恐る恐る見上げた二人は困り顔で顔を見合わせている。

「前提として」
「は、はい」

 口を開いたのはハーレン。
 彼は一度立ち止まり、振り返って歩美へ向き直る。

「……娘さんを『聖女』とし、我が国にご協力を頂けるのであれば……貴族相応の生活をお約束出来ると思います。使用人、庭付きの屋敷、衣食住の保証、全て国で請け負うお約束をしますので。……しかし、もしも娘さんと二人、戦いとは無縁……正直申し上げて不可能に近いとは思いますが……そういう生活を望まれるのでしたら、恐らく殺されます」
「え?」
「ハーレン!」
「事実として知らねばその選択をされてしまうかもしれないんだぞ、リュカ」
「! し、しかし……」

 スゥ、と背筋が冷えていく。
 頭がガンガンと殴られ続けるような痛み。
 ハーレンはひどく真面目な顔で、声で、それを言った。
 慌てたリュカの態度からもそれは冗談などではないと受け取れる。

「……え、待っ……ど、どうしてですかっ!」
「聖女は必要です、どうしても。しかし、聖女は世界に一人しか存在を許されない。もしお二人……マミ様が聖女として戦わぬと言うのなら、新たな聖女召喚を行わねばなりません。ですが、マミ様はすでに『聖女』としてここにいるのです」
「……!」
「先の聖女には、死んでもらわなければ……新たな聖女は召喚出来ない。魔物のせいでこの国は、貴女が考えている以上に追い詰められ困窮している。……時間はないのです」
「……そ、そんな……」

 リュカをおずおずと見るが、彼も俯いて目を伏せっていた。
 それが事実だと物語っている。
 聖女として戦わなければ、真美は殺される。
 そして恐らく、自分も。
 生きる為には真美を聖女として戦わせるしかないのだ。
 差し出すしかない。
 そんな残酷な事を、どうして十歳になったばかりの娘に頼めようか。
 絶望感に胸が支配されていく。
 頭が、よりガンガン鳴り響く。

「……………………いいよ、わたし」
「え?」
「殺されるんだったら、わたし、聖女っていうの、やるよ」
「ま、真美!? なに言ってるの!」

 目の前がクラクラとした。
 そんな歩美の横で、真美がそんな事を言い出した。
 俯いて、あまり感情らしいものを見せない。
 リュカとハーレンも息を飲む。
 それほどまでに、少女の表情は無感情だった。

「だから……お母さんにはひどい事しないでね……」
「…………っ、……よ、よろしいのですか?」
「うん。だってわたしがやらなきゃ殺されるんでしょう? ……お母さんも」
「…………」
「だったら、やる。……聖殿っていうところ、早く行こう」
「…………御意のままに」

 足元がひどく、とても、とても、氷のように冷たい。
 娘に手を引かれてようやくふらふらと歩き出す。
 でも、前が見えない。
 はくはく、と口は上手く呼吸も出来ていなかった。

「大丈夫だよ、お母さん……」
「…………っ」

 ああ、一体なにを呪えば許されるのか。

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