ヒミツの恋をはじめよう
【8】彼の正体

 近くのファミリーレストランに入り、彼からメニューを渡される。
「どうぞ。お腹減ってるんですよね?」
 私の買い物袋の中身を見て察したのか、暗に彼は私に何かを食べるように言っている。
 正直食事をしている場合ではないのだが、この気持ち悪さの原因は空腹も影響しているのかもしれないと思い、メニューを受け取る。
「あの・・・」
「とりあえず、注文してからにしましょう」
 そう言った彼の口角は上がっているものの、目は笑っていなかった。
(なんでこんなことに・・・)
 本当だったら、自宅で一人花火を堪能するはずだったのに。
 “帽子の彼”がまさか難波さんだったということを知らず、のこのこ付いて行った自分が悪いのだが、自分だけが悪いとは思えず、心がもやもやする。
 メニューからチラリと彼の方を盗み見ると、彼もメニューを広げており、その表情は窺えない。
 お互いに料理を注文し終えると、彼が私に話を切り出した。
「聞きたいことはありますか?」
 彼は片肘をテーブルの上に乗せ、頬杖をついている。
 その佇まいに若干の苛立ちを感じながらも、それを顔には出すまいと手を力強く握り締める。
「聞きたいことだらけです。難波さんは、以前から私のことを知っていたんですか?」
「それは会社の時のさつきさん?それとも今日デートしたさつきさん?」
 首を傾げて愉快そうな表情を浮かべる彼を直視できず、視線を彷徨わせる。
「どちらもです。Cosmosで会った時も・・・私だって知っていて声を掛けたんですか?」
「じゃあ、俺が答えたら、さつきさんも俺の質問に答えてくれる?」
 いつの間にか口調も砕けている彼の変わりように驚きつつ、その手には乗るまいと彼を睨みつける。
「答えていただけないのなら、それで結構です。もう話すことはありません」
「そんなに怒らないでよ。とりあえず、楽しく食事をしようよ」
 ちょうど現れた店員の手には、私たちが注文した料理が乗っており、それぞれの前に並べていく。
「はい、フォーク」
「・・・ありがとうございます」
 受け取ったフォークを握り締め、目の前に置かれたペスカトーレを見つめる。
「そうやって、怒ってるのにちゃんと“ありがとう”って言えるところ、好きだな」
「揶揄わないでください」
「本心なのに」
 “ははは”と笑ってから、彼は料理を口にする。蕎麦屋で見た時と同じように、美しい所作で食事をする姿に目を奪われるものの、頭を振ってパスタにフォークを刺した。
(これを食べたら、さっさと帰りたい。けど・・・)
 彼は私の正体を知っている。もし、会社で周りに言いふらされたら?そんなことをされてしまえば、今までの努力が水の泡だ。
 悪いことばかりを考えてしまい、どうしたらいいのかも分からず、食が進まない。
 パスタをフォークにぐるぐると巻き付けていると、あっという間に食事を終えた彼が私の腕をおもむろに掴み、それを制す。
「そんなにしたら、パスタが可哀想だよ」
「・・・」
「どうしてそんなに暗い顔してるの?もしかして、俺が会社で言いふらすとでも思ってる?」
「!」
 どこか寂し気な顔で問い掛けた彼は、私の表情を見るなり、掴んでいた手の力をわずかに強めた。
「俺はさつきさんの嫌がることはしない。それだけは信じて欲しい」
 “これは本心だ”と言わんばかりの面持ちで彼が訴えかけるも、はたしてその言葉通りに受け取ってもいいものかが分からず、顔を背ける。
 そもそも、彼は私を騙していたのではないか。まるで初めて会ったかのように私に近づき、一目惚れだと言ってデートを強要した。
 そんな彼の言葉を「はい、そうですか」と素直に信じられる人がいるのだろうか。
「さつきさんは俺に“騙された”と思っているかもしれないけど、俺は騙した覚えはないよ」
 どうして彼は私の思っていることが分かるのだろう。背けた顔を彼に向け視線を合わせると、彼は熱のこもった眼差しで私を見つめていた。
「なん、で」
「俺は告白した日よりもずっと前に、さつきさんに一目惚れしていたんだ」
 私が質問するより先に彼から告げられた言葉に、心臓が忙しなく動き始めた。
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