あまやどりの魔法
脱衣所を借りて、ぶかぶかの白Tをかぶって元の場所に戻ると、ほのかに甘い香りがした。
ナチュラルウッドだけでまとめられたお客さんのいない店内は、最初に足を踏み入れた時から、バニラエッセンスのようなやわらかな甘さを纏ってはいたけど。
今、私の鼻をかすめるこの甘さは、しみついていた匂いじゃなくて、立体的なにおい。
「あ、ごめん。苦手だった?」
「ううん。紅茶のはすき。シフォンケーキもすき。試作品?」
誘われるように覗いたウッディなキッチン。
近づいていって葉月くんの手元をみると、
「試作品というかこれは…まった!まだ濡れてるじゃん」
まだケーキもクリームも触っていない方の手が、私の髪をすくった。
「…葉月くんって、妹いるでしょ絶対」
「え?なんで?ひとりっ子だけど」
ちゃんと乾かさないとと、腕をとってキッチンから連れ出したかと思えば、はい座ってと、空いてる席に強制的に座らせられて。
今日はじめて話しただなんて嘘みたいな距離感。
「慣れてるというか、世話焼きだよね?」
「そ?従兄妹と年が離れてるからかな」
当たり前のように私の髪を乾かしはじめた太陽の手を、止めようと思ったのに心地よすぎて誘惑に負けてしまう。
昔からこうされていたみたいだなんて、変な感覚を覚えて。
ドライヤーの熱と、葉月くんのあたたかさに、なんだか眠たくなってくる。
誤魔化すように手を伸ばしたアールグレイを口元に持ってくると、キッチンで私をくすぐったシフォンケーキにとてもよく似た香りがした。