ヒミツの恋をはじめよう
午後一の会議に向けて準備を行い、あらかた終わったところで昼休憩に入る。
(憂鬱だ・・・)
休憩スペースでおにぎりを頬張りながら、小柴課長に呼び出された理由を考えるも、考えれば考えるほど良からぬことばかりが頭に浮かび、気分は下がったままだ。
転職で入った会社の為、私には仲の良い同期はいない。同じ課の同僚とは世間話をする程度である為、悩みを気軽に相談できる人が、会社に一人でもいれば良かったと嘆息する。
(こういう時、地味に辛いのよね)
誰かに相談ができれば少しは楽になるのではないかと思うものの、会社での私は“本当の自分”ではない為、下手に誰かと仲良くなってしまうと、その相手に嘘をつくことになる。不誠実なことはしたくないという思いと共に、またあんなことが起きてしまったらと考えると、人間関係を築くのが怖い。
「はあ・・・」
もう一つ持参していたおにぎりは、そのまま食べずにそのまま鞄へと戻し、どんよりとした気持ちが晴れないままで休憩時間が終わってしまった。
面談予定時間前に会議室のドアをノックする。ドア越しに「どうぞ」と声が掛けられ、「失礼します」と言って中へ入ると、既に小柴課長が窓際の席に座っていた。
「藤森さん、お疲れさま。どうぞ、好きなところに座って」
「お疲れさまです」
にこやかな表情を見せる彼女が眼鏡を外し、着席を促す。
「突然ごめんなさいね。もう一人来るから、少し待ってちょうだい」
「はい」
呼び出されたのは私だけではなかったらしく、その言葉を聞いた途端、手に汗が滲んだ。
(待って、聞いてない)
誰が来るのかを確認する暇もなく、先程閉めたドアがノックされる音が聞こえ、肩がびくっと跳ねた。
「どうぞ」
私が入室する時と同じように小柴課長が「どうぞ」と声を掛ける。「失礼します」という返事が聞こえた後、コツコツと鳴る足音と共に、聞き覚えのある声が近づいてくる。
「小柴さん、お疲れさまです。遅れちゃいましたか?」
「大丈夫、時間ぴったりよ」
失礼があってはならないと立ち上がり「お疲れさまです」と挨拶するも、頭を下げたタイミングが悪く、相手の顔を確認できなかった。姿勢を戻そうと恐る恐る頭を上げたところ、視界に入った人物を見て、私はそのまま固まってしまった。
「難波くん、お疲れさま。好きなところに掛けてちょうだい。藤森さん、彼は“難波清人”くん、営業部の主任よ」
「・・・はい、存じております」
「よかった。知っててくれたんだ」
そこが自分の指定席かのように、なんの抵抗もなく難波さんは私の隣に座った為、私も慌てて着席する。
「それは、まあ、私も一応営業部の事務員なので・・・」
「それもそうか」
何が楽しいのか、彼は「あはは」と笑いながら頷いている。
(笑ってる場合じゃないんですが!・・・どうしてここに難波さんがいるの?)
