ヒミツの恋をはじめよう
 決意したはいいものの、なかなか彼女との接点が生まれない。同じ社内に、しかも同じ部署内にいるはずであるのに、小柴さんからお願いされたあの日以来、何も起きていない。
 外回りがない日は何か用事があるふりをして、彼女がいる窓際のスペースへ足を運んでみたが、他の女性社員に邪魔され、何もできずに終わる。
 何度か接触を図ってみたものの、彼女からの冷たい視線を感じるだけで何の成果も得られず、むしろ彼女に悪い心証を与えただけではないかと項垂れる。
 新年度に入ると自身の仕事も忙しくなり、恋愛にうつつを抜かしている場合ではなくなった為、一旦作戦は休止することにした。

 四月中旬。午後から地方出張が入っていた為、いつもより一時間早く出社すると、カフェでコーヒーを飲んでいる彼女を見つけた。
 周りには人もおらず、二人で話せる絶好の機会だと思い彼女へ近づこうとしたところ、そこに突如現れた彼の存在を確認し、一歩進むのを躊躇ってしまった。
(あれはカフェの店員か?)
 もっぱら缶コーヒー派の俺はたまにしかカフェを利用しない為、彼が店員であることは知っているが、名前までは知らない。そんな彼が彼女と楽しそうに話しており、時折笑い声も聞こえてくる。
(会社でも笑うんだな)
 俺が知っている会社での彼女は、喜怒哀楽を出さない能面のような表情で黙々と仕事をしている。同僚が「藤森さんはいつも無表情で、何を考えているか分からない」と話していたのを耳にしたこともあり、営業部内で彼女の弾けた笑顔を目にした人物は希少なのだろう。笑っていること自体も珍しいが、彼女が誰かと親しく話しているのを目にするのも初めてだった。
(俺も彼女とあんな風に話したい)
 自分ができないことを目の当たりにすると、自然と闘争心が燃えるものである。
 彼のように親しく話せるようになるにはどうしたらいいか。そんなことをぼんやりと考えていると、いつの間にか始業時間の十五分前であり、カフェに彼女の姿もなかった。
 どうせならと思い、カフェでホットコーヒーをテイクアウトすると、春の陽だまりのような笑顔で接客する店員の眩しさに、心が折れそうになった。
< 21 / 30 >

この作品をシェア

pagetop