ヒミツの恋をはじめよう
車に乗るまでのわずかな時間だったが、傍から見ればまるで恋人同士であるかのように、私たちは手を繋いでいた。
 異性に触れる行為、ましてや誰かと手を繋ぐこと自体が数年ぶりであり、手を離した後も私の心臓は暴れまわっていた。
 「夕食はどうしましょうか」と提案されたものの、彼は私の顔を見るなり「やっぱり、今日はこれでお開きにしましょう」と言って、どこへ寄ることもなく来た道を戻る。
 どうやら、私の顔には相当な疲労が滲み出ていたらしい。

 見慣れた景色が窓の外に並び始めると、心臓もようやく落ち着きを取り戻した。
 今朝と同じ駐車場へと戻り、これで解散かとシートベルトを外して身なりを整える。
「最後まで運転させてしまって、すみません。ありがとうございました」
「とんでもないです。隣にさつきさんがいたら、どこまでだって行けますよ」
 冗談なのか本当なのかが分からない微笑みを携え、彼がこちらを見ている。
 私はあいまいな笑みを返し「それじゃあ」と言ってドアハンドルに手を掛けるも、空いている方の手を彼に取られてしまった。
「あの・・・」
「今日は楽しかったですか?」
「そうですね、それなりには」
 手を離そうと距離を取りたくても、車内という狭い空間では身動きが取れない。ただ触れていただけの掌に、私を離さないとばかりに彼の指が絡まっていく。
「私、もう帰ります。だから、手を、離してください」
「手を離すので、次のデートの約束をしましょう」
 悪戯に笑う彼の言葉に、かあっと顔に熱が灯る。
(もうその手には乗らないんだから・・・!)
「どちらにしてもデートはしません。最初から一回きりという約束でしたよね?」
「やっぱり同じ手は通用しないですよね」
 繋いだ手はそのままで、彼は楽しそうに笑っている。
「今日デートして思ったんです。俺、やっぱりさつきさんのことが好きです」
 曇り一つない眼差しで真っすぐ見つめられ、その言葉が本心であると私に言い聞かせるようだった。
 正直、今日一日で私の何が分かったのかと問い詰めてみたい気持ちもあるが、またしても彼の策略に嵌まってしまうそうで、それをぐっと堪える。
 はあ、と深い溜息を吐いてから、私は彼と同じように真剣な面持ちで向き合った。
「私、恋愛はしないって決めてるんです。それに気になる人もいるので、難波さんとお付き合いはできません」
 毅然とした態度でそう告げると、彼がわずかに眉を顰めた。
「・・・やっぱり、過去に何かあったんですね?」
「そうですね。そう思っていただいて結構です」
 一瞬彼の手から力が抜けた隙に、私は素早く手を離し、車のドアを開けた。
「今日は楽しかったです。ありがとうございました」
 彼との関係を断つように、私は思い切りドアを閉めた。
 彼が何かを叫んでいる声が微かに聞こえたが、私は聞こえないふりをして、自宅へと向かって走り出した。
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