明らかに目が泳いでいる私の挙動に気づいていないのか、小柴課長は「それなら話が早いわ」と言って、今回呼び出した経緯を話し始めた。
「これはまだ秘密にしておいて欲しいのだけど。彼、来月出される辞令で係長に昇進するの」
「それは、おめでとうございます。でも、平社員の私と何の関係が・・・?」
「藤森さんは私が営業部に異動してから、ずっと私の仕事の補佐をしてくれていたでしょ?」
「それは、はい」
話の意図が分からず、私は首を傾げ彼女を見つめる。
「藤森さんの仕事は的確でスピーディ、勤務態度も悪くないし、平社員にしておくのは勿体ないって前から言っていたじゃない?」
「私は昇進とか興味ないので」
「またそんなこと言うんだから」
前職の際には昇進できないものかと考えたものだが、今の仕事では昇進を考えたことは一度もない。責任ある立場となってしまえば、今のように定時退社もできない。なにより、昇進することで他部署との関わりも増える為、目立たない存在でありたい私は、可能な限り、このまま平社員でいたい。
「昇進したくない気持ちは分かっているんだけど、会社もいい人材をそのままにしておくこともできないのよ。そこでね、難波くんの補佐役をお願いしたいの」
「無理です!」
「即答!」
上司に失礼だと思いつつ、すぐさま拒否を示すと、私の反応を見た難波さんは肩を震わせながら笑っている。小柴課長はやれやれといった面持ちで、私を諭すように話を続ける。
「まあ、そう言うと思ったわ。でもね、これはあなたにしか頼めない仕事なの」
そんな仕事があるわけないだろうと、私は少しむっとした表情を見せながら抗議する。
「難波さんの下で働きたい人はいっぱいいますよ?なにも私じゃなくても」
「そこなのよ!彼、見た目がこんなだからモテるじゃない?だから、彼の下で働きたいって言う女子社員が後を絶たないの。前に他の女性社員と組ませた時、大変なことが起きてね・・・」
「待ってください!私だって、他の方と同じようになるかもしれないじゃないですか」
「それはないと思うわ。彼と一緒に仕事をして欲しいと言ったら、今までの女性社員は飛んで喜んでいたもの」
「うっ・・・」
初動を間違えたと思っても後の祭り。今更「やります」と言ったところで、言葉通りに受け取られてしまっては意味がない。
「藤森さんが入社した時から、私はあなたの成長を見守ってきたわ。仕事にも慣れてきた頃だろうし、そろそろ苦手を克服してみない?」
若年層の転職者に対するメンター制度がこの会社にはあり、私を担当してくれたのが小柴課長だった。当時、小柴課長は違う課に属しており、直属の上司ではなかった。営業部は事務員以外の女性社員が少ない為、年齢は離れてはいたが、同性同士のほうが話しやすいだろうという人事の計らいで、小柴課長は最近までメンターを担っていた。
メンターという立場として最後の面談を行った際に「何か困ったことはないか」と聞かれた私は「男性社員と話すのが苦手」と相談した。彼女は困った顔をした後「人には向き不向きがあるからね。私が営業部に異動した時には、私の補佐として一緒に働いてくれるかしら?」と優しく微笑んでくれ、私は「喜んで」と答えた。
その後、数カ月してから小柴課長は営業部へ異動となり、私は課長の補佐としての業務を担ってきたが、まさか突然このようなことを言われるとは思わず、頭が真っ白になる。
下を向きながら、どうしたらこの場から逃れられるかを考えていると、左隣の席から声が掛かる。
「そんなに俺と一緒に仕事するのは嫌?」
「え・・・?」
声がした方を向くと、特に怒っている様子はないものの、彼は少し寂しそうな表情をしていた。
「どう?」
きっとこうやって他の女性社員を虜にしてきたのだろうと思わせるくらい、彼はビー玉のようにきらきらとした瞳でこちらを見ている。
(またそんな顔して私を丸め込もうとしたって、そうはいかないんだから!)
「嫌です」
目線は合わせずに小さな声でそう答えると、彼はお腹を抱えて大声で笑い始めた。
「そこまで思い切りよく断ってくる人、なかなかいないよ」
「・・・すみません」
私の態度がたいそう面白かったようで、彼は目尻にたまった涙を人差し指で拭い、ひいひいと言いながら笑いを抑えようとしていた。
「藤森さん、お願いよ。私も来月から忙しくなるし、難波くんのフォローができそうにないの。あなたなら私の仕事内容も理解しているし、他の社員からの信頼も厚いでしょう?私を助けると思って、引き受けてくれないかしら?」
「課長は私のことを買いかぶり過ぎです・・・」
「そんなことないわ。難波くんと一緒にいるのは嫌かもしれないけれど、せめて一カ月だけでいいの。彼のフォローをしてくれないかしら?」
(一カ月・・・)
「・・・考えさせてください」
「分かったわ。じゃあ、来週の月曜日に答えを聞かせてちょうだい。今日のお話はこれで終わり。それぞれ業務に戻ってちょうだい」
「分かりました」
「いい返事を期待していますね」
嫌味なくらい眩しい笑顔で言われても、今の私には何も響かない。
「・・・失礼します」
仏頂面で部屋を後にした私は、たった今起きた出来事を受け止められないまま、終業時間を迎えた。
(憂鬱だ・・・)
休憩スペースでおにぎりを頬張りながら、小柴課長に呼び出された理由を考えるも、考えれば考えるほど良からぬことばかりが頭に浮かび、気分は下がったままだ。
転職で入った会社の為、私には仲の良い同期はいない。同じ課の同僚とは世間話をする程度である為、悩みを気軽に相談できる人が、会社に一人でもいれば良かったと嘆息する。
(こういう時、地味に辛いのよね)
誰かに相談ができれば少しは楽になるのではないかと思うものの、会社での私は“本当の自分”ではない為、下手に誰かと仲良くなってしまうと、その相手に嘘をつくことになる。不誠実なことはしたくないという思いと共に、またあんなことが起きてしまったらと考えると、人間関係を築くのが怖い。
「はあ・・・」
もう一つ持参していたおにぎりは、そのまま食べずにそのまま鞄へと戻し、どんよりとした気持ちが晴れないままで休憩時間が終わってしまった。
面談予定時間前に会議室のドアをノックする。ドア越しに「どうぞ」と声が掛けられ、「失礼します」と言って中へ入ると、既に小柴課長が窓際の席に座っていた。
「藤森さん、お疲れさま。どうぞ、好きなところに座って」
「お疲れさまです」
にこやかな表情を見せる彼女が眼鏡を外し、着席を促す。
「突然ごめんなさいね。もう一人来るから、少し待ってちょうだい」
「はい」
呼び出されたのは私だけではなかったらしく、その言葉を聞いた途端、手に汗が滲んだ。
(待って、聞いてない)
誰が来るのかを確認する暇もなく、先程閉めたドアがノックされる音が聞こえ、肩がびくっと跳ねた。
「どうぞ」
私が入室する時と同じように小柴課長が「どうぞ」と声を掛ける。「失礼します」という返事が聞こえた後、コツコツと鳴る足音と共に、聞き覚えのある声が近づいてくる。
「小柴さん、お疲れさまです。遅れちゃいましたか?」
「大丈夫、時間ぴったりよ」
失礼があってはならないと立ち上がり「お疲れさまです」と挨拶するも、頭を下げたタイミングが悪く、相手の顔を確認できなかった。姿勢を戻そうと恐る恐る頭を上げたところ、視界に入った人物を見て、私はそのまま固まってしまった。
「難波くん、お疲れさま。好きなところに掛けてちょうだい。藤森さん、彼は“難波清人”くん、営業部の主任よ」
「・・・はい、存じております」
「よかった。知っててくれたんだ」
そこが自分の指定席かのように、なんの抵抗もなく難波さんは私の隣に座った為、私も慌てて着席する。
「それは、まあ、私も一応営業部の事務員なので・・・」
「それもそうか」
何が楽しいのか、彼は「あはは」と笑いながら頷いている。
(笑ってる場合じゃないんですが!・・・どうしてここに難波さんがいるの?)
明らかに目が泳いでいる私の挙動に気づいていないのか、小柴課長は「それなら話が早いわ」と言って、今回呼び出した経緯を話し始めた。
「これはまだ秘密にしておいて欲しいのだけど。彼、来月出される辞令で係長に昇進するの」
「それは、おめでとうございます。でも、平社員の私と何の関係が・・・?」
「藤森さんは私が営業部に異動してから、ずっと私の仕事の補佐をしてくれていたでしょ?」
「それは、はい」
話の意図が分からず、私は首を傾げ彼女を見つめる。
「藤森さんの仕事は的確でスピーディ、勤務態度も悪くないし、平社員にしておくのは勿体ないって前から言っていたじゃない?」
「私は昇進とか興味ないので」
「またそんなこと言うんだから」
前職の際には昇進できないものかと考えたものだが、今の仕事では昇進を考えたことは一度もない。責任ある立場となってしまえば、今のように定時退社もできない。なにより、昇進することで他部署との関わりも増える為、目立たない存在でありたい私は、可能な限り、このまま平社員でいたい。
「昇進したくない気持ちは分かっているんだけど、会社もいい人材をそのままにしておくこともできないのよ。そこでね、難波くんの補佐役をお願いしたいの」
「無理です!」
「即答!」
上司に失礼だと思いつつ、すぐさま拒否を示すと、私の反応を見た難波さんは肩を震わせながら笑っている。小柴課長はやれやれといった面持ちで、私を諭すように話を続ける。
「まあ、そう言うと思ったわ。でもね、これはあなたにしか頼めない仕事なの」
そんな仕事があるわけないだろうと、私は少しむっとした表情を見せながら抗議する。
「難波さんの下で働きたい人はいっぱいいますよ?なにも私じゃなくても」
「そこなのよ!彼、見た目がこんなだからモテるじゃない?だから、彼の下で働きたいって言う女子社員が後を絶たないの。前に他の女性社員と組ませた時、大変なことが起きてね・・・」
「待ってください!私だって、他の方と同じようになるかもしれないじゃないですか」
「それはないと思うわ。彼と一緒に仕事をして欲しいと言ったら、今までの女性社員は飛んで喜んでいたもの」
「うっ・・・」
初動を間違えたと思っても後の祭り。今更「やります」と言ったところで、言葉通りに受け取られてしまっては意味がない。
「藤森さんが入社した時から、私はあなたの成長を見守ってきたわ。仕事にも慣れてきた頃だろうし、そろそろ苦手を克服してみない?」
若年層の転職者に対するメンター制度がこの会社にはあり、私を担当してくれたのが小柴課長だった。当時、小柴課長は違う課に属しており、直属の上司ではなかった。営業部は事務員以外の女性社員が少ない為、年齢は離れてはいたが、同性同士のほうが話しやすいだろうという人事の計らいで、小柴課長は最近までメンターを担っていた。
メンターという立場として最後の面談を行った際に「何か困ったことはないか」と聞かれた私は「男性社員と話すのが苦手」と相談した。彼女は困った顔をした後「人には向き不向きがあるからね。私が営業部に異動した時には、私の補佐として一緒に働いてくれるかしら?」と優しく微笑んでくれ、私は「喜んで」と答えた。
その後、数カ月してから小柴課長は営業部へ異動となり、私は課長の補佐としての業務を担ってきたが、まさか突然このようなことを言われるとは思わず、頭が真っ白になる。
下を向きながら、どうしたらこの場から逃れられるかを考えていると、左隣の席から声が掛かる。
「そんなに俺と一緒に仕事するのは嫌?」
「え・・・?」
声がした方を向くと、特に怒っている様子はないものの、彼は少し寂しそうな表情をしていた。
「どう?」
きっとこうやって他の女性社員を虜にしてきたのだろうと思わせるくらい、彼はビー玉のようにきらきらとした瞳でこちらを見ている。
(またそんな顔して私を丸め込もうとしたって、そうはいかないんだから!)
「嫌です」
目線は合わせずに小さな声でそう答えると、彼はお腹を抱えて大声で笑い始めた。
「そこまで思い切りよく断ってくる人、なかなかいないよ」
「・・・すみません」
私の態度がたいそう面白かったようで、彼は目尻にたまった涙を人差し指で拭い、ひいひいと言いながら笑いを抑えようとしていた。
「藤森さん、お願いよ。私も来月から忙しくなるし、難波くんのフォローができそうにないの。あなたなら私の仕事内容も理解しているし、他の社員からの信頼も厚いでしょう?私を助けると思って、引き受けてくれないかしら?」
「課長は私のことを買いかぶり過ぎです・・・」
「そんなことないわ。難波くんと一緒にいるのは嫌かもしれないけれど、せめて一カ月だけでいいの。彼のフォローをしてくれないかしら?」
(一カ月・・・)
「・・・考えさせてください」
「分かったわ。じゃあ、来週の月曜日に答えを聞かせてちょうだい。今日のお話はこれで終わり。それぞれ業務に戻ってちょうだい」
「分かりました」
「いい返事を期待していますね」
嫌味なくらい眩しい笑顔で言われても、今の私には何も響かない。
「・・・失礼します」
仏頂面で部屋を後にした私は、たった今起きた出来事を受け止められないまま、終業時間を迎えた